第2話
3
市庁舎に戻ったら早速、ウルは別の倉庫に積まれた物資を入れさせられた。どうやら彼に直接指示を連絡するのはハヅキの仕事のようで、それに関しては、ハヅキという美女のおかげでストレスが全然ないどころか、思い切り浮ついた気分になっていた。しかし懐に入れた倉庫が5つを超えた辺りで彼も怖くなってきた。今までこんなに物を入れたことがない。さすがは転生チートというべきだが、しかしいい加減自分が破裂したりしないだろうか? ハヅキや他の者の驚きはそれ以上で、この人間の魔法の器はいったいどうなっているのか、むしろこいつの方が怖いわとすらなったのだが、とにかく今はウルが最重要人物と化しているので、最初は一人だった鎧騎士の護衛は増えるばかり。
「あの……あんまり大勢近づかれると外が見えなくて怖いんですけど……」
騎士は答えずハヅキがそれに答える。
「ウルさんが無事でいてくれないと大変なことになるかもしれないんです。私がついてますから、安心してください。安心して……くださいますか?」
ウルよりちょっと背の低いハヅキが上目遣いで彼を見ると、真っ赤になって顔をそむけた。
「ま、まあそもそも疑ったりしてないし。でもこんなにいっぱいどうしたんだ? 本当にこんなに必要なのか?」
「それは、最悪そうなるかもしれないということですね……。この町中だけでなく、近隣の村すべてから人も物も集めていますし」
「いつのまにそんな、俺も一応運び屋だったと思うが、全然気が付かなかったなあ。世の中の動きに興味がなさすぎる実感はあったけど」
そもそもこの時代の世の中の動きなんぞ前世からすると遅すぎる。新しい発明があるわけでもないし、小説ぐらいならないこともないが、漫画・ゲーム・映画、そんなものあるはずもない。芸能がないではないのだが、金のかかる遊びだし、そもそも彼には面白いと感じられなかった。なんなら飯もまずい。こんな肥えた心のままでなんで転生なんかしたのかと思う。
「まあ、秘密に、ひっそり軍を動かしてやったので、なかなか気が付かないかもしれませんね。というより気付かれてたらそれこそ大変と言いますか、混乱が起きますから。きっと」
「軍……そうですか。そういえばこの町は軍事基地だったんでしたね」
とウルが言うぐらい、この場合は魔物との戦争級の戦いなどない。小競り合い程度すらなく個人が戦っているだけだ。だから冒険者の地位が高く軍人は給料泥棒の如き扱いを受けている。しかし市長の人気が極めて高いため、軍隊だとか役人だとかへの当たりも柔らかくてむしろ仲が良いくらいだ。
もちろんウルはそこに興味がなく、ただ人と話す時にここは暮らしやすいとかここに来て良かったなんてことをよく耳にするだけだ。職業柄、色んな町を旅してきた者と接することが多いので、それらの言葉ならたぶんそうなんだろうと思っていた。
「この町にもし住めなくなったら、どこに行けば良いんだろう」
ウルが独り言のようにつぶやいたのに対して、ハヅキは真面目な顔で少し考えてから答えた。
「……それは軍事機密になります。私も知らないんです。でも、私たちを信じてください。私もこの町を、信じてます」
まっすぐ相手を見つめながらそう言うハヅキの可憐な表情を見て、ウルはすでに惚れていたがますます惚れた。ただそれはそれとして不安はあったので、余計なことを口にした。
「でも、ほとんど今まで一度も戦ったこともないんでしょう? 訓練とかはしてるかもしれないけど……」
「確かに軍としてはそうですけど、個々に戦闘経験がないわけではありません。私たちみんな命も何もかも投げ出す覚悟はできていますし。それに、どっちにしても私たち全員がひとつにならないとみんな死んでしまうんです……」
感情の高ぶりを抑えるようなハヅキの声を聞いて、さすがにウルも覚悟を決めないといけないかなと感じた。それでもちらりと彼の頭をかすめるものがあった。
俺だけは今、ひとりで逃げられるな。たぶん。
かといって思うほど簡単にうまくいくわけではない。彼自身、いくら無責任人間だとしても、町の全員を見捨てて逃げるほどではない。英雄になってやろうという心がないでもないし、親しい人や隣人だって一応いるわけだから。
