力がないから得る力

こしょ

第1話

1


 この世界では人類の住める土地は無条件で得ることができず、常に魔物たちと生存圏を争ってきた。そんな人類の西の最前線である城塞都市アリシアだが……その町でどうも不穏な雲が遠目から観測された。雨雲とも違うような、どちらかというと極めて大規模な霧とでもいうようなもので、それを見たことのある人間は町の年寄り連中にすらいなかった。

 そんな時、3人の冒険者が2頭の馬に乗ってまるで命からがらのように町へ帰ってきた。彼らは食料を要求しつつ、町の偉い人に会わせてくれと言った。ただ事ではない様子、また、冒険者としても結構ランクの高いパーティーだったので、すぐにギルド長に会うことになった。

「おいおい、ずいぶん腹が減ってたんだな」ギルド長室にて驚いたようにその中年男のギルド長が言う。「それに格好も汚いし装備もない、荷物はどうした? そんなに強い魔物に出会ったのか?」

「荷物は今はアイテムボックスにある分だけだ。それより極めて大きい危機があった。だが、敵とかそういうんじゃないんだ。いいか、俺がこの情報を伝えたってことをどこかにしっかり記録しといてくれ! 無くならないようにな!」

 ギルド長からすると、そう喚き立てるリーダーの青年がなんだか、ずいぶんと興奮したというより錯乱状態にすら見えた。

「記録しておくよ。そんな大声じゃ町中にも聞こえてるかもしれないがな……わざわざ俺を指定したのは、いったいそれだけの何があったっていうんだ?」

 声を下げてリーダーは話を続けた。

「あのなあ、うっすらと遠くに見える霧かもやがあるだろう。あれが恐ろしいんだ。あれに包まれた状態でいると、命のないものはすべて腐り落ちてしまうんだよ」

「なんだと、そんなことが?」

 ギルド長はどう理解すればいいか考え始めた。

「荷物が腐ったんだ。食料がまず腐った。袋まで土に還っちまった。次に休息時に装備を一旦外すとそれも腐った。腐るといっても進行度に差はあったが、継ぎ目や持ち手の木や革の部分が腐ったら金属だけ残ってもどうしようもない」

「とても戦いなんてできないな」

「まあ、肌見離さずにいた短刀や、魔法でどうにか抵抗しながら急いで撤退したのさ。ラッキーなことに荷物が全部なくなったから、身軽だったしな。本当は馬車に戦利品を積んで帰るはずだったんだが、馬車も朽ちて馬に直接乗って帰ったわけだ」

「なぜ鞍は平気だったんだ? いや、そもそも服やその短刀は腐らないのか?」

「そこが不幸中の幸いで、生きているものが身につけている程度の範囲なら影響を逃れるらしい。ちょっと睡眠で横に置いていただけで駄目だったがな……。それとアイテムボックスの中なら大丈夫だな」

「それならまだどうにかなるか」

「あらかじめその対策だけをすればそうだが、継戦能力はガタ落ちだよ。いやとにかくこの情報を知らせるために何もかもおいて帰ってきたんだ」

「新しい魔物の力なのか……それとも魔界に何かあったのか? 自然現象とでもいうのだろうか」

「それはわからん。だが、まずいぞ、あれがこちらに来る可能性がある。少しずつ広がっていたからな」

「……貴重な情報に感謝する。後で好きな金額を請求してくれ」

「今後、金の価値が今と同じだけあればいいがな」


 この話は市長や防衛司令にはすぐさま伝えられたが、まだ市民や冒険者は普段通りの生活をしていた。この町はそもそも砦として始まり、定住した軍人の家族が住み、冒険者も来るようになって大きくなった町だから、常在戦場という意識はある。だが、ではありつつも、長年城壁が破られたことはなく、つまり常に人類が優勢であって、おかげで商業活動や娯楽の発展も進んでいた。結局のところ、普通の数万人規模の町と変わらず、心をひとつにして行動しようというような訓練は受けていない。上層部は無能とは遠いが、かつて危機にあったことがなく、また前例のない出来事に初動はどうしても遅くなった。


