バランスパン

TiLA

 あぁ、どうして僕はこんなツイてないんだろう。


 学校の先輩に勧められて入社した会社。

 実はその先輩は超嫌われ者で、僕がやりたかった事業はもう畳んでいた。先輩は人事に恩が売りたくて人手不足の中、単に理系の生徒をリクルートしたかっただけなのだ。

 とはいえ今さら転職する勇気もなく、僕はその会社でも、とりわけブラック職場と言われているシステム2課に配属され、朝も夜もないくらいに毎日コキ使われていた。


 大体僕は生まれつき運がないのだ。

 くじ引きやビンゴでもまず当たったことがない。

 試験のヤマだってまず当たった試しがない。

 学生時代も入部したバレー部で先輩に目をつけられ虐められた。

 バイトでも最初に入った時の店長が病気で倒れ、そのあと回されてきた店長とはウマが合わずイビられた。

 片思いだった人にも勇気を出して告白するもゴメンなさいをされ、地元に残れと言われた親の希望も無視したため親子の仲も冷たいものだった。

 昨夜も仕事でヘマをやらかし謝りまわってヘトヘトになっていた。


「う〜ん」


 ようやくお昼過ぎに目が覚める。

 今日は入社して以来、初めての休日だった。もう八月だというのに。どんだけブラックなんだよ、うちの職場。

 なんとかしないといけないな〜。

 まだ半分寝ぼけたまま、それでも若い身体は食べることを欲していた。借り上げ社宅のアパートにはキッチンはあるがあいにく冷蔵庫には何もない。僕はやれやれといった感じで下だけデニムに履き替えると玄関を出た。


「あっ、篠崎さん、こんにちは」


 可愛いらしい声に挨拶され、ドキッとして振り返ると、隣の部屋に住む椿さんだった。


「こ……、こんにちは」


 ドギマギしながら挨拶を返す。こちとら男子校から製造業という男ばかりの青春時代だったため女性に対する免疫がほとんどない。特に椿さんのような美女には。

 僕はそそくさと逃げるように挨拶だけするとその場を立ち去った。

 く〜っ、椿さん、今日も美しかったなぁ〜。

 普段はツイてない僕であったがそれだけで今日は何か良いことが起きるような気がしていた。


「さてと……」


 飯を食べにと出かけたものの、コンビニや弁当屋以外で近くにどんな食べ物屋さんがあるのかちっとも知らなかった。


「普段歩かない路地に入ってみるか……」


 僕は駅に続く道を少しそれて裏道にまわってみた。そんなところに食べ物屋さんがあるかどうか分からなかったけど。

 しばらくすると小さなお店があった。ショーケースにはパンが並んでおり、店内に小さい机と椅子が置いてあって中でも食べれそうだった。


「パンか……。まぁ、田舎だし、そんな贅沢言ってられないか」


 お腹もかなり減っていたのでとりあえずそのパン屋さんに入ってみる。


「いらっしゃい」


 お店に入るとカウンターの奥に四十代くらいの綺麗なご婦人が白い料理服を着てニコニコしていた。たぶんこの店の店主だろう。


「こんにちは。あの、お店の中で食べることってできますか?」


 恐る恐るきいてみると、


「はい。もちろんです。ドリンクとセットですとお得ですよ」


 そう言ってニッコリ笑い返された。


 綺麗な人だとは思ったけれど流石に恋愛対象としては年が離れているため、あまり緊張はしない。ほっとして女店主さんに尋ねてみた。


「じゃあいただいていこうと思いますが、このお店のお勧めってどれですか?」


「当店のお勧めはそちらのバランスパンになります」


 女店主さんがバスケットに入った長めのパンを手で差した。


「バランスパン?」


「そう、バランスパンです」


「えっと、フランスパンじゃないんですか?」


「バランスパンです」


 思わず確認してしまったが女店主さんは微笑んだままそう答えた。


「か……変わった名前ですね。栄養のバランスが良いとかですか?」


 もしかして? と、閃いたことを尋ねてみる。


「そうですね。偏った栄養のバランスも整えてくれますが、それだけではありません」


「と言うと?」


「このバランスパンを食べると人生のありとあらゆることのバランスが取れるようになります。これまで悪いことばかりだったら良いことが起こったり、辛いことばかりだったら嬉しいことが起こったり……」


 この人、何言ってんだろう? 僕はポカンとしてしまった。


「どうしました?」


 女店主さんが首を傾げる。


「いっ、いや、何でも! じ……じゃあ、そのバランスパンとアイスコーヒーお願いします!」


 思わず少し大きい声が出てしまった。もしかしてこれは今までツイてなかった僕の運気を改善するチャンスなのでは⁉︎ 不思議なことになぜかその時の僕には『そんな馬鹿な』とは思えなかった。


