中編

 わたしは、知識と銃によって救われた。


 調査依頼を受けた時のわたしは、「廃路線の忌み子」の呼び名で彼女を認識していた。そして、呼び名のどれもが、所詮は「気をつけろ」程度の意味しか持たない記号にすぎないとも知っていた。


「あ」


 わたしとロミコとのファーストコンタクト。なんと間抜けなことだろう。ランタンと拳銃――地下市場で売ってた9ミリを使う小型拳銃。そして、粗悪品――を構えて化物を捜索していたわたしは、天井に貼り付いていたそれに気づかず、迫る影を認知したその瞬間には捕食されていた。


「クソっ、死ねっ」


 とか悪態をつきながら、必死で口内に発砲するも、来るべき音も衝撃もない。そこでわたしは、動作テストも清掃もまともに行っていなかったことを思い出す。文明が生んだ最強の暴力装置が、専売特許である暴力行為において、質量以上の価値を有していないことに気づく。


 次に訪れるであろう、自身の肉体が砕かれる痛みを想像して、目を閉じる。


 セオ・マルフ。どんなジャンルにも中途半端に手を出し、体系化するところまで身につかずに逃げ出してきた不良科学者がわたしである。齢27。研究者社会の面倒臭さに馴染めず、ドヴォルガニカに呼ばれるほど優秀でもなく、無資格で様々な違法組織やら企業やらの犯罪に加担し、たぶん数十人の命を奪って――たぶん、というのは、わたしは作った毒も暴走させた生体兵器も、作ったあとにどうでもよくなって被害を事後報告で聞き流していただけだから――とんずらし、ようやく訪れた不良学者の黄金時代に、せっかく買った銃も撃てず終いで、こうして終わりを迎える。


 ツイてない!


 わかっている。なにもかも、自分が改善できることはいっぱいあったって。努力さえすればもうちょっと良い死に方ができたってことくらいは。けれどしょうがないのだ。面倒なのだから。しょうがないのだ。とりあえずその時の興味にあった研究をして、気が向いたら発明をして、物さえできればそれで満足なのだから。今回だって、「廃路線の忌み子」ってのが恐らくドヴォルガニカ製のキメラの実験体だと目星をつけて、殺して解剖して何体から成っていたかを調べたら写真を掲示板に貼りまくって自己顕示欲を満たすのが目的だったのだ。それが、こんな。


 走馬灯というのはこういうことなのか。こんなことに至った経緯をひたすら回想した。回想、終わってしまったが? 


「ね、あ、ね、ねえ」


 このタイミングで、声など聞こえるはずがない。それも、少女らしい声だなんて。恐る恐る目を開ける。周囲は生暖かい、肉っぽい熱に包まれていて、足首とか背中がむち打ちめいて痛かったから、夢とかあの世でないことは確からしかった。じゃあ、クジラに飲み込まれたピノキオのような? わたしは更生するくらいなら自死を選ぶが。そんなことを考えながら、消えてしまっていたランタンを付けた時、「変わった口蓋垂だな」と思ったのがファーストインプレッション。我ながら、最悪で。


「わ、わた、わたし、が、あ、たし、たちが、こわく、く、な、ないの、の?」


 目が慣れて、そこには少女が生えていた。下半身はなく、裸の上半身だけが、しっかりと生えていた。毛髪もある。わたしに似た色の白髪は無造作な長髪で、前髪の間から真っ黒な瞳が覗く。


 いや、こわいよ。そんな言葉をぐっとこらえて、知性があり、会話ができるらしい相手との最善っぽい態度に切り替える。


「だいじょうぶ、こわくないよ。わたしは、セオ……教授。あなたとお話をしにきた」


 我ながら凄まじい豹変っぷりだ。咄嗟に銃はジャケットに仕舞い、簡潔に敵意はないことを示し、あくまで穏やかに振る舞う。たぶん見えてるよな。注意深く彼女を観察しながら、にこりと、友好的な笑顔を作る。不良学者はビジネスだ。営業スマイルもお手の物。バレない程度に嘘をつくのも基本だ。


