後編。

「あとでどうせ殺すから、期待はすんなよ、アホ学者」


 ひゅー。ひゅー。ひゅー。世界には知らなくてもいいことがきっとある。これは間違いなくそうだ。死ぬ間際の音が聞こえるってことは、死にそうってことだから。腹を撃たれたときに、喉から頭の中へ響く音をわたしは今日初めて知った。


「がっ、あ、おまえ、クソ……」


「罵倒しか出ねえかよ。ったくよ、今度から仕事相手の素性は調べた方がいいぜ。お利口さんのウイルス程度じゃ壊せないし、迷わず報復を選ぶ組織や、運転手の傍らで掃除屋を営んでいるやつもいる」


 特に後者に気をつけた方がいい。アレイナは銃を弄びながら得意げに言う。土地勘があるということは、消えるのも消すのも上手いということだ、と。わたしだって何も調べずにアレイナを雇ったわけじゃないが――


「お前、地下ネットのジョブサイトで俺の評判調べてたろ。そこまで含めて情報が駄々洩れなんだわ。闇社会舐めててネットリテラシーがない、ダブル役満な」


 しゃがみこんだアレイナがわたしの顔を覗き込んできてそう言った。リテラシー。聞き馴染みがなさすぎる言葉だったが、しかし、なるほど、そういうことなら学んでおくべきだったかもしれない。腹の中に焼けた鉄があるみたいな痛みと、脇腹と太ももをつたう血液は、思考能力を奪い、人を素直にさせる力があるらしい。噛みつく気力もなくて、わたしはアレイナの話を静かに聞いている。


「さてと。お前は適当に情報絞ってから殺したいんだよな。そろそろこいつも怖いしね。思っていたよりずっと怖い」


 彼女は立ち上がり、ついにロミコと対面する。よれた汚いツナギの女掃除屋の前に立ちはだかるのは、巨大でおぞましく、身体中からいくつもの顔と、脚と、腕と、諸々が突き出した怪物。薄暗く紅い部屋、充満するのはわたしの流す血の匂いと、ロミコが垂れ流す獣臭と、アレイナから溢れる殺気。動物的牽制。彼女もキメラをはじめ動物たちと同じような暴力的コミュニケーションを得意とする集団の一員らしく、膠着状態という雄弁な沈黙を、わたしは野蛮だなと冷めた目でみている。


「こいつ、どうやって制御してた?」


「……愛だよ」


「ふざけてんじゃねえ」


 アレイナはロミコを警戒しながらも、器用につま先でわたしの腹部をけり上げる。「げぇっ」っと無様な声が喉から漏れて、そろそろ怒りの方が込み上げてきた。


「こいつは地下を暴れまわってたバケモンだ。お前はそれを、どうにかして手懐けた」


「……買い、被りすぎじゃない? げほっ。わたしはたまたま、こいつと仲良くなっただけだよ」


「とぼけやがって……。これは交渉なんだぜ。いくらお前がアホ学者でも、その知識にはリスペクトがいるよな? あっしはその知識に、「これ以上の苦痛からの解放」っていう報酬を渡してやる」


「クソみてえな……二択」


「詰んでんだよ、お前は。ならせめてマシな終わりだろ」


 非常に一般的な地下住人の論理をどうもありがとう。こんなに喋っていても、ロミコたちは動こうとしない。それほどまでに、彼女のことを脅威であると感じているのか。


「渋る理由が分からんね。どうせ殺すんだろ、これはさ」


「そ……んなわけあるか! 彼女は……わたしに必要なんだ。お前には嘘しか言ってねえんだよバー……おえっ……」


 馬鹿、と言おうとしたら蹴られた。アレイナはふん、と鼻を鳴らして、溜息をついて言った。


「もういい。ならプランBだ。こいつは眠らせて、回収する。お前はやってきた『未来のための技術保全協会』に拉致されて、おもちゃとして死ぬまで弄られる。これで決まりだな」


