旅する神樹のコーヒー屋さん〜神樹の守り人はコーヒーを振る舞う〜

子猫のこ

1 マスターは本物のマスター(創造主)



「ゆっくりコーヒーを楽しむ毎日を送りたいんですよ」


そう、行きつけの喫茶店のマスターに愚痴ったのがそもそもの始まりだった。


 マスターはそんな私をにっこり見て、グラスをキュッと磨いた。透明でツヤツヤなグラスは年季の入ったアンティークモノだ。

この喫茶店は明治から続いているらしく、使うカップやグラスはみんなアンティークかビンテージモノ。プリンアラモードのプリンは古き良き硬めの弾力。メロンソーダにはさくらんぼ、甘酸っぱいレモンスカッシュ。

お店のロゴが入ったマッチ箱やコースター。


何より美味しいのがコーヒー。こっくりコクがありほろ苦いブレンドコーヒーは最高だ。


 マスターは丸い眼鏡をかけて、白髪を綺麗に後ろに撫でつけている。いわゆるイケおじだ。ここの常連の女性の中にはマスターのファンがいるほどだ。

残念ながら私はおじ専ではないのだが、イケメンなのでたまに見惚れてしまう時がある。マスターは自分のことを一切話すことがなく、ミステリアスな部分もカッコイイのだろう。でもとても話しやすい雰囲気で、自分のことについてつい喋りすぎてしまう。そんな時でも、マスターはいつもニコニコ笑って聞いてくれるのだ。

甘えてしまう気持ちがわかるだろうか。


「仕事なんて辞めて、コーヒーを焙煎してじっくり淹れて、のんびりブレイクタイム。それが四六時中。なんて素晴らしいですかね! あーもう仕事やめたーいコーヒー飲んでゆっくりしたーい」


ぐだ、とカウンターに上半身を預ける。マスターの苦笑いが想像できた。

まあ、ちょっとした愚痴だ。アラサー間近の一人暮らし会社員が、今更カフェ経営とかなんだとかできるわけないし。

聞いてくれるだけでいいんだ。

そう思っていた。その時は。


「なら、提案があるのですが……」


提案? 私は顔を上げてマスターを見た。眼鏡越しの瞳がキラリと光ったような気がした。その鋭い瞳に背筋が伸びる。真剣な話のようだ。


「異世界で私のコーヒーを広めてくれませんか?」


マスターの眼鏡が外の光を反射して、どんな色をしているかわからなかった。


「……はいぃ?」


まあそんな発言を突然されたら、素っ頓狂な声も出るってもんだ。

異世界? って言ったよねマスター。聞き間違い? 冗談?  ああそうか、冗談か。マスターもそんな小説読むんだなあってびっくりしてしまったよ。

最近はアニメにもなって有名だからなのかもしれない。カフェのマスターだが異世界で店を始めた、とかさ。

「何を言ってんだ」

と言う顔をしていたのだろう、マスターがぎこちない笑みを浮かべて再び口を開いた。


「実は私は神様でしてね」


「かみさま」


と、言葉を繰り返すしかできない。

何の冗談だろうか。ドッキリ? でもいつも真面目なマスターがそんなことするだろうか。

しばらく、辺りに静寂が降りる。どう反応していいかわからなかった。

嘘か真実か決めきれず、戸惑うしかない。


「仕方ありませんね」


 マスターは手を上げてパチリと指を鳴らした。何だろうと思った瞬間、辺りが暗闇に包まれた。

あれ、停電かな? 真っ暗で何も見えない。……いや、足元がなんか白い。ぼんやりと光を放っている。床に間接ライトなんてあっただろうか?


足元に眩しさを感じ見下ろすと、地球があった。そう、地球だ。地球。SF映画とかヒーロー映画とかで見る地球だ。

青い海に白い雲。緑いっぱいの陸地や茶色の都市部。ふと周りにも何かがあるのに気づいた。星のカケラが浮いている。見渡す限り宇宙が広がっている。

これは……夢? いや、現実?


くすくすと漏れる声に顔を上げる。かなり呆けた顔をしているだろう、私は。

マスターはにっこりと笑って口を開いた。


「私は世界の創造神の一人。豊穣を司る神。中でもコーヒーが一番お気に入りでしてね。

他の世界の創造神達からコーヒーをリクエストされているのですが、こちらもなかなか忙しくて。真名さんに異世界でコーヒーを広めてくれるお手伝いを頼みたいのですよ」


「かっ、カミサマ!?  創造神!?  ホントですか?」


「本当です」


と、ウインク。イケオジだから似合うなあウインクが。って何冷静なこと言ってんだ。


「まさかマスターは本物のマスター(創造主)だったとは」


「ははは。上手いですね。座布団ひとつ」


やったね。座布団よろしくお願いしまーす。

……いやいやいや! 座布団ひとつじゃないよ! 座布団どころか地球の上にいるからね!? 地球が座布団みたいになってるから!

もう一個地球が積まれたら畏れ多いよ。潰しちゃいそうで怖いから。や、そんな地球潰すくらい太ってもないけどさあ。

とにかく意味のわからない展開に、息切れしそうになる。私はコーヒーカップを掴むと一口飲んだ。バランスの取れた酸味と甘み、苦味に、グッとくるコク。

舌で転がして喉へ流れていく苦味に頭が冴える。とにかく状況と提案を整理しよう。


今、私、は宇宙にいる。何言ってんだって感じだけど、マジだ。

そしてマスターは実は神様で、私は何かスカウトされている。んだよね。


ならば答えは一つ。


「ぜひ、やらせてください!」


こんなチャンスを逃すわけにはいかないじゃないか! 夢だろうが現実だろうが、私は決めたぞ。会社員よりコーヒーを淹れたい! 神様のお手伝いしてみたい!


「よろしいのですか? 一度異世界へ行けば元へは戻れないかもしれませんよ?」


「はい。全然オッケーです。家族もいませんし……」


私は目を伏せる。一瞬だけ、並んだ棺桶と遺影が脳裏にチラついた。ダメだ。ここでへこたれては。みんなの分まで生きるんだ。


「この世界に未練もありません。私はコーヒーを楽しむ毎日を選びます」


「ふふ。ありがとうございます。では、お願いしますね」


ふわりと浮遊した感覚と共に、気が遠くなる。世界は眩く白く染まっていく。


眠くなってきた。ふらふらした手つきでカップにある残りのコーヒーを飲み干す。

おかしいな。カフェイン摂ったのに。まあいいか。ちょっとだけ眠らせてもらおう。詳しい話は起きてから……。



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