第3話
4
町の、城壁の外の北の平原で待機していたら、あれよあれよと人が集まってきた。だだっ広い場所だが、訓練された兵士たちがよく民衆を統率していて、一見すると整然と並んでいる。だが一角に目をやると、子供とはぐれた、年老いた親が来られない、病人が……などなどとの話が聞こえてくるだろう。実に痛ましい話で、なるべくは都市の責任において連れ出してくるのだが、見捨てていくしかない者が出てくることだろう。はたして納得してくれるだろうか? 人間もそうだが、当然、家や土地も放棄しなければならない。そもそも軍事訓練をするから、遠出できるほどの荷物を持って集まれとしか言われていない。その際、盗まれるかもしれないから、持てる財産も持って集まるようにとも言い添えられていた。言われなくても、基本的にみんな大事なものはアイテムボックスにしまっている。家に置くより安全だ。といっても、やはりたくさんは入らない。だいたい棚ひとつ分ぐらい、MPの個人差があるといっても大きな棚か小さな棚かぐらいのもの。まあ、MPが小さいものは比例して財産も少ない傾向にあるから十分かもしれないが。金貨とか、紙幣とか、そういったものはそういうアイテムボックスに合わせて進化しているから、ほとんど困ることはない。ウルがおかしいだけで、まじめに生きている人間は限られた魔法力をギリギリまで使える魔法に振り分けるものだ。もっともウルの場合振り分けたところで元が膨大なのであんまり変わらないが。
そういうようなことで人々は混乱を極めていたが、ウルはVIP席じみた場所でのんびりそれを眺めていた。護衛に囲まれながら。本来は自分も不安になるところだが、ハヅキがそっとそばにいてくれるので安心していた。
「俺もあの中に入ることにならなくてよかった」
ひとりつぶやいた言葉にハヅキが答える。
「ええ、まことに市民の皆さんに対して心苦しいことでもありますが、私まで今こうして楽をしてしまっているのは、それもすべてウル様が特別な方であるおかげです」
言われ方がどうも微妙な気もしなくもないが、まあ自分にとっては悪いことではあるまいと彼は思った。自分がここからいなくなったとしても誰かが代わりにここに来て楽になるわけでもない。だろう。この護衛の連中は民衆の統率に加わりにいかないといけなくなるのかな?
とはいえ椅子もない場所で突っ立ったまま民衆を眺めるというのも疲れてきた。ちらほら座ってる人もいるので、それに習って自分も座ることにしたが、まるでそれを図ったかのようにどよめきが沸き、すぐ何十メートルか先のちょっと高くなっているところに市長が姿を見せた。
このアリシアの市長は、町の出身ではなく、中央から任命されて来た。人となりはよく知られてなくて、男なのか女なのかもわからない。
なぜかというと市長は仮面をつけていて、体の線が出づらい服装に、体格も中肉中背で男でも女でもありうる。根拠不明ながら、女体に詳しいと自称している人間は女だと主張していた。ウルもなんとなく女っぽいなと思った。彼は人々と逆に後ろから見たからか特にそんな気がしていた。
その市長が演説をするのだが、驚いたことに本人は喋らない。こういう時は魔法で声を大きくし、遠くへ届けるのだが、彼女は隣の秘書らしき女性に耳打ちするように喋り、それを彼女が自分が言ったかのように代弁しているらしい。
それを見ていると不安になるようだが、かといって市長の評判は悪くない。その統治は善政で市民に信頼されている。ハヅキによると、中央からついてきた、特に信頼している側近としかほとんど接しない。役人ですら声も知らず、歩いている姿を見れているだけなのに、不思議と人気があってみんな市長のために熱心に働いているのだという。まるでチート能力だなとウルは思った。
「というかそれじゃ中身が入れ替わってもわからないのでは?」
「え、それくらいわかりますよ、さすがに」
「だって顔も声も知らないんだろう」
「市長は特別ですから、絶対わかりますよ」
断言するハヅキに、ウルは狐につままれた気持ちになった。
「そこで、市民の皆様」
市長(秘書)の話はいつのまにか進んでいた。
「ご説明したようにこの町は滅亡します。いいえ、もしかしたらしないかもしれませんが、希望的観測に命を賭けるわけにはいかないのです。御覧ください」
秘書が大きく腕を広げた方向、市長が小さく指を指した方向から馬車が向かってきていた。正確に言えば馬車だったものである。もはやボロボロで御者がやっとどうにか立ってバランスを取っている状態だった。
「あれは先程まで新品同然だった馬車です。霧の中に入り、一時間滞在して戻ってきたところです。皆様、あれがもう目の前まで来ているのです。これから私たちは帝都へ向かいます。今すぐに種発します。どうか我々の指示に従って、そして全員で力を合わせてください。もはや元の生活には戻れません。生きるために戦いましょう」
それを言ったのはあくまで秘書らしき、いかにも有能そうな見た感じ40代ぐらいの歳の女性なのだが、市民たちの目には市長しか入っていない。マスク越しでもそのカリスマ性というのか魅力というのかが伝わるらしく、ずっと黙って話を聞いていた。もちろん見えている恐怖に対して騒いでいる余裕がないというのもあるが、信用できないからと離脱する人間が誰もいなかった。アリシア市としてそういう者への選択肢は出していた。必要な物はなんでも出すしできる範囲で協力するとしていた。