「きょう、じ、じ、じゅ、て、なに……」


 よりにもよってその嘘が指摘されるのは予想外だったが。


「あー、しらべる人。おしえる人。教育者? ちがうな。研究……あ、そうだ、先生だよ」


「あ! それ、わかる!」


 わたしの「先生」というワードにテンションが上がったのか、急に世界が揺れ始める――つまり、彼女が生えている元が動き回っているということ。そして、口内の壁面から触手らしきものが伸びてきて、わたしの身体を絡め獲り、少女へと近づける。


「あっ、ちょっと、食べないでくださ――」


「せんせい、すきー!」


 胆を冷やしたのも束の間。わたしは少女から抱き着かれている。驚きと、ジャケットの内側を粘膜まみれにされる不快感と、の影を感じる気持ち悪さと、しかしわたしのことを上目遣いで見つめる少女の可愛らしさに、なるほど、興味をそそられた。


 わたしは、この生き物が欲しい。





 ロミコは、自分でそう名乗った。一個体の名称でなく、集団の中の一個人として。臨界点。くっつけてみることができる限界を探る。そんなグロテスクな試みの産物として、彼女たちはある。


 キメラの代名詞は難しいので、いつも感覚で使っている。キメラの総体を指したいときは「あれ」とか「これ」とか言いたくなるし、ロミコと名乗ったあの可愛らしい少女を指すときには「彼女」と言いたくなるが、しかしテンションで混同する程度の執着だ。


 彼女の壊れたコピー機のような発言を丁寧に聞き、交流するうちに分かったことは、


・ロミコは「人間と接する際の代表者」に過ぎないということ


・自分たちと同種の生物が現れれば、それに合わせた代表者が表出すること


・飢えてはいるがまずは声をかけ、攻撃的なようであれば捕食すること


・「せんせい」と呼ばれる役職に好意を抱くよう教育されているらしいこと


 で、なるほど、わたしは敵対し損ねたことで命を拾ったようだった。圧倒的不ヅキによって生存をツモったのだ。そして、個人的に調べて分かったことは、


・あれは「頂点捕食者計画」というふざけた計画の副産物だということ


・生存能力、戦闘能力、知能、特殊生態まで含めて、神がかったバランスで多種多様な生物の要素が共生させられているということ


・あくまで「人間」は司令塔の意図で組み込まれたらしいこと(実際はもっとうまく共存している)


・ロミコは元々、大陸国軍が誘拐した孤児であったということ


 くらいだろうか。ドヴォルガニカ崩壊の直前で計画は解体、彼女たちを管理していたたちは異動となり、あれの処分は書類上は「廃棄」と書かれていた。ただ、その廃棄処分の内容も、実験体を処理する用の軍事機械――これも機械の性能テストの一貫だったのだろうが――がうじゃうじゃいる大きな空間に投棄されるというもので、つまりあれはドヴォルガニカが誇る機械群を圧倒し、逃げ延びられる力と隠密性を持っているらしかった。


 だが、飢えているというのが彼女たちにとって一番の危機だそうだ。性質が暴力的でないのは、前任の先生とやらがずいぶんとだったことの成果らしい。それもあって、普段は陰でじっとしているらしいが、しかし命という仕組は生きているだけで飢えるものだ。普段は他の動物――地下ワニとか地下ライオンとかだろう――やら異形ハンターやらを、対話からの蹂躙プロセスで喰らっていたらしい。だから、飢えずに済む環境を提供してあげると言ってやれば、彼女たちは内部での全会一致でわたしに従うことに決めた。どうやら例の廃棄処分も現状の孤独も、遊びにすぎないと思っていたらしいので驚きである。


 そこでまず、場所が必要だった。そういえば、最近ちょうどいい大きさの部屋があったなと思い立ち、わたしの雇い主であった『未来のための技術保全協会』がこの地区で根城にしていた101号室にウイルスをばら撒いて関係者を全員殺して、死体は綺麗に溶かした。化学もかじっていてよかった。


 使用したウイルスの元になったのは、だいたい一人目の感染者から3回感染を行うと死滅するもので、顔の知らない知り合いの知り合いまで辿り着いて殺せることからとある俳優の名前がついていた代物である。わたしはこれをせっせこ改造して、このNGOと、NGOの裏取引に絡んでいる悪人を皆殺しにできるように範囲レンジを調整したのだ。というわけで、アレイナには嘘をついている。あるいは、情報通な彼女のことだ。彼女はわたしの嘘を見て見ぬふりしているのかもしれない。どちらにせよ、わたしにはこの地下で最強と言ってもいい生物を従えている。


