海花火
寺音
海花火
私は昔、
暗闇の中、ぼんやりと光を発する私の両手を見つめた。人の町から発せられる光が、水面にゆらゆら反射している。
人間の作り出した光は嫌いだ。昔は私の光と同じぼんやりとしたものだったのに、いつの頃からか刺さるような鋭い光になってしまった。見ていると目がチカチカする。
海面に顔だけを出して、町明かりに気を取られていると、頭上で炸裂音が轟いた。
「わぁ、キレイ!」
幼子たちから上がった歓声に夜空を見上げれば、色とりどりの光がパラパラと空から零れ落ちてくるのが見えた。それを機に次々と夜空に花が咲き始める。
私はそれを食い入るように見つめた。
人の作り出した光の中で、私が唯一気に入っているものがあった。
人間が〝花火〟と呼ぶもの。長く尾を引く音と共に舞い上がり、ぱっと光の花を咲かせる。その色は魚たちの鱗のように、きらきらと様々な色に変化していく。
私はそれを見るためだけに、毎年人の住む港にまで出かけていた。
綺麗だ。
花火だけではない。
花火の光に照らされた人の顔が、その時ばかりは本当に美しいものに思えた。空で咲いて散った光の軌跡を追い、視線を下ろす。
そして、気づいた。
私の住む海は、その美しかった光が最期に落ちて消えていく場所だった。
どうしてだろう。少し前から人間たちの様子がおかしくなった。相変わらず騒がしい時には騒がしいのだが、どこか違う。
瞳にぎらぎらした光を宿して、何かに怯えているような。本来この時期ならば、妙に浮足立った様子で祭りの準備でもしているはずなのに。
港近くの浅い海までこっそり泳いでいった。ぼんやり光る私の身体は、水面に映る町の灯りに紛れてしまう。気づかれることはないだろうが、気を配りそっと顔を出す。
「今年は、花火は無理じゃろう」
人の話し声が聞こえた。
「国も大変な時期じゃからのう。儂は随分長い間ここで花火を上げとったが……火薬がなければ花火は作れん」
「孫も楽しみにしとったんじゃが」
人間たちは暗い顔で息をつき、海辺から立ち去っていった。
人の事情は私には分からない。ただ、人々の話から何か恐ろしい物のせいで、花火ができないということだけは理解できた。
花火ができないことで、人々の顔が暗く影っていることも。
『人が暗い顔をしていようと、私には関係ない』
しかし、毎年楽しみにしていた、あの美しい光が見られないのは残念だと思った。
ふど、花火を見ている人々の美しい面立ちが思い浮かぶ。そうか、花火がなければ、その顔を見ることもないのか。
「えー、花火できんの?」
幼子の声が聞こえた。いつの間にか、浜辺にまた人がやってきている。
浜辺に立つ幼子は不満げな声を出し、母らしい人間を困らせていた。
「遠くのお父ちゃんにも見えるかもしれんのに」
あの子の父は、ここにはいないのだろうか。
泣き出しそうな顔で、母の手を引いている。ここから動きたくないという様子で、その場に必死で踏ん張っていた。
あの痩せた細い腕のどこに、そのような力があるのだろう。
「みっちゃんのお父ちゃんも、よしくんのお兄ちゃんにも、届くかもしれんのに! みんな花火、楽しみにしとったよ!」
花火なら、届くのか。どれほど遠くにいるのかも分からない、その人間たちの顔も、輝かせることができるのだろうか。
私の中に、ある想いが浮かび上がる。
――羨ましい。
ああそうか。そうだったのか。
そこで初めて、私がずっと花火を羨ましいと思っていたことに気づいた。
水面に映った私の姿をじっと見つめる。じんわりと光るこの身体は、あの美しく華麗な光に比べ、なんと頼りなく弱々しい光だろうか。
しかし、思い出す。遠い昔、浅瀬で死魚に群がっていたワタシを、その光を、『綺麗だ』と褒めてくれた人間たちがいたことを。
光に照らされてぼんやりと浮かんだ人の笑顔が、好きだった。どこかでそれを求めていた。
子が母に手を引かれて去っていく。幼子は顔を歪めて、首を激しく振って抵抗しているようだ。
幼子の瞳からぽろりと、一滴の滴が零れ落ちる。
『駄目だ』
両手を天に掲げた。私の中心に力を込めて、念じる。
もっと明るく、もっと激しく。
その意志に応えるように、私をまとう光が輝きを増していく。
全てを燃やして、私の身体を輝かせた。
消えてしまうかもしれない。
それでも、
『見せたい、見たい』
見たいと、輝かせたいと思った。
花火に負けないくらい、昔のワタシよりもっと明るく暖かい光で。
私の光で輝いた、美しい人の顔が見たい。
光が落ちて消えていくこの場所から、もう一度輝かせるのだ。
私の、光で。
その夜、海から〝花火〟が上がった。
大きな音と共に海面が強く、鮮やかに輝いた夜。町の人たちは皆驚き、足を止め、窓から顔を出して海を見た。
今年は諦めていたはずの花火が上がった。
そう言って人々は、顔を輝かせて空を見上げたのだと言う。
町と人を美しく照らした光がなんであったか、人には分からない。まして彼らを愛した小さな存在がいたことなど、知る由もなかった。
そして今年も、この町の夜空に花が咲く。
海花火 寺音 @j-s-0730
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