第40話:赤根さんは抱きつく

♡ ♡ ♡


 次の駅で降りて、ちょうど到着した逆方向の電車に乗った。

 その駅は自宅の最寄駅だけど、ガタニ君が心配で、このまま家になんて帰れない。


 そしてさっきまでいたターミナル駅で降りて、改札を抜ける。


 駅舎の中から外を見たら、もう雨は上がって空は晴れてる。

 強い雨が一時的に降ったみたいだ。


 その時ちょうど、駅舎に入ってくるガタニ君を見つけた。

 可哀そうに、髪の毛も服も、全部びしょ濡れだ。


「ガタニ君っ!」


 叫びながら彼に走り寄る。


「あ……赤根さん」

「んもうっ、あんな雨の中イヤリングを探しに行ってくれるなんて……」


 ガタニ君の行動があまりにありがたくて、

 ガタニ君の気持ちがあまりに嬉しくて、


「ほんとごめんねっ! ありがとう!!」


 深いことはなにも考えずに、彼の胸に飛び込んでいた。

 胸に顔をうずめて、両手で彼の背中をグッと抱きしめる。


「あ、赤根さん、ダメだよ。服が濡れちゃうよ」

「いいよ。だってガタニ君は私のために、もっと濡れてるんだから。それよりもガタニ君が風邪ひいちゃったら困るよ」

「いや、夏だから寒くないし、俺は大丈夫だよ。それより赤根さん、ごめん」

「なにが?」


 なんで突然謝るのか理解できずに、抱きついたままガタニ君の顔を見上げた。

 すぐ目の前に彼の顔がある。


 この距離なら……ちょっと首を伸ばせば、キスができそう。


 あっ、いやいや、でもっ!

 やっぱりそんな勇気は起きない。


「前に傘を貸した時にもさ。俺が風邪ひいたらイヤだって、赤根さん言ってくれたよね。なのに俺、また、こんなことしちゃって……ごめん。赤根さんが悲しそうな顔してたからさ。なんとかイヤリングを探したいって思ったんだよ」

「んもう、ガタニ君! そういうとこだよ」

「え? どういうとこ?」

「そういうとこ!」


 そういう優しいとこが、好きで好きで大好きなんだよ。


「全然謝る必要ないから。ホントにありがとう」

「あ……うん」


 ──大好き。大好き。大好き。

 思わず頬をガタニ君の胸にスリスリしてしまう。


「あの、赤根さん……」

「ん? なに?」

「そろそろ離れないと。周りの注目浴びてるし」

「……へ?」


 顔を彼の胸から話して、周りを見回した。

 確かに、駅舎内を行き交う人たちがみんなこっちを眺めてる。


 うっわ、やっばっ!!

 我が町一番のターミナル駅の駅舎内で、抱きついている!

 この街の皆様の注目の的だぁっ!


 慌てて離れた。

 顔が熱い。きっと真っ赤になってる。


「え、えへへ。恥ずかしい思いさせてごめんねガタニ君」

「あ、うん。大丈夫」

「でもそのずぶ濡れの服、なんとかしなきゃね」

「家に帰って着替えるよ」

「ガタニ君って家どこだっけ?」

「△△駅」

「ここから5駅くらいだよね。だったらウチおいでよ。シャワー貸すし、着替えもお父さんのスウェットあるし」

「え? ……悪いからいいよ」

「だってそんなずぶ濡れのままずっと電車に乗ってるなんて気持ち悪いだろうし、恥ずかしいでしょ。私んは一駅だから、ちょっとの我慢で済むし」

「でも赤根さんの家の人が変に思うでしょ」


 あ、そっか。それを心配してるんだ。


「それなら大丈夫。前にガタニ君は、ウチのお母さんに会ってるし。事情を説明したらわかってくれる」

「お母さん……」

「あ、それにさ。お母さんがこの前のお礼をしたいって、ずっと気にしてるんだよ。ちょうどいい機会だから来てよ」


 私が足をくじいて、家まで送ってくれたこと。

 お母さんはガタニ君にすごく感謝してる。

 ぜひお礼をしたいから、また連れて来てよって言われてる。


「そっか。うん、わかった」


 こうして彼と二人で私の家にに行くことになった。


 この時はずぶ濡れのガタニ君を目にして必死だった。

 だけど電車に乗ってちょっと冷静になったら、彼を家に呼ぶなんて、なんて大胆なことをしたんだろうって、顔から火が出るほど恥ずかしかった。


***


 ガタニ君がシャワーを浴びる水の音が聞こえる。

 今彼は、いつも私が使っている浴室で、裸でいるんだ。


 ぽわんと、彼の裸体が頭に浮かんだ。

 引き締まった身体。厚い胸。太い腕。


 うわわ、ちょっと待って!

 ヤバい。ヤバすぎるっ!


 だって裸だよ!

 裸のガタニ君が私と同じひとつ屋根の下にいるんだよ!


 ど、どうしたらいいのっ!?


「ほらくるみ、これ着替え」

「え……? あ、お母さん、ありがとう」


 母がお父さん用に買ってあった新品の下着とスエットを出してくれた。


「それとこれ。ジュース入れたから、彼に飲んでもらって」


 コトリと音を立て、母がテーブルの上にグラスを置いた。私の分と二人分。

 あわあわしてるばかりの私と違って、さすがお母さん。テキパキしてる。あーん、情けない。


「あ、ありがとう」


 新品のスエットを抱えて、風呂場に行った。

 脱衣所に入ると、すりガラスの向こうに透けて、ガタニ君の姿が肌色に見えた。


「着替え、ここ置いとくね」

「うん、ありがとう」


 裸の彼と話すのがめちゃくちゃ恥ずかしくて、そそくさとリビングに戻った。


「くるみ。ガタニ君って、ホントにいい子だね」


 さっきの出来事を説明したら、お母さんは感心しきりだった。


 うん、そうだよ。

 わかってるじゃんお母さん。


「うん」

「……で、くるみ。あなた彼と付き合ってるの?」

「ふぇっ……」


 ヤバい。お母さんに疑われてる。

 気持ちを落ち着けるために、ジュースをひと口飲んだ。


「あ、いや……ま、まだだよ」

「そっか。彼のことが好きなんだね」

「いや別に。そういうわけじゃないし」


 お母さんはプッと吹き出した。

 なんで?


「だってさっきくるみ、まだ・・付き合ってないって言ったじゃない。好きじゃなければそんな言い方しないよね?」

「ブフォッ……」


 思わずジュースを吹き出した。

 少ししか口に含んでなかったから、大事には至らずに済んだ。

 お母さん、鋭すぎるよ。


「あっ、そうだくるみ。お母さんちょっと買い物しなきゃいけないのを思い出したから、ちょっと出かけてくるね。2時間くらい帰って来ないから、ガタニ君にはゆっくりしてもらってね」


 ──え? まさか。


 ガタニ君とこの家で二人きりになるってこと?

 いやいやいや、無理無理無理!


「じゃあね!」

「あ、お母さん待って……」


 私の叫びも虚しく、母は急いで出て行ってしまった。

 いや、今ウインクしたよね?

 わざと出て行ったんだよね?


 ちょっと待ってよ!

 彼と二人きりだなんて、ホントに緊張しすぎてどうしたらいいかわからない……。

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