 アリシアの片隅に住むウルは周囲からつまらん人間と思われていた。かなり強い魔法力を持っているらしいのはわかっていたが、戦いにとか、それでなくても役に立つ魔法を覚えようという気がさらさらなかった。

 人間は誰しも魔法力を持っているのだが、魔法を覚えるほどに魔法力というのは減っていく。それは消費するというより、それのために容量を割いているというのが近い。実際に魔法を使う時は残った魔法力から使用するので、むやみに魔法を覚えすぎると実用として難しいこともある。

 魔法を覚えるには訓練が必要で、数年使わなければ忘れる。魔法力そのものも訓練によってある程度増やせるが、生まれつきの差も大きい。

 ウルは実は大きな魔法力を持っていたが、根っからのめんどくさがりで、訓練をしないから無駄に余らせていた。余るとどうなるかというと、アイテムボックスが広くなるのである。大きい容れ物で中身が空っぽの方が物を詰め込めるというわけだ。

 町を歩いていると、なんだか急に馬鹿にされた声が聞こえたような気がして、ウルは辺りを見回した。彼は家族との折り合いが悪く、若いうちに家を飛び出して、日雇い仕事で生活していた。才能はあったため子供の頃から魔法の厳しい訓練をさせられていて、その反動でまだ二十歳そこそこだというのに、まったくやる気のない人間になってしまった。覚えた魔法もほとんど忘れて、膨大な魔法力だけがなんとなく残った。

 何か覚えればいい仕事につけるのだが、彼がやってるのは日帰り限定の配達人である。それならそれで荷物を満載して遠くの町へ行けば、色んな意味で投機的な危険はあるがうまくいけば大商人になれる。護衛を何人雇っても構わないほどに儲かるはずなのだ。だがそんなことするわけでもなく、どれだけ自分の容量があるかを、人にちゃんと話したこともない。宝箱の持ち腐れとはこのことだった。

 そのウルが急に市庁舎に呼び出されて、迷惑だなと想いながら向かった。自分は運び屋なのだから、どうしても呼ぶのだったら配達の仕事を依頼してほしい。無料で歩くなんてさせられたくない。などとブツブツ言いながらゆくと、上級役人が建物の正門前で待っていた。

「遅い! 10時までに来るようにと書き送ったはずだが、30分過ぎているぞ」

 頭ごなしに怒られてウルは内心腹が立ったが、逆らうつもりもなかった。

「はい、すみません、先約の仕事があったもので……」

「あのなあ……いや、こんな話してる時間もない。とりあえず中に入りなさい」

 彼が通されたのは副市長室だった。こんないい部屋で仕事しているのかと驚いた。驚きつつも、自分も本気になればこんなもの訪れる町ごとに作ることができるのだと思った。しかし現実には町から一歩も出ない人間の言うことではない(言ってないが)。

 ともかく、その部屋でなにやら仕事しながら待っていた副市長が重々しく口を開いた。

「君がウルくんか? ふむ、名字はないのか? まあいい。君についてのことは多少聞いている。お願いしたいことがあるのだが、その前に口は固い方か? 固くなくてもそうさせるが」

「はあ。まあこれでも配達業ですんで、秘密を守る心得ぐらいはありますけど。でもなんですか、こわいな」

「そうか。ならばついてきてくれ。怖がる必要はないが怖がってくれてもいい。私も怖い」

 立ち上がって部屋を出た副市長の後を追って、ウルも歩いてゆく。帰りたくて仕方がなかったが。

 あれよあれよと市庁舎を出て、すぐ近くにある大きな倉庫に入った。そこには大量の物資が積まれていた。

「これは全部食料だ。君はこれをどこまでアイテムボックスに収納できる?」

「さあ、わかりません。なにしろ限界まで入れたことがないものですから」

 とはいうものの、たぶん全部いけるだろうとは思っていた。アイテムボックスへの物の入れ方は……『あれを入れよう』と思うだけで入れられる。正確には魔法力の操作が必要なのだが、魔法力を持っていないと説明しても理解するのは難しいので、割愛する。結果として全部入った。

