第4話

5


 サリアにはどこまでも人を引き付ける才能があった。それは彼女が赤ん坊の頃からそうだった。生まれは最悪の部類で、帝都の貧民街の道端に素っ裸で転がされていた。夏でなかったらさっさと死んでいただろう。暗闇の中で転がったままおとなしくしていた赤子に気がついた、通りすがりの貧乏人の男が、無造作につまみ上げようとしたら、うんざするほどに大声で泣き出した。放り投げてしまいたくなったが、妙にそうともできなくて、ひとまず泣かせたままでその辺の安酒場に入った。あまりにも悲惨な状態でいた手がかりひとつ着てない赤ん坊だが、近くになら姿を見知ったものがいるかもしれない。

 そういう期待を抱いたものの、残念ながら知るものはいなかった。ただ、ファンはたくさんできた。彼女を抱えた男が入ると混雑していた店内のみんなが注目した。

「なんだどうしたお前、子供が産まれたのか」

「誰の子だ? お前みたいなブサイクからこんなかわいい子が産まれるなんて」

 しかしサリアの(この時はまだ名前などついていないがとりあえず赤ん坊の頃の市長のこともそう呼んでおく)全力の必死なまでの泣き声にはさすがにどうしたものかとむさい男どもにはおろおろするしかなかった。店主にいたるまでみな男だったのだが、やむなくその店主が嫌々うら若い愛娘を呼んできた。こんなところに本当は連れてきたくもないのだが、仕方がなかった。店主に似た顔のその娘がサリアを恐る恐る抱えると、やっと泣き止んだ。

「おお、この子は女好きだぞ」

「バカ言わないでください。この子は女の子ですよ」

 娘が反論した。よしよしと彼女が頭を撫でると、少しだけ笑いかえしたのがどれだけ可愛かったことか、数人が心臓発作で倒れかけたほどだ。

 しかしこれからどうしたものか。この店の看板娘はすでにいるし……と店主が言うと、看板娘というがほとんど店に来させないじゃないかとやじが飛んだ。

 引き取ると手を挙げる者が何人かいたが、やはり男が抱くと大声で泣いてどうにもならなかった。それに、店主から見るとどいつもこいつもろくでなしだ。ひとまずは酒場の娘が世話するしかないだろうとはなったが、とはいえども娘にも母がおらず、また彼女も仕事があり、ずっとつきっきりというわけにもいかないし、金にも余裕はない。幸い客共がなけなしの金を集めてくれたが、早めに誰か余裕のある、できれば女の人を呼んできてくれとなった。

「それにしても」と客が帰った後、片付けをしながら店主はつぶやいた。「あいつらがあそこまで子供好きだとは思わなかった。金まで出すなんて、もしかしたら明日が世界の終わりの日か?」

 冷静に考えると、こうして赤ん坊のために集まった金は本来、この店で無造作に使われるはずの金だったはずと考えると、良かったのか悪かったのか。そうはいっても連中にも明日があるわけで、全額を使うわけではない。残すべきはずの金も搾り取ったのだとしたらそれは結構大変なことかもしれない。

 額面以上に貴重なお金もあるし、とりあえず布を巻いただけの状態だから服を買いに行かなくては。……それにしても、かわいい、何かあまりにも見ていて心配になり、なんでもしてやりたいと店主自身も思う。思うのだが、自分にも懐いてくれないのが悲しい。


 翌日になるとどこから伝わったのか、サリアを見せてくれと訪ねてくる女性が多かった。見たらすぐに帰っていくのだが、どういうわけか来る人が変わるたびにその身分が高くなるようだった。最終的に来たのは貴族のお妃様で、もちろんだがこんな貧民街に来るような人ではない。もちろん護衛はしっかり連れてきているが。彼女はずいぶんと腰を低くして店主に頼んだ。

「とある方から紹介を受けて参りました。ご主人、この子は私に引き取らせてほしいのです」

 店主と娘はふたり仲良く驚いた。いったいこんなに格調高い態度を取られてどうやってそれに合わせればいいのかわからない。

 しかし、娘がまず声を出した。

「私、この子と離れるの嫌です」

 不安そうに、しかし身体はしっかりと赤子を守るように抱いてそう言った。

「お前、それは気持ちはわかるが、この子にとっては今ほどいい機会はないよ……」

 店主は目の前の人を気にしながら、ささやいた。

「でも、だって……ねえ、私がいっぱい働くから、この子をうちの子にはできないの」

 そう言い合っていると、お妃様が上品に笑った。

「それであれば、どうでしょう、世話係として、娘さんに当家で働いてもらうというのは。ここからさほど遠い場所ではありません。お父様も不安になることはないと思いますが」

「不安どころか、涙の出るほどありがたいお申し出ですが、よろしいので……?」

「この小さな子がこんなに懐いてるのにどうやってそれを引き離せましょう」

 お妃様としては、急に現れた赤ちゃんがすぐに評判になり、大勢が協力して良い親を探しているというのを聞いて、只者ではないとここに来る前から感じていた。貧民街に捨て子なんて珍しくもなく、ほぼすべてがそのまま死ぬ。それがこんなことになるというのは何か奇蹟的なものがある。魔法があるこの世界ではそういうものへの信仰も深い。そういう不思議な赤子を助けあげることで功徳を積みたいというわけだ。

