第41話:赤根さんはなにも考えられない<第二部最終話>

 親のいない家で二人きり。


 ガタニ君とキスをするには、これはもう有り得ないくらいのビッグチャンス到来だ。今のうちにどうしたらいいのか作戦を考えなきゃ。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。


 いやもう緊張しすぎて、なんにも考えられないんですけどっ!


 ──なんてうだうだしてる間に、彼が風呂場から戻って来てしまった。


 結局なにも思いつかなかったじゃん!

 ああーっ、作戦決行はもう少し先延ばしだ。


「赤根さん、お風呂ありがとう」

「あ、いえ、どういたしましてっ! あの、ジュースあるから飲んでくだちゃい!」


 ──あ、噛んだ。


「ありがとう。いただきます」


 ガタニ君は振り向いて、私に背を向けてテーブルに片手を伸ばす。


 ふと見るとテーブルの上にはジュースのグラスが二つ。

 片方はさっき私が口をつけたもの。

 彼の手は、そちらに向かって一直線に伸びる。


「あっ、それ違っ!」


 聞こえなかったのか、ガタニ君の手は止まらない。

 慌てて彼の背中の横から、テーブルの上のジュースに手を伸ばす。


 彼の横に並んだ時、ふと横目で見る。

 ガタニ君は腰を曲げてるから、同じ目線の高さに横顔があった。

 柔らかそうな頬が目に飛び込んでくる。


 私の中の小悪魔が頭の中で囁いた。


 ──ほら、彼にキスするチャンスだよ!


 唇同士は恥ずかしすぎて無理だけど、このまま横に顔を出したら頬にキスできる。

 これなら、たまたまの事故だって言い訳できる。


 ──二人きりのこんなチャンスは、もうないかもよ?


 私の心は小悪魔に流される。

 よし、決めた!

 思い切ってこのまま頬にキスしちゃおう。


 ガタニ君の頬に向けて唇を近づけたその時、突然彼が振り向いた。


「えっ……?」


 すぐ目の前に彼の顔が迫る。


 うっわ、ヤバっ!

 顔と顔がぶつかるっ!

 いや、唇と唇が当たる!


 よけなきゃ!!!!

 思わず目をつぶる。


 ──チュっ。


 唇と唇が、こんにちは、をした。

 湿り気を帯びた柔らかな感触。

 これは、間違いなくキス。


「ふんわわわわわっっっ!!」


 思わず絶叫しながら身体を離した。


 キスしたキスしたキスした!

 キスしちゃったぁぁぁ!!


「ごごごごめんねーっガタニ君っ!」

「あう、あう、あう……」


 ガタニ君もめちゃ焦って、あうあう言ってるけど言葉にならない。顔が真っ赤だ。


 彼の顔をじっと見る。

 じっと見る……。


 私、この人と今さっきキスをしたんだよね。

 キス……。

 まだドキドキしてる。

 幸せ。


 うわ、なにこれ。

 ガタニ君がめちゃくちゃ愛おしいんですけど。


 いや、前から好きだったんだけど、好きの気持ちがさらに膨らんでる。


『キスすると、相手のことをさらにさらに好きになっちゃう効果があるんだよ』


 唯香が言ってた言葉が脳内に響いた。

 今の私には自信を持って断言できる。


 ──唯香、あなたは正しい!


 今まででも100点満点で200点くらい好きだったのに、キスしたら500点くらい大好きになっちゃった。


 顔を見るだけで、キュンキュンが止まらない。


「あああ、あの、ががガタニ君!」

「ななな、なにかな、ああ赤根さん!」

「ごごごゴメン!」

「こここ、こちらそそっ!」


 彼も顔が真っ赤だ。

 これはもしかして……


 ガタニ君もキス効果で、私を大好きになってる!?

 私とキスをして、私への恋心が爆発しちゃってる?


 やったー!

 作戦成功だぁ!!


 これはチャンス!

 大チャンスっ!

 このタイミングで、好きな気持ちを伝えよう!


「わたっ、わたっ、わたし……」

「う、うん……」

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………」


 ダメだぁーっ!

 言葉が出ないっ!


 ガタニ君も真っ赤なまま、何も喋らないで固まってしまった。


 窓の外は薄暗くなって、気がつけばまた雨が降り始めていた。


 私も泣きたい。


 いや、そんな弱音を吐いてどうすんの。

 とにかくちょっと落ち着こう。


 テーブルの上のジュースを手にして、ぐいっと飲む。


 よし、これで大丈夫!

 さあ、言うぞ!


「ジュース美味しい……」


 ああーっ、そうじゃなくてっ!

 なに言ってんだか私!