「まるでクジラかうわばみか、君は……とんでもないMPの持ち主だ。もしもまともに魔法の修行をしていたらどれだけ偉大な人物になったことか……いや、今はそれこそが英雄の資格になるんだ。すまん。どうしても協力してほしい。君を見込んでの、お願いだ」

 そう言って副市長は頭を下げ、そしてこの町に迫る危機を話し始めた……。

 ウルは叫びたい気持ちになった。日銭を稼いでひとりでのんびり生きていたのに、どうしてこうなるんだ。彼は実のところ現代日本からやってきた男であり、その記憶をしっかり持っていて、こんな野蛮な世界は大嫌いだった。かといって前世である日本でもゴミのような人生を送ってしまったのをつらく思い出し、せいぜい安楽に生きようと決意していた。

 彼個人の気持ちはともかく、彼への依頼というのはつまり、魔王の能力なのか不明ながら異様な霧が近づきつつあり、それに飲まれると命のないものの劣化が激しくなってしまう。つまり、食料の危機である。それを防ぐにはアイテムボックスに入れておかなくてはならないが、いくらあっても足りないのだ。ウルの無尽蔵の容量はまさにこの時のために神が遣わしたかのようだ。



2


 ほどほどのところでもう入りませんって言っておけばよかった。そうウルは思ったが、かといってさすがにそれはバレるのである。普段の行いが悪かったのだろう。もっと徹底的に実力を隠しておけばよかったのだが、ちょっとした場面で自分を誇示する欲望を抑えきれなかったのだ。そこから噂が広がって、耳に入ったのだろう。

「悪いが今すぐ準備をしてきてくれ。何って、旅行や冒険に行く時と同じ準備だ。まもなくこの町は緊急事態に入る。場合によってはもう家には帰れないかもしれない」

「いやだ! そんなの! なぜ俺を巻き込む。俺はひっそり過ごせればいいのに」

 いつになく感情をむき出しにしてウルは叫んだが、相手はひるんだりたじろぐこともない。

「政治家としてそのささやかな夢を叶えてやりたかったが、どうしようもないのだ。すべての市民が逃れられない。かもしれない。まあそれならそう重く考えるな。もしかしたら何事もないかもしれないし、何事もなくても報奨は十分以上に渡してやる。5年は遊んで暮らせる額だ。何もなくてもだぞ?」

「断る権利は?」

「断るだって? 断っても逃げ場はないんだぞ。1人でこの町から出ていくのか?」

 ウルは頭を抱えた。そうなってしまうのか? 理解できなくなってきた。現代ならともかく、こんな、中世に魔法が追加された程度の時代ならのんびり一生を終えられるものだと思っていたのに、こんなことなら歴史の勉強をしておけばよかった。ただその魔法が追加された程度というのが実はかなりでかい。まあそれはおいおい話の中で出てくることもあるかもしれない。


 ウルは仕方なく一度家に帰ることになった。護衛として男女一組がついてきた。思い切ってゴツい、鎧を着た大男と、それから細身の……美女である。はっきり言ってウルが見たこともないほどのブロンドの美形だ。もしかしたらエルフというやつなのではないかと思った。本当にエルフが実在するのか知らないが、遠い物語に聞くことはある。基本的に住む場所が違うから冒険者にでもならないと会うこともないということだ。

 彼女は握手を求めながら近づき微笑みかけてきた。あまりに美形なので冷たい印象すらあったが、そうではないことがわかった。

「はじめまして、ウル様。これからよろしくお願いいたします。わたくしはハヅキと申します」

「ハヅキ? 何か馴染みがあるような響きだ」

「あら、そうなのですか? 嬉しいです。私もウル様のこと、初対面とは思えないような気持ちです」

 と攻めた言葉を言って、言っちゃったというように彼女は頬を赤らめた。ウルはそれにやられてしまった。彼は女性経験はそんなにない。とはいうものの、前世も含めると結構生きているので、ふと違和感を覚えることがないではない。

 俺が今更青春のようなものを経験するなんてこと、あるもんなのか? 別に擦れた気持ちでいるわけじゃないが、なんだか気恥ずかしいじゃないか。でも、ことによるとそういう内面の大人びた達観したようなところが、逆に女を引き付けるのかもしれんな?と彼は自分で勝手に思った。