 むろんそれだけでもなく、彼女もちょうど娘がほしいと思っていた。息子は何人かいるから、子供を新しく産む必要性はなくあくまで気持ちである。やはり男ばかりだとかえって寂しいこともあるものだし、女の子なら余計ないさかいが起こることもあるまい。そして現実に目にして、すぐに赤子の魅力にやられた。サリアの何がそんなにいいのかというと難しいが、極めて簡潔にいえばただのチートである。転生チート。転生したものの、赤子にまだ自我はない。ただのできたての赤子に勝手にそういう能力がくっついているだけ。この時はまだ。



6


 アリシア人が町を出発し、この雑多な集団にしては驚異的に速く進んで、一日目に目指していた地点へたどり着くことができた。結果的に無理のない目標を設定できたことにサリアたちは安堵した。


 ウルはさすがに歩くのが仕事なだけあって、旅路は全然余裕だったが、むしろ自分のペースで歩けないことがストレスだった。ハヅキたちがぴったりついていて道草も食えないし……。まあ、道草といっても道中なんてほんとに草しかない。そんなとこに入っても虫とかが出てきたら嫌なのでどうにもならなかったのだが。

 ここで夜を越すというわけで、あちこちでテントが建てられている。ウルはやたらとでかいテントに押し込められてしまった。奥の方に机と椅子があって、そこに座ればいいらしい。

「で、これからどうすればいいんだっけ」

 ウルがハヅキに尋ねると、何度も説明したというのに彼女はちゃんと話を聞いてくれない相手にも丁寧に答えてくれる。

「これほどの規模が移動しますので、色んなことが起こりますし、想定外の物資の不足がございます。その都度、ウル様に必要な物資を用意していただきたいのです」

 彼女は今日は妙に扇情的なドレスを着ている。いつもは軍服を堅物めいてしっかり着ているのに。それでも女性的魅力は隠れもしないが、輪をかけて今日は特別何か、仄暗いテントの中で色気があるような感じがする。旅で自分を解放するタイプか?

「ああ、そうか。いっぺんに出しちゃだめなの?」

「霧がなければいっぺんに出して置いておけばいいのですが、これからどうなるかわかりませんので、受け取りに来る人が持てるだけの量をお願いします」

 そういうわけで待っていると来るわ来るわで、水がない食料がないというのはうんざりするほど来たし、おむつがどうだこうだというのも多かった。初日からこれじゃいったいどういう旅支度してたんだとウルは言いたくなるが、いかんせん旅を生まれてから一度もしたことのない人間が多い。ウルにしたって人のことは言えず、着替えと多少の私物しか持たずに来ていやがって、今の立場じゃなかったら完全にお荷物だっただろう。

「もう疲れたよ」とウルが言い出したのは夜の8時頃だった。

 満天の星空の下、魔力の灯りが眩しいほどに当たりを照らしている。それはもちろん魔物が寄ってこないようにだ。

「もう少しだけがんばれませんか?」

 ハヅキは恐る恐るでそう尋ねる。ハヅキは上からの命令でウルの尻を叩け、馬のように、と言われていたのだが、それが恐ろしかった。この人がへそを曲げたらおしまいだと思えば下手なことは言えない。自分にはこんな仕事向いていない。もっと……男好きのするような女性とか、人を操って言うことを聞かせられるような人の方が絶対にいい。というかつまりスパイがやった方がいい。自分はただの単純な軍人のつもりだったのだが……。それでも、命令されたからにはやるしかなかった。

 あまり悪く言うと申し訳ないが、アリシア市は脳筋で、スパイに向いているような人材に乏しかったし、ハヅキの上官もそのような思考しか持っていなかった。ウルがどういう人間か、性格はとか何を求めているのかとか、そういう理解もなく、金と女をあてがえばよかろうという発想が出てきた。それでもっとも外見が美しく、そして夫も恋人もいないハヅキが選ばれた。それはハヅキには迷惑でしかない人選だったかもしれない。

 もう今日の仕事をやめたがっているウルに対し、まだ並んでいる仕事。ハヅキは散々言われたことを思い出していた。

「お前は美人だから、絶対にウルもなびくはずだ」

 もはやそれを信じるしかない。でも具体的にどうすれば? こうも言われていた。

「男なんて胸を押し付ければ一発だよ」

 いい加減な言葉に思えてハヅキが怒ると、その女性は謝りつつも、かといって他にアイデアもなく、性的アピールをするしかないのではと言うのである。確かに実質それをやれと言われているわけだが、はっきりいってそれは嫌だった。