という自分の心の重りに加えて、物理的にも逃げ出すのは困難であった。副市長が豪邸を持っており、いくらでも部屋が空いていて、その一番贅沢な部屋を貸してもらった。しかし一番奥の部屋で、護衛という名の見張り(とウルは感じた)がいっぱいいる。ハヅキ曰く、魔物があなたを襲って万が一のことがあったら、大変なことだからというのだが、そんなわけないだろうと思っていた。魔物がワープでもしてくるというのかと。飛んでくる……ことはあるかもしれないが。まあ、結局それは口実で、俺を逃さないようにしてるんだろうなあと彼は思っていた。
夕食は豪勢な、前世でも食ったことがないレベルの美食を頂いた。この辺は牧畜が盛んなのでそういう材料が主に使われた、洋食のような見た目をしている。この世界の生き物がどんなものがいるかも興味がなくよく知らないが、だいたい同じような見た目の食材は同じような味がする。
この世界は科学は追いついてないが、魔法があるので、パンを魔法で焼いたりとかだいたいなんでもできる。お米も炊ける。味を作ることもできる。ただの味のないパンを味だけケーキにもできる。だがさすがにそれは一流に限定される。将来どんどん魔法の発展が進めばそういうのも一般に広まるかもしれない。
いわゆる学問とか勉強と違って、魔法は実用に直結するものが多いので、親が子に教えたり、仕事上で教えられることが大半である。聞くな盗めという風潮もまあある。こういうのは魔法とは名ばかりでほとんど職人芸みたいなものだ。
逆に疑問は出る。大半が魔法で済ましているものをあえて物理でやったらどうなるのか? できなくはない。わざわざ実物を使っているこだわりの強い職人もいる。非効率的だが熟練度によったら魔法よりもいいものができるのだという。火ひとつとっても薪になる木によって味わいとか色々違うらしい。魔法を使ってしまえば望みの火を出せるようになるものを……。というわけで、現在ですら所詮は一部が抵抗しているのみであるし、将来はおそらく質も量も魔法が圧倒するようになるだろう。
ただしこれは人間界での話であって、他種族においてはどうなっているかわからない。それに、実のところこの魔法主義において魔法力が少ないと出世の道が半分閉ざされてしまう。といっても、魔法力があっても不器用で何にもできないのもいるしなくてもうまいことやってるのもいる。せっかくあるのに腐らせていたのがウルであったが、今回ばかりはそれが良かったし、彼にとっては悪かった。
少しの酒を飲んだこともあって、ウルはすぐ眠りに落ちたが、寝起きは良くなかった。贅沢なベッドだったが、早ければ今日からでも霧に飲まれてしまえば、こういう風に目が覚めることができないかもしれないと思うと起きたくなくなってくる。
「このベッド持ってったらだめか?」
だめなこともない気がしてきた。まあ大金が入るわけだからその報酬から引いてもらえばよかろう。だが、とりあえずまだ寝てもいい時間のようだから彼は寝ることにした。たとえ起きる時間だったとしても俺は寝る!のだそうだ。
朝食はすっ飛ばして昼食の時間になるとさすがに召使いが起こしに来た。お腹も空いていたので大人しく従ったが、その頃にはベッドをもらうのをすっかり忘れていた。
食堂に行くとハヅキが待っていた。朝食も一緒に食べるのを待っていてくれたそうで申し訳なくなって、つい聞いてしまった。
「どうしてずっと私についているんですか?」
ハヅキはちょっとびっくりしたような顔をしてすぐにほほえんだ。
「私は今後ウル様について様々なことをさせて頂くことになっています。身の回りのことも含めてです。私のことは召使い、部下、副官のようなものだと思ってくだされば」
二人は長い机に並んで座った。向かい合って座るとちょっと遠すぎるのかもしれないが、隣というのも距離が近い感じでウルは少し緊張する。
「じゃあ、例えばハヅキさんの手料理が食べたいって言ったらどうなるんですか」
「それは……もちろんご披露いたしますが……今はこのお屋敷の最高級の料理が用意されていますので、またの機会に」
「そ、そうですか。そういえば昨日の晩飯もなにもかも旨かったなあ」