「あ、ちょっと待っ」


「まずはこれからだ」


 そして膠着状態は破られる。アレイナは目にも留まらぬ速さで、どこに提げていたのだろうもう一丁の拳銃を取り出し、ロミコたちの肉の部分――露出する様々な外骨格、体毛の中でも、特に筋肉のように見える部分――へと狙いを定め、発砲した。ロミコも同じくらいの速さでアレイナに接近しようと試みたものの、間もなく撃たれた部分から脱力し、動きが止まる。


「数十種類のキメラって聞いてたからな。とんでもない濃度の麻酔弾を持ってくるハメになった。大型の奴でも一日中昏倒するって代物だ」


「実弾じゃ……ない……?」


「殺すなってお達しなんでな。若干業務の範囲外だが、まあ、銃を撃つって点で一緒だ」


「そう……か……」


「そういうわけなんで、諦めな。あの組織の拷問は調べたことがあるけど――まあ、お前みたいな奴らが何十人も集まってイマジネーションの力を発揮させたみたいなことをしてたよ」


「……何百だよ」


 わたしは笑っていた。朦朧になる意識の中で、確信したからだ。わたしはやはり、ツイている。


「あ? まあ何十人でも何百人でも別に知らないけど……」


「……違~う。……彼女たちの、話だよ」


「なに」


「お前には、嘘しか言ってねえんだよ」


 わたしは大きく息を吸い込んで、可能な限りの大声で叫ぶ。


「たすけて~~~~~!!!!! ロミコ~~~~~!!!!!」


「あ――……? え」


 瞬間、わたしの視界から、わたしを見下ろしていたアレイナが消えて、いい気分になった。


 お前はロミコに危害を加えたのだ。研究の結果分かった。彼女たちの中にいる種の数は、植物すら含み数百、数千を超える。衝撃にも熱にも、放射線にすら耐性を持ち、毒を受ければその部分は切り離し、あらゆる抗体を瞬時に生成して再生する超生物。そんじょそこらのキメラの一緒にしてもらっては困る。わたしが欲しがるほどのモンスターだぞ。


「がっ……ひっ、あ……」


 アレイナはロミコの巨体に跳びつかれて、三本の長く硬質な爪で首と胸と腹を突かれていた。辛うじて生きているのを見る限り、彼女自身もいくらか肉体を改造しているのだろうが、その極点たるロミコには敵わない。あれと対する限り、捕食者と被捕食者の関係を押し付けられる。あれは頂点捕食者なのだから。


「あり……え、な……」


 彼女は未だに現状が信じられないらしい。どうやらよっぽど腕には自信があったのだろう、あの膠着状態が「ロミコがただ手を出すべきか躊躇っているだけ」であるとは、思いもしなかったらしい。わたしは安全になったのを確認して、万が一のためにジャケットに入れていた治療ジェルチューブを傷口に突き刺し、流し込む。速乾で傷口は塞がり、あとはナノマシン群がなんとかしてくれるだろう。本当は安静にすべきだが、アレイナを馬鹿にしたくて仕方がなかったので、わたしは無理やりに立ち上がる。


「……おま……な……んで……」


「だから言ったのに、愛の力だって」


「し……ね……」


「おまえが死ね。食べていいよ、ロミコ」


「ちょ――――――」


 それがアレイナの最期の言葉だった。彼女はロミコたちに腹から切り開かれ、啜られた。壁と床には彼女だった液体だけが残る。わたしはグロいのが得意じゃないので、その程度の景色しか見ていない。命って儚いな、とだけ思った。


 傷口が痛むので部屋の隅っこで座りながら、これから来るらしい『未来のための技術保全協会』の連中はどうしようかな、なんてことを考えていたら、背中にすり寄る熱を感じた。振り向けば当然、そこにはロミコがいて、大量の触手を伸ばし、大きく口を開けている。


 さっき人が粉々になっていった場所に入るのは嫌だったが、断るわけにもいかず、わたしはしぶしぶ、口内に残る食べかす――骨とか、肉とかっぽい――に顔をしかめつつロミコと対面する。