 だけど今は人々のため、彼のやる気を引き出すしかない! ハヅキは覚悟を決めた。

「う、う、ウル様……私とえっちなことを……しませんか!」

「……えっ」

 それはいきなりのことでウルは口を開けて驚いた。

「あ、あの……これが終わったら……しましょう。だから……無事終わるまで……その……ガンバッテ!」

「ああ、そういうことか。あはっ、あははっ。ハヅキちゃん、かわいいな」

「何がそういうことなんですか?」

 不安そうにハヅキは聞き返した。

「えっちなことしたくてもすっごく疲れるんだよ。したいのはやまやまだけど……それは先の予約にしてもいいかな? いや絶対やりたい」

「は、はあ……あの……えっと……でも今はウル様にしかできないことを」

「うん、まあ精神力というのは魔法でもなかなか回復が大変なのはわかっているけど、せっかくだから、俺の背中をぎゅっと抱いててくれよ。もしかしたら回復するかも」

「ウル様が望まれるのであれば喜んで!」

 救われたようにハヅキは彼の背中に吸い付いた。

「えっちの約束も忘れずにな」

「あの……今後の頑張り次第ということで……だめですか?」

「ああ? そんなこと言うんならやらねえぞ?」

「ごめんなさい、約束します」

 ハヅキは半泣きになってしまった。こんなプレッシャーのかかる仕事は軍人としてでもなかなかないかもしれない。命だって投げ出す覚悟はしているからそっちはいいのだが、大勢の命への責任が、重くて仕方がない。それからするとウルのどことなく無責任というか、いっそどうでもいいというような態度が理解できなくて腹が立っていたがそれだけはおくびにも出さないようにした。

 ともかく自分の責任を果たすことを決意したハヅキは、甘い声を出しながらウルの背中にしがみついて応援するのだった。なんだこれ何やってんだ私はという絶望感めいた感情が湧いてくるが考えるのはやめた。上官の命令には絶対服従なんだ。こんな命令を出した上官は誰だ?


 どよめきが聞こえてくる……。ウルはご飯にコーヒーまでハヅキの手で口に入れてもらいながら仕事を続けていたが、あまりにも眠すぎてうつらうつらしていたその目が覚めた。どうやら霧が追いついてきたらしく、かなり後ろのテントが崩壊したらしい。ボロいテントが壊れたぐらいで怪我人は誰もいない。敵が詰めが甘いのかそもそもそんなものはいないのか、騒いでいても何も襲ってくることはない。この霧は誰が狙ったものでもない自然現象なのだろうか。テントが壊れても今は外で凍えるほど寒いわけでもないし、今夜のところは雨も降っていない。薄い布団や藁を巻くだけでも寝るには十分だ。

「ウル様、私も後方を見に行きたいのですがよろしいでしょうか?」

 ハヅキは真剣そのものの顔つきで言った。

「ええ……一緒にいてほしいな。なんの用事があるの」

「私もこう見えて(思ってた以上に情けないざまですが)結構重要な役目を担っていますので、非常事態が起きた時はなるべく自分で見ておきたいのです」

「誰かの報告や写真を見ればいいじゃないか」

「自分で見るからわかることだってあるんです! それに、私も困っている人がいたら助けに行きたい……!」

「そんな格好でか?」

「仮に全裸だとしても行きますよ」

「全裸でも?」

「もののたとえですが……」

「そんなにだめなのか、懇願してもだめか」

「今、本当に懇願するのでなければ行かせてください」

 無駄な会話をして無駄に引き止めてしまった。ウルは反省して、かといって自分じゃなんとも言えないので、上官に聞いてみたら?と言った。

 そうですねとハヅキは言って、テントの外に駆け出した。だがすぐに悲しげな顔で帰ってきた。上官とは会えたらしい。

「大人数の魔法により大風を起こし、霧をひとまず押し返した。もちろん一旦引いたところでまた寄せてくるだろうが、あっちはあっちでちゃんとやってるから、お前は自分の仕事をしてくれ。全員の命がお前にかかっているといっても過言ではないのだ」

 そう言われてはハヅキにはどうにもならない。それでおとなしく返ってきて、憂いを増した表情でウルに余計ベタベタイチャイチャし始めて、それっぽい声でやたらと彼を褒めまくった。これはこれで覚悟を決めた、覚悟の色仕掛けであった。

 それが効いたかどうかはともかく、ウルもこんな状況もあって彼としてはかなり頑張ったのだが、さすがにもう無理と言い出してようやく周囲の理解も得ることができた。もう今日はいいですよとご許可をもらえたので、よくもこんなに働かせやがってと、ちょっとあてつけ気味にテントのすみっこで勝手に寝た。魔法力の操作はこれはこれでまた別の消耗があるのだ。ただの地面だが、もう寝床がどうとか考える力もない。横になると瞬間的に眠りに落ちて、ハヅキが優しく布団をかけた。添い寝してほしいとまだ起きていた頃のウルが言っていたのでそのようにした。

 男と一緒に寝ることは別に軍隊にいればなんということもない。性的な意味を持ったことはなかったが。

「明日もこれで大丈夫かしら……」

 ハヅキは何かこの計画自体が無理があったような気になってきたが、対案などもない。いざという時に使うように言われた、素直になる薬物という奥の手がないではないができれば最低限にしたい。市長も被害者や犠牲になる人は可能な限り少なくとおっしゃっているそうだ。ゼロはもはや不可能だが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

力がないから得る力 こしょ @kosyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説