第3話 眠れぬ夜の冒険者
saido ひろ
車のエンジンが切れた音ではなかった。
3時間前に設定した扇風機が止まった音だった。
今は何時なんだろう。
布団に入ってから、だいぶ時間が経ったと体内が感じ、グウとマヌケにお腹が鳴る。
眠れない夜は決まって、日記を書いて時間を潰すのがセオリーだった。
7月12日
また眠れない。
日中は異様に眠たくなるのに、体が夜を受けつけない。
今日も上手くいかなかった
頑張ろうって思っているのに声が出ない。なんで。
こんなの居なくなれたらいいのになあ
早く中学なんて卒業して、誰も僕のことなんて知らない所へいきたい
もう、いいや。
疲れたから布団に戻る。
おやすみ、僕
滲みだす視界を認めたくなくて、乱雑に日記を放り投げた
────────────────
「ねえひーちゃん、昨日の英語の課題やってきた?」
目の前で朝の眠たげな顔を残している彼女は、僕の幼なじみ。
中学の時に共通の趣味で仲良くなり、高校も二人で同じところへ入学した。
彼女がこう聞いてくる時は、昨日部活から帰ったあとに課題なんて忘れたまま眠ってしまったのだろう。
今朝思い出して幼なじみである僕に助けてもらおうと思った、となんとなくだが分かる。
「もしかしてだけど、また寝ちゃったの?この前だって『部活終わって疲れちゃってて……忘れてました』って僕に言ってきたばっかなのに……」
「……すみません」
彼女は巷では珍しいサッカー部に入っている。
来月は試合もあると聞いているから、今が一番詰め込んでいるときだろう。
家に帰ってヘトヘトで眠ってしまうのは、部活に所属していない僕でも分からなくはない。
「仕方ないな。僕の課題見せてあげるから、その代わりに試合頑張ってください」
「ありがとうございますっ!神様仏様ひーちゃん様〜」
僕は寛大な心を持っているので、深夜まで
さて、彼女が言い放った”神様仏様ひーちゃん様”というのは最近よく使われている決まり文句だ。
こう言えば僕が満足するとでも思っているのだろう。全く……これだから低能は。
まあ、僕が神かどうかは置いておいて
「……というか、その”ひーちゃん”って呼び方直せないの?はるだけだよ、僕のことひーちゃんって呼ぶの」
「いいのいいのっ。そう言いつつ、結局ひーちゃんは許してくれるんだし」
「サンキュっひーちゃん!」
誰か、今すぐこいつの口を縫ってくれ。
「
「おはよーあれ、けいちゃん髪切った?」
「切った切った!!」
のんびり歩くマイペースなこいつは、けいちゃん。
けいちゃんも同じ中学出身で高校に上がってからも仲が良いほうだ。
いつもお団子ヘアーだった髪は、今日は肩の長さで揃えられていた。
短いのも似合っていて印象が変わって見える。
「弘中くん、おっはよ!」
「かなちゃんっ、おはよー」
この子はかなちゃん。
人懐っこい性格で、常に周りを笑顔で彩るクラスのムードメーカー的存在だ。
こんな見るからにモブキャラみたいで陰湿な僕にも、こうやって話しかけてくれる心温かい女の子だ。
「あ、そういえばさ来週の日曜って空いてる?皆でカラオケに行こうって話になっててさ、良ければ弘中くんもって思って」
「あー……ごめん。毎週日曜日は家族で出かけるって決めてるんだ。行きたいって気持ちはあるんだけどさ、……ほんとごめん」
「いいのいいの、謝らないで! 家族と仲良しなんだねっ」
「まあね。 いいでしょー?」
「いいことだよー私なんか今日もお母さんと言い争いしてきちゃったもん。もう、うんざり」
「あははっ、そっかあ」
「あっ、私まだ準備終わってなかった!じゃあ、またねっ」
「……っまた」
かなちゃんでも家族と言い合いすることってあるんだ……
なんか想像つかないな。
……そうだっ、日曜日楽しみだな。
今週はどこ行くんだっけ?帰ったら父さんに聞こう。
確かこの前は公園に行ったんだっけ。
自転車に乗って……3人で走った。あっ、サッカーもした。
僕があんまりに運動オンチなものだから、母さん爆笑してたっけ。
あれは自分でも面白かった。
父さんは鉄棒でグルングルン回ってて凄かったな。
僕よりいくつも歳上なのに体力が余っているって凄いことだよなあ。
それで僕もやってみたいって、はしゃいで……でも結局僕の手はまだ小さいから鉄棒に届かなくて。
父さんに抱っこしてもらって、それで、それで、それで……それで?
そもそも僕の身長ってこんなに低かったっけ。
見上げるような視界に違和感がある。
手のひらが異様に小さくて、うまく動かせずもどかしい。
あれ、僕その後何した?
あれ……あぁ。あぁこれ。
これたぶん夢だ。
僕、夢を見ているんだ。
───────────────
……今、何時だ?
何の、いつの夢を見ていた?