「あ、えと、ええと。食べ、ちゃった」


「うん」


「も、もう、だれも、だれ。だれも、たべた、たく、なかったのに」


「けど、食べなかったら、危なかった」


「うん、うん、うん。け、けど」


「わたしも、危なかった。ロミコのおかげで、一緒にいれるんだよ。ありがとう」


「え、あ、うえ、へへへ。あ、けど、でも、あ、あう」


 彼女は葛藤している。きっと、ロミコの中でも、「人を傷つけてはいけない」なんていう主張は弱くて、身体は動くのだけれど、だからこそロミコの人格がその二律背反に苦しんでいる。苦しんでいる子供に先生がしてあげることといえば、やはり苦しまないように導いてあげることだろう。


「ロミコは、さ」


「あ、え、うん、え?」


「わたしが好き?」


「うん、うんうんうんうんうん!」


「先生もね、あなたがすき」


 わたしはロミコの胸に触れる。いくつもの鼓動を感じる。その中で一つだけ、ひどく高鳴っている。見つめる視線が交差して、瞳の奥を覗き合う。


「でも、わたしは死んじゃうかもしれない」


「な、ん、いあ、いや、いやいやいや、いやだよ、あ、ああ――」


「大丈夫、今すぐには死なないから」


「なんで、し、し、しなないで、いな、いなくならないでぇ……こ、こわ、こわ、こわい。の。わ、わたし、たち、だけは、いや、いや。せ、せんせい、を、みん。みんな、ほしがって、る」


 予想通りだった。刷り込まれた管理者への執着。「強い力を持つからこそ、一つのものに依存させてしまえば管理しやすくなる」のだと、記録には残っていた。植え付けられているのは恐らく不安だ。「せんせい」がいなければ、安らぎを得ることができなくなる呪いだ。


「ありがとう。わたしも、ずっと一緒にいるつもりだよ。けど、わたしを殺そうとする悪い人たちがいるんだ」


「あう、わ、だめ、それは、は、やだ。いるの、いや」


「でしょ? でも、わたしとあなたたちが一緒にいるためには、そいつらを殺さなきゃいけないの。けど、わたしには力がなくて、きっと一人では死んでしまう」


「やだ、やだ、やだ……。そい、いつら? をころ、ころしたら、ずっと、ずっと、いっしょに、いっしょにいられ、る?」


「ええ」


 じゃあ。ロミコは言う。わたしは続ける。殺してくれるのね。ロミコは言う。うん。それで。わたしは続ける。もう何も言わなくていい。何も苦しまなくて大丈夫。ぜんぶ分かっているから。ロミコは言う。うん。


 もう何も、言う必要はないよ。わたしが全部、考えてあげるから。


 手始めに、迫りくる連中を殺しに行こう。あいつらは悪人だから。わたしたち二人を殺しにくる奴らだから。一緒に、殺して殺して、殺して、殺して。


 あなたは、わたしのもの。


 わたしは、この世界を手に入れる。


 頂点捕食者よ。全ての頂点に君臨する女王よ。


 わたしはおまえの全てをいただく。


 畏怖も、威容も、力も。全てはわたしの所有物になる。


 ロミコ。大きな力に巻き込まれて、搾取される憐れな少女。


 わたしはおまえの全てを奪う。


 何も考えなくても、わたしが全てを決めてあげる。


 優しさで、思いやりで、溢れるほどの愛を注いで。


 理念も、言葉も、知性も、人間らしさを剥奪して。


 わたしは、お前ロミコを殺す。


    †


 わたしは、せんせいがすき。


 せんせいは、わたしたちがすき。


 いままでのせんせいたちも、みんなそう。


 みんな、じぶんのことがすき。


 みんな、わたしはそんなにすきじゃない。


 けど、さいごはみんな、わたしがすきになる。


 みんな、わたしとひとつになる。


 わたしは、いちばんのほしょくしゃだから。


 せかいはもう、わたしのものだから。


 だからせんせい。


 かわいいせんせい。


 なんにもわかってないせんせい。


 わたし、せんせいが、だいすきだよ。

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地獄は日と無縁 前野とうみん @Nakid_Runner

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