 とにかく、場所は確保できたので、わたしはあの部屋でロミコを飼いながら、生態を観察して、どう使いこなすかを模索中である。


「せん、せえ?」


「ああごめん、ちょっと考え事をしててね」


「あ、あ、あー。な、るほど! や、っぱり、あたま、いい、いい、いいもん、ねぇえ? いっぱい、いっぱい、かんが、かんがえてる、かんがえてる、かんがえてるん、だ、だ、もんね」


「まあ、ね」


 彼女との日々は続いている。わたしは彼女の頭を撫でながら答える。組成の解析はあらかた終わり、今は肉体のスペックを研究中だ。今回はグローブとブーツから粘液を三度目の採取中。分泌箇所によって微妙に成分が違うので興味深い。分泌液から判明した生物種は現状3種類だ。ゆっくりと、しかし着実に、わたしの計画は進む。


 わたしは、この地下が欲しい。


 認められなかったことの鬱屈とか、馴染めない社会への反逆とか、よりももっとチープに、面白そうだから、欲しいから欲しい。欲しいものは、わたしのものでないと気がすまない性質たちなのだ。計画の実行のためにあれが必要なのだ、なんてマッドサイエンティストだけど、わたしは特異なんかではない、地下社会のおいて極めて平凡なマッドサイエンティストであることを心得ているくらいには謙虚だ。けど、いいものを運で引き当てたし、せっかく興味が持てる内容が実現しそうなんだから、やらない手はない。


 しかしここで、問題が生じている。どうやらロミコ、あの少女は頭が悪い善人だ。あんなに奇異で、狂った環境におかれているのにも関わらず、「人を傷つけてはいけない」という思想だけが明確らしい。記録には、ある辺境の宗教系の孤児院にいたところを誘拐したと書いてあったが、当時から人を疑うことを知らず、その思想から一切の抵抗をしなかった――ので、最終的にはその孤児院ごと襲い、大量の検体を確保できたらしい――のだという。敵意を見せた相手だけ捕食するのは、そういった理由に由来する。


 損な連中だ。だから食い物にされてしまう。わたしは食う側がいいから、努めて悪人なのだ。


 わたしの計画には、善性がとてつもなく邪魔で、不確定な要素になると睨んでいる。「だいすき~」みたいな牧歌的な感情は、わたしが欲しいモンスターには必要ない。


 さて、どうしたものか。手放すには惜しい可愛らしさではある。が、計画を止めるほどのものかと言われると、NOだ。思えばそんなに可愛くない気もしてきた。なんかぬるぬるしているし。


 そんなことを考えていると、突然、外から銃声がした。


「わっ、あ!!!」


「落ち着いて、ロミコ、ストップ、止まれ! ハウス!」


 なんとかロミコをなだめて口から飛び出す。すると、続いてこの部屋のドアを激しく叩く音がする。


「セオ教授! あけてください! アレイナっす! なんか変な奴らに襲われてて!」


「なんだ。じゃあ嫌だよ。機密って言ったじゃん」


「ちょっと勘弁してくださいよォ! 機密は破ってたじゃないすか! ホント、ただのチンピラが来てるだけなんで! この部屋に隠れさせてもらえればすぐに撒けるんで! なんにも邪魔しませんから!」


「ったく、面倒ごとを……」


 このまま騒がれ続けても厄介なので、念のために銃を握りつつドアを開ければ、そこには銃口がある。


 アレイナがいる。いつも通りにみすぼらしい、煤だらけの汚い格好で、手には消音器つきの、よく磨かれた綺麗な拳銃を持って。


「おーい、マジか。綺麗にできるんじゃん」


偽装カバーに決まってるだろ、アホ学者。しかし堂々と嘘つくぜ。ここの連中全員殺しておいてさ」


「金なら無いぞ」


強盗タタキがこんな綺麗なベイビーを持ってるかよ。いつなら油断するかなーって、いつでも隙だらけだから、それこそ偽装を疑って裏取りに手間取ったわ。まさか、マジの素人とはね。油断しすぎだろ」


 油断したわけじゃない。銃だってジャケットの下で構えてるんだ。問題は、3回くらい引き金を引いてるのに弾が出てくれないことだ。


「死ね、クソ」


 わたしが悪態をついた直後に鳴った銃声はもちろん、わたしのものではない。

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