「そうでしたら幸いです。ところで、ウル様、私のことは呼び捨てで結構ですよ」
「そうかな? どうもはずかしい話だけど、ちょっと緊張してしまって」
ウルが顔を赤くして言うと、ハヅキはスススと近づいてきて耳に顔を寄せた。
「私のことを、気に入ってくれてますか?」
耳に甘い吐息が触れるほどの距離でささやかれると、くすぐったくてびくりと震えてしまった。
「どういうことなのか、わからないよ、急になぜそんなことを言い出すんだ」
「これから、私たち一緒に困難を乗り越えていきますから、お互いの相性が良くないといけないと思うんです。仕事上だけじゃなく、個人的にも。それで……私はウル様のこと、とっても素敵な方だと思いました。昨日初めてお会いした時から、信じられる方だと思ったのです」
「そんなバカな、俺なんて……そんな要素あるか? 真面目に働いたことのない人生だ。俺のアイテムボックスを見ればわかるじゃないか」
「いいえ、あなたこそ私たちが求めている方です」
これは盛大に勘違いされているとウルは焦ったが、まっすぐ自分を見てくるハヅキを見返すことができなかった。前世を含めてもこんな美しい人にぐいぐい迫られることもなかったので、彼の思考力はゼロになってすっかりその気になってしまったようだった。
「まあ、どっちにしてもこうなったらみんな一蓮托生だし、やるだけのことはやるよ。何をやればいいのかよくわからんが。でも無理だったらごめんな」
「それは上のもの全員の責任ですから、なるべくウル様がお暇で済むのが一番良いですね」
まったくしょうがないなあ、と話しながら食った昼食がまたうまくて驚いた。しかもなんかの特別な薬草を使っているのか、元気とMPが湧いてくるような気がした。
食べ終わったらハヅキに連れられて、例のごとく護衛たちを引き連れながらどこぞへ案内された。そこではせっせと民族大移動の準備をしていて、まあ本当にご苦労なことだとウルは思った。こんなとこに連れてこられても、いったい何をすればいいのかわからない。くるくると荷物をまとめて各々のアイテムボックスに詰め込んでいる。
「彼らはまだ、自分がなんのためにこれをしているかわかっていません。まだ最重要機密なんです。部外者で知っているのはウル様ぐらいのものなんですよ」
ウルにだけ聞こえるように、ハヅキがささやいた。
「あ、そうなんだ……。それはどうも」
残念ながらそれはウルにはあまり響かず、気のない返事になった。
「あちらの空を御覧ください」
続けてハヅキが指した方を見ると、霧がものすごく近くにまで来ている。先入観なく何も知らずに見ても不吉なものを感じるだろう。
「今、人々を集めているところです。ここにいない兵士たちが先導して連れてきています。町の外、あれと反対側に大勢集まってて、揃ったらもうすぐにでも出発します。その際におそらくはあの霧について発表することにもなるでしょう」
「えっ、そんなに急に発つのか」
「急でなければならないのです。準備万端というわけにはいきません。人々が慌てている間にもう出発してしまいます」
「どこへ行くんだ?」
「帝都へ参ります」
「あんな遠くまで」
「あくまで当面の目標で、外交官の交渉によってはもしかしたらどこか途中の町にとどまれと指示があるかもしれません。でも、あの霧はどこまで来るのでしょうか?」
「世界を覆ったらどうなるんだろうな」
ハヅキは身震いして答えた。
「……人類は滅んでしまうかもしれません」しかしすぐ続けて言った。「ですが、それほどの力はありえません。魔法の一種だとしてもどれだけの力が必要になることか。自然現象だとしたら神が人類を滅ぼそうとなさっているかのようですが、それこそありえないと思います」
宗教に関してはウルとしては複雑な思いがある。前世の宗教観もぼんやりとあることもあるが、自分がこうして転生した記憶を持ちついでにチート能力手前ぐらいの力を持っているのは神の采配なのだろうかと。もしもその通りで自分がいることが意味があってのことならまず自分が死ぬことはなかろうし、人類もまあ大丈夫だろうと。
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