しかしこの状況で単独行動というのは自信にしても不信にしても、よほどの理由がないとできない。なによりも重大な話として出ていたのだが、あの霧が迫ってくる以上、魔物が襲ってくる可能性がかなり高いであろうというのがあった。確かに単独でこの魔王の霧に飲まれた状況で襲われたら助かる見込みがない。ある程度強い人間ならひとり馬に乗って逃げるのが、最も生き残る可能性が高いかもしれないが、それで助かるのは文字通り自分だけで、何もかも捨ててしまうことになる。
ウルは驚いたのだが、こんな状況で強い人間が考えるのは逃げることではなく、同じ市民を守ることらしいのだ。いったいなんのために自分の力があるのか? 今それを人のために使わなくていつ使うんだ。そういうことを本気で考えているらしい。「やるぞ」と誰かが叫んだらみな一斉に呼応した。魔物が近くに来ていたとしても逃げ去ってしまっただろう。
ちなみにだが、あの馬車はわざと新しい部分と古い部分を組み合わせてボロボロに見えつつなんとか走れるように仕込んでいたのだが、それは些細なことだ。
「私たちを信じてくださってありがとうございます。必ず安全な場所へたどり着きましょう」
そう市長が言った。かわいらしいが震えたような市長本人の声で、聞いたことがあるはずないのにウルには何か懐かしいような感じがした。そしてやっぱり女性なのがわかったので、特に野太い声の男連中がひときわ盛り上がって、市長万歳アリシア万歳と叫んだ。話が終わり、どことなく怯えたように市長は引っ込んだ。どうも市民の心はひとつになったみたいなのだが、ウルにだけはその電気が流れていないみたいだった。護衛の連中やハヅキまでもが興奮して、がんばりましょうねと同意を求めて話しかけてくるのに。
ただ、市長のことは気にはなった。サリアアルバルクライナップだとかいうその長ったらしい変な名前も気になった。ウルもよく覚えたものだ。親しい人にもそうでない人にも名前を呼ばれる時はだいたいサリアと略されているが、この名前は要するに性や氏やまじない的な意味が全部含まれていてわりと厄介なのだ。ウルとかいうシンプル極まる名前とはわけが違う。
「馬にお乗りになったことはありますか?」
仕事でなく個人で馬に乗るのはよほど金持ちか冒険者ぐらいのものだ。馬車はあちこちで見かけるが、あれも意外と高いのだ。そして馬に乗ったことがあるかという質問だが、もちろん馬車のことではなく、自分で操れるかと聞いている。
「乗ったことなんてあるわけないよ」
前世では競馬を見てたりしていたが、今世ではあんまりそれは人気がない。代わりにモンスターを捕まえて戦わせるのが絶大な人気があるが、ウルにはあの野蛮さが合わなかった。血が飛び散り手足が吹き飛び内臓がこぼれ……まあちょっと勘弁してほしかった。ともかく、競馬が人気がないせいかあんまり馬に乗ったり名馬を所有することが名誉ということもないし、実用一辺倒で丈夫であればいいという発想だ。まあその方が健全なのかもしれない。
「ウル様にも乗れるようになってもらうのがよろしいかもしれません。何があるかわかりませんから、色々とできた方が」
「そんなすぐ覚えられるものなのかな」
「簡単な、進む、止まる、左右ぐらいなら、まあどうにか。変に怖がらければ大丈夫ですよ」
「怖くなんかないし」
割り当てられた馬は前世でいうサラブレッドのような馬よりもはるかに小さくて大人しく、操りやすかった。馬といえばだいたいこんなものだ。
市民、軍人、まとめてアリシア人と呼ぶが、彼らは急いで出立の準備をしていたが、やはり想定外のことは起きて予定より遅くなってしまった。とはいえまだまだ日が明るいうちに移動を始めることができた。これほどの、市民を含めての十万人もの大移動はなかなか類のないことかもしれない。ないわけではないが、総じてひどい困難がつきまとっている。
サリア市長は、秘書のシオイと一緒に高台から馬上にて、市街を見下ろしていた。
「サリア様、もう行かないと、市民が出発してしまいます」
「もう少しだけ待ってください。この馬ならすぐに追いつけますから」
サリアは仮面を外していたが、驚くほどの美人というわけではない。美人は美人なんだがハヅキと比べたら全然平凡だし(というよりハヅキが常人離れした美しさなのだが)、髪色も人間に一番多い黒でパッとしなかった。ただ彼女は30歳になるのだが、信じられないほど若々しく、見た目は20歳にもなってないかというほどだった。言ってしまえば彼女は年齢を超越した存在なので、何年経とうが関係がない。
「私は全員を救うことができないんです。まだあそこには人がいる……これから死を待つばかりの人が」
心の苦しさを抑えた声で彼女は言った。シオイも胸の痛くなる思いだったが、しかしその痛みを小さくするのはとても難しい。
「ですが市長閣下、共に連れて行くあの人々ですら、全員を救えるかわかりません。後ろを向くのはまだ早いのです。ですが、最後まできっと私たち、協力して支えていきますから」
「ありがとう。あなたの言うとおりです。大変なのはこれからですね」
馬首を返して彼らの元へ戻ろうとした時、大きな音を立てて誰かの家が崩れ去った。気の早い霧が侵食してきて、飲み込まれた家だった。誰かが住んでいたかもしれないし、住んでいなかったかもしれない。再度振り向くことができずにサリアは馬を走らせた。
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