第7話 「まさかって本当にあるんですね」

「え…、はぁ…わかりました」


「堀です。あらためまして」


「今、部長から最後に挨拶するようにとのことですので、申し訳ありませんがお付き合いください」


「前回の物流部の会合でもお話しましたが、本日が最終出社になりました」


「こんな花束やお菓子まで頂いて、また物流部だけでなく今日はセンターのみなさんにこうやってご挨拶できるのはうれしいのですが、これから私の仕事を引き継がれる方には申し訳なくて…本当にすいません」


「今日も普通に出社したのですが『ああ、今日が最後なんだな…ってね、高校のときから持っていた定期券もなくなるのだな…終わっちゃうんだな…』って不思議な感覚でした」



「『人生の三つの坂』ってもう聞き飽きてますよね、僕も披露宴に何度か出てますが、3回は聞いてます」


「『乃木坂』『日向坂』『櫻坂』…」


「はい、ちがいますね、

『登り坂』『下り坂』そして『まさか』です、

何度も聞いています」


「披露宴会場では、人生にはいい時も悪い時もある、そして予想もしていなかった『まさか』もあるから夫婦で乗り超えて…というお話になります」


「私がこの会社に新卒で入社した時には自分がこんな退職の仕方をするとは思ってもみなかったです」


「きっと地元の埼玉のどこかに家でも買って、定年まで勤めるのだろうな…そう思っていました」


「このたび妻の薬局を手伝うことになりました…」


「妻の実家は薬局を経営していまして、本来でしたら弟、義弟である薬剤師の長男さんが店を引き継ぐことになっていましたが、その弟さん、家を出て行かれたのです」


「他に兄弟もいるのですが、薬剤師の資格を持つのは私の妻だけになりました」


「処方箋枚数も多くて、駅前で、薬局の上に整形外科、隣のビルに小児科のクリニック、近くに眼科もあります。家族以外の従業員もいますので妻だけだと難しい…堀君、助けてくれないか…そんなことになりました」


「まさか弟さんが出て行くとは…

 まさか妻が引き継ぐとは…

 まさか自分が薬局のおやじになる為に50過ぎで会社を辞めるとは…

 50を越しているんですよ…」


「人生、まさかって本当にあるんですね…」


「皆様にもきっとあります、まさか…」


「せっかくのまさかですので、いいまさかにしようと思います」


「勉強しまして、登録販売者の資格をとり、民間の検定ですが調剤事務管理士もとりました」


「でもね、僕はこの会社、ベビー用品のメーカーとしてのこの会社、意外と好きなのです」


「会社の名前を言うと『ああ、昔この子が使ってた…』ってね、皆さんもよく言われますよね。この業界ではメジャーですから…」


「大学生のときにゼミで、当時はバブルでしたから『なんでそんな会社行くんだ…』と言われましたが、数年後バブルもはじけて子供ができるころになると同じ人間が言うのです。『堀が一番いい会社に行ったのかな…』社員販売頼まれます」


「あとね、筑波にこられて、物流に異動できてよかったです。新卒でシステム室に配属されて20年…。その後こちらに来て7年…」


「あのままシステム室にいたら傲慢な人間になっていたと思います。こちらにこられて本当によかったです」


「システム室だともう超ベテランだし別の部署から見ると面倒くさい部署だもんね、正論ばかり言って…」


「新卒で入社して30年近くいて異動が一回ということと、20年同じ部署っておそらくこの会社のレコードなんです」


「いい意味で考えればシステム室に必要だったのでしょうが、悪い意味だと他で使いようがない…、きっと悪いほうですよね」


「物流にこられてよかったです、本当に…。これからの『まさか』の先の人生ためにも本当によかったです」


「よく退職される方のご挨拶で『みなさんには感謝しかありません』って言ってましたが、なんだよ、本音言えよ、うらみもつらみもあるだろうって思っていました」


 みなさん笑っています。


「でも、確かにこの物流センターの皆様には感謝しかないです、そうゆうもんなんですね。そう、それに茨城県、私は好きになりましたよ」


「この前、大学時代の友人で、僕と違って頭がよくてね。母校の大学出たあとにさらに早稲田の大学院に行って、今はある証券会社の法務部にいるのですがね…」


「辞めるにあたって法律的に気を付けることある…って訊きましたが、それはいいとして…」


「お互い性格がわかりすぎているので、言われましたし、思いました」


「『堀ちゃんも俺もさ、絶対にできないし、その気もないけれど、もっと日和った生き方もあるんだよね』って」


「お互いそんなことは不器用でできるはずもなかったのはわかりきっていることだし、彼も僕も後悔はまったくないのですが、サラリーマン生活の締めくくりとして、ちょっとそんなことも思いました…」


「不器用ですからね…今も昔もこれからもきっとね…」


「いろいろと本当にありがとうございました…」


*****


「ただいま…」


「終わった…これもらったお菓子とお花…」


「終わった…サラリーマン終わった、終わっちゃった…」


「終わっちゃったよ…アヤミさん…終わっちゃった…」


「おかえりなさい…」


「長い間お疲れさまでした…」


「疲れたよね、ごめんね、薬局に入ってくれて本当にありがとうね…」


 何の涙かわからなかったですが、玄関で妻の肩におでこをのせながら僕は泣きました。


              了

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異動先はロジスティクス(最初で最後の異動と…) @J2130

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