ずっと前の、楽しかった思い出を見ていた気がする。
確か学校で、はると話してて……あぁそうだ。公園の話だ。
あれは、もう何十年も前の話なのに。
僕の父さんと母さんが離婚するずっと前の話。
……僕が呪われるずっと前の。
僕は小学3年生の頃、神様から”呪い”をかけられた。
元々控えめな性格の上、この呪いは僕に普通の生活さえ与えてくれない憎むべきものだった。
僕は、突然声が出なくなる。
それはどうやら世間では『
けどそれは病名がつくことで、ひとときの安心を得られるに過ぎないと思う僕は、名前なんてつけず『呪い』と呼ぶことにした。
呪いっていつか解ける気がするだろう?
魔法とか、呪文とか、特別な薬とかでさ。
でも僕の呪いは解けないんだ。
必ず解ける保証ができない。
無責任な神様からの試練なんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ねえひーちゃん、宿題やった?」
「うん……やっ、や、やって、てきたよ」
「だよね〜あたしやってなくてさ、もう諦めたわ…… あっ、そういえば今日は一緒に帰れるん?」
「あぁー……か、っかえれるよ」
「じゃあ掃除終わったら、生徒玄関集合で」
「りょーかい」
「あっけいちゃんじゃん!!」
「あれ、おふたりさんおはよー」
「……おっお、、おはよう」
「やっぱしその髪型似合っとるよ!!」
「おっ、はるちゃんは人を見る目がありますねぇ。あと半年で卒業だからさ、今イメチェンしないと皆に見せられないのが惜しくてさ〜」
「そうだね〜なんか考え深くない?あたしらが高校生になるなんて」
「こんな古い制服と中学校におさらば、だなんてさっ」
「はるちゃんは近所の高校志望だっけ?弘中ちゃんは遠くの学校だったよね。すごいね〜」
「……あっありがとうっ」
「あっやば!私今日、日直だ。職員室行かなきゃだったんだ!!じゃ、またっ」
「またねえー」
「相変わらず、っけっけいちゃんは嵐みたいなっひっ、ひ……人だね」
「まっ、あーいうところがけーちゃんの良いところでもあるんだよねえ。不思議」
「っそっそういえばはる、日曜日遊びに行くん?昨日誘われてたじゃん」
「んんー、行かない」
「えっ行かないの?はる、予定あるん?」
「いやぁ無いけどさ、なんか気分がのらない」
「“ 気分がのらない”って……いっ行きなよ。なかなか誘ってくれるなんてことないよ?絶対楽しいって。いっ、いっ行ってきなよ」
「行かないったら行かないの。なに、急に熱くなっちゃって」
「いや、楽しいとっお、思うよ?あのかなちゃんだもん。あんなに可愛い子い、いっいないし」
「だからなんなのさっきから〜。ひーちゃん、もしかしてかなちゃんのこと好きなの?」
「え、そ、れは…」
「好き?」
「っす、きかも」
「やっぱそうだよねー。女の子のひーちゃんから見ても可愛いんだもんね。やっぱ行ってこようかな?」
「…行ってきなよ」
「じゃあ、日曜行ってくるわ〜。あ、そろそろ授業始まるわ。じゃ」
◇ ◇ ◇ ◇
「っき、、ぃきっききっき、んだいのヨーロッパにおいて
「はい次は佐々木さん、読んでください」
「しかしこうした
◇ ◇ ◇ ◇
蚊が僕の血を吸った音ではなかった。
3時間前に設定した扇風機が途切れる音だった。
今は何時なんだろう。
布団に入ってからだいぶ時間が経ち、視界いっぱいに広がる暗闇に飽きてきた。
眠れない夜は決まって、日記を書いて退屈を誤魔化すのがセオリーだ。
7月13日
また眠れない。今日は……今日もまた上手く話せなかった。
また言えなかった。
けいちゃんはどこの高校へ行くのだろうか。
それにしても新しい髪型、似合っていたなあ。
僕もイメチェンしてみよっかな……
はるは、いいなあ。かなちゃんと仲良く話せて。
かなちゃんからのお誘いを断るなんてっ!
本当は僕に誘いが来たら良かったのに……
はるは贅沢者なんだから。
口を開けば、息ができない。喉が潰れてしまいそう。話せない。
怖い。
怖いんだ。
いつか何も言えなくなるんじゃないかって。
自分の名前すら言えない僕だから、存在証明をすることさえできなくなるんじゃないかって。
いつも言えない。
話したいこと、伝えたいこと、共有したいこと。たくさんあるのに……
声がでないんだ。
夜が濃くなるのにつれてゴミ箱を埋めるティッシュが増えていく。
それが綿毛のように見え、朝になったら綺麗な花を咲かせたらいいなと思う。
日記には素直に好き勝手に言葉を羅列できることが、唯一の救いだった。
声が出なくなるって、なんなんだ。
きっと、夜に眠れなくなるっていう呪いなんだと思う。
拝啓、弱虫の私たちへ 九重いまわ @nikibi
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