「はい。有難うございます。ところで念のため確認しますがお客様はこれまであまりツイていなかったですか?」


「えぇ、全然ツイてない人生でした。まったく」


「ひょっとして専制主義のお国のほうが良かったとか?」


「いえ? 民主主義で良かったと思いますよ」


「ひょっとして戦争に行ってみたかったとか? バンババーン」


 女店主さんが指をピストルの形にして撃ってきた。


「いや、平和が一番だと思っていますよ?」


「じゃあ、これまでに大きな病気をして死の淵を彷徨ったことは?」


「生まれてこの方ありません」


「じゃあ、交通事故とかで大怪我をなさったことがあるとか?」


「うーん、小学生のころ、滑り台から落ちて手首の骨にヒビが入ったことはありますけど?」


「入院するぐらいでしたか?」


「いえ、全然」


「う〜ん、バランスをはかるには、今言ったようなことがこれからのあなたの人生で降り掛かってきますけど、よろしいですか?」


「えっ! そんな馬鹿な!」


「だって、そんなニュースしょっちゅう目にしているでしょう? バランス悪いじゃないですか」


「そうは言っても……、大体、このパンひとつ食べたところでこの国がいきなり専制主義になったり戦争になったりする訳ないじゃないですか?」


「まぁ、それはそうですけど、将来、そういったリスクのある国に転勤になることなら、もしかしたらあるかもしれないですよね」


 うっ……、僕が入った会社はそこそこ大きな会社で世界各国に拠点があった。中にはそういった危険のある国もないわけじゃない。


「そんなことを言うなら、どうして僕にバランスパンを勧めたりしたんですか?」


「はぁ……、実はこのお店はご自分でツイていないと強く思っている方にしか見えないお店なのです」


 女店主さんは、溜め息混じりにやれやれといった感じで言った。


「でも、たまにおられるんですよね。あなたのように実際はそこまでツイてないわけじゃないのに自分がツイてないって信じ込んでる人が」


「で、でも、入社した会社はとんでもなくブラック企業で……」


「その内、労基局の調査が入って改善されますよ、そんなの。でもバランスパンを食べたらちゃんと会社がなくなるか、辞めさせられて、定年まで勤めなくてもいいですよ。正社員としては」


「正社員としては?」


「はい。世の中には非正規やアルバイトの方などもたくさんおられますから、バランスを保たないと」


「で……、でも、僕は昔とても好きで好きでたまらなかった人に告白して振られたことがありまして……」


「あぁ、それもちゃんとバランスが保たれるから大丈夫です」


「ほんとですか⁉︎」


 たとえ他の全てのリスクを負ってもそれならばという気持ちと、なぜか椿さんのことが一瞬頭をよぎった。


「えぇ、これからあなたも別に好きでも何でもない人から告白されますから」


「わあぁぁ〜!」


 叫び声を上げて目を開けるとそこには見慣れた部屋の天井があった。


 え? 夢?


 タイマーで切れたエアコン。しかし部屋は昼になってすっかり室温が上がっており、僕のシャツは寝汗でベトベトだった。


「はあぁぁ〜、夢か〜〜」


 良かったー。マジでホッとした。まだ少し胸がドキドキする。落ち着くためにいつものルーティンでスマホのニュースサイトを斜め読みする。…………そして、僕はポイッとそれをベッドに投げた。今まで他人事に思っていたことがなんだか急に身近なことに感じられたような気がしたのだ。


「あぁ〜、お腹すいた」


 とりあえず着替えて、適当に寝ぐせを直すと僕は玄関を出た。今日は久々の休日だった。


「あっ、篠崎さん、こんにちは」


 可愛いらしい声に挨拶され、ドキッとして振り返ると、隣の部屋に住む椿さんだった。


「こ……、こんにちは」


 ドギマギしながら挨拶を返す。よく見ると椿さんは紙袋を抱えていた。どうやら買い物帰りだったらしい。


「どこか、お出かけですか?」


「えぇ、ちょっとお腹が空いたんで……」


「あっ! だったら篠崎さん、もし良かったらお昼ご馳走しますけど、ウチに来ませんか? この前ゴキブリ退治していただいたお礼がまだだったので!」


 あぁ……そう言えば、、

 僕もけして平気な訳ではなかったが、突然部屋に来られて頼まれたため断ることも出来ず必死に戦ったのであった。


「は……はい、椿さんがそう仰ってくださるなら是非」


「じゃあ、クリームシチューとか作りますね。パンに合うんですよ」


 そう言ってニッコリ笑った椿さんの抱える紙袋からは、にょっきりと長めのパンが顔を覗かせていた。


 <了>

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