「あ、うん……僕もいただくよ」


 ごくごくと喉を鳴らしてジュースを飲み干すガタニ君。

 ああ、なんて男らしい飲み方なんだろう。好き。


「ごちそうさま」


 コトリと優しくグラスを置くガタニ君。

 ああ、なんて丁寧な人なんだろう。好き。


「ありがとう」


 優しい笑顔でお礼を言うガタニ君。

 ああ、なんて礼儀正しい人なんだろう。好き。


 いや、心の中で好き好き言ってるだけじゃ伝わらない。口にしなきゃ!


「あ、あ、あのさ、ガタニ君……」


 勇気を極限まで搾り出す。

 そしてついに告白……


「ただいま〜!」


 あ、お母さんの声が聞こえた。

 はい、チャンスタイム終了。


「お、おかえり」


 母いわく、急な雨だったから傘を持って行ってなかったらしい。

 だから突然の帰還。


 ああ……今なら告白できるかと思ったのに。

 未遂に終わっちゃって悲しい。


 だけど、キスしたんだよ。

 キスしたんだよ。むふふ。


 大事なことだから二度言いました。


 それだけでも今日は大成功だった。

 彼の私を好きな気持ちはきっと膨らんだよね。

 これって大きな進歩よね!


 帰ってきたお母さんはリビングに居座って、彼が帰るまでガタニ君とガッツリお話をしていた。


 後で聞いたところによると、すごくお話ししたたかったらしい。


 あのう、お母さん。

 私からガタニ君を奪わないでくれるかな。


 ちょっと嫉妬するほど仲良く喋るのってどうなの?


 ……まあいいけどね。



***


 その夜、ガタニ君からメッセージが来た。

 どんなこと、書いてるんだろ?


 赤根さん愛してるよ!

 僕はもうキミに夢中!

 キミはなんて可愛いんだ!


 うん。今日私と唇同士キスをしたんだもん。

 彼は私への好きの気持ちが膨らんでるはず。

 きっとこれくらいのことは書いてるよね。きっと。間違いなく。


 ワクワクしてスマホ画面をタップする。

 メッセージが現れる。


『今日は本当にありがとう。助かりました。お母さんにもよろしくお伝えください。』


 ……えっと。


 なにこの業務連絡?

 それだけ?


 ここではたと気づいた。

 唇同士のキスは勘違いなのではないかと。


 確かにキスする寸前、私は目を閉じてしまった。

 柔らかな感触で、絶対に唇同士だと思ったんだけど。


 でもガタニ君のほっぺは、ぷにぷにと柔らかい。

 だからあれは、ほっぺだったのかもしれない。


 いやでも──


 例えそうだとしても、初めて女の子にちゅーをされて、彼はなんとも思わないの?

 好きな気持ちが膨らまないの?


 ──あ。もしかして。


 ガタニ君は今まで、ほっぺにちゅーくらいは経験があるとか?


 いやん!

 そうだったらどうしよう……



◆◆◆


 ふうっ。ようやく赤根さんにメッセージを送れた。

 この短い文章を送るのに、かれこれ2時間はかかったな。


 今日──赤根さんとキスをしてしまった。

 しかも唇同士で。


 あれは事故だ。

 だけど紛れもないキス。

 人生で初めて女の子としたキス。


 恋人同士の本物のキスではないけど、好きな女の子とキスをしたという事実だけでも、もう胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き乱れるくらいに衝撃的で嬉しい。


 あのシーンを思い浮かべるだけで身体は火照り、頭はボーっとしてなにも考えられなくなる。


 だからお礼のメッセージ一つ送るのに、なんて書いたらいいのかめちゃくちゃ悩んだ。

 あーでもないこーでもないって書き直すうちに、あっという間に2時間も経った。あはは。


 結局は当たり障りのない文章しか送れなかった。


 それにしても──


 俺、赤根さんをもっと好きになってしまった。

 好きって気持ちがさらに大きく膨らんだ。


 次に会う時、どんな顔したらいいんだろう。

 悩むけど、でも早く会いたい。


 そうだ。この気持ちを面と向かって伝えようか?

 いや……やっぱそんな勇気は湧かないよなぁ。


 うわ、モヤモヤする!


 でも……このモヤモヤ、嫌じゃない。

 赤根さんのことを考えたら幸せな気分になるから。


 まあ、うじうじと考えるのはよそう。

 もうすぐ夏休みも終わる。

 そしたらまた赤根さんに会える。


 楽しい日々が──きっと待ってるはず。

 いや、楽しい日々であってほしい。


 そんなことを考えながら、俺は眠りについた。


──────


 ガタニ君との恋は一歩ずつ着実に進展していることに、彼女はまだ気づいていない。


 ──今日も今日とて赤根さんの勘違いは続く。

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【第二部完結】『勘違いしがちな赤根さん!』 ~飼い猫の名前を叫んだら、なぜか学校一の美少女が迫ってきた 波瀾 紡 @Ryu---

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