「ウル様、どこへ行かれるのですか。ご自宅はそちらではありませんが……」

 存在をすっかり忘れていた大男がウルを呼び止めた。今歩いている辺りというのは、あんまり整備されていなくて、うっかりすると間違える。そしてウルは今うっかりしていたので帰路を間違えたのだが、それにしてもこの大男はなぜ俺の家を知っているのかとかなり不気味に思った。

「ああ、こっちじゃなかった。ごめんごめん。でもよく俺の家を知っていますね」

 なぜ知ってるのかをさり気なく聞いてみたかったが、彼は無言に戻ってしまった。ウルには不気味である。周りを警戒しているようでもあるし、護衛に集中しているのかもしれないが、だとしたらこいつは脳で処理できることがひとつしかないようだ。

 それと違ってふわふわした脳を持っているウルが、ハヅキの方を見ると、目が合って彼女はにこっと微笑んだ。彼女は俺の方をずっと見てくれているらしい。まあ、逆に大男が俺に集中してたら気持ち悪いが……。

「ハヅキさん、あのさ、なんで俺の家の場所知ってる?」

「場所? ああ、私はついていっているだけであまりわかってませんが……彼は街の地理に詳しいんです。もともと巡察をしていたそうなので」

 ああ衛兵か。まあやましいことは一切ないから別にどうと思うこともない。

 と彼は考えていたが、それはただこの町の長が善政をしいてくれているおかげであって、やましくなくてもひどい目に合うことなど本来は珍しくもない。だが、生まれつきずっとこの町で暮らしている住人はなかなかそれに気づくことはない。前世の記憶を持っているはずのウルですら気がつかなかったのだ。

 護衛の必要なんて普段は全然なく、というか一応大事な物を運ぶのが仕事なウルだから彼も道中には注意しているのだが、いつも通りまったく危険を感じることもなく自宅についた。

 近所の連中は彼が別に金持ちでもないことはわかっている。さりとて貧しいわけでもなく、ほどほどになめられないし不便もしない、ちょうどいい程度の収入を確保している。そんなウルだから、護衛を連れて帰ってきたのを見て連中は驚いた。

「お前、何かまずいことでもやらかしたのか?」

 隣のおじさんが能天気に話しかけてきた。

「やらかすわけないじゃないですか、いや実は……」

 ウルが軽い感じで答えようとするのをハヅキが前に出てさえぎった。

「これからウルさんに道案内をしていただくんです。とてもお詳しいと伺っておりますので」

「そうなんですか? そんな評判があったなんて、ウル、意外と真面目に働いてたんだなあ」

「……そりゃあそうですよ」

 ウルは中に入り、必要なものを全部アイテムボックスに放り込んですぐに出てきた。また市庁舎にとんぼ返りだ。この世界にとんぼはいるのかといえば似たようなのはいる。たいがいにおいて似たようなのはいるものだ。

 往復で一時間半ぐらいにはなるのだが、ウルについてくる二人とも疲れた様子を見せない。ハヅキはともかく、体がでかく鎧をつけた大男の方が平然とついてくるのはウルも驚いた。今は冬の終わり頃で、まあ動けばちょうどいいぐらいだが、これが夏だったらさすがにきついだろうと彼は思った。ムキになるつもりはないが、歩くのが本職なので負けるわけにはいかない。実際には彼らも衛兵であったり軍人であったりするので、歩くのが本職なのは同じことであった。

 しかし一歩一歩進むごとに、ウルの気は重くなっていった。どんなことになるやら、これから先の未来がわからない。街ですれ違う能天気に見える市民共が憎らしくなった。

 ふと、右手が誰かに触れた。そちらを見るとハヅキがいたが、彼女は手が触れたことを意識していなかったのか、ウルの視線で初めて気がついたように照れた。

 彼女は美しい。手足も長くてスマートで、着ている軍服がよく似合う。たぶん、男も女も彼女をかっこよく感じて、好きになってしまうだろう。ましてやたぶん俺に好意を持っている、とウルは思っている。そんなん好きになるに決まってるやんけ。

 ウルは自分の意思で歩いていると思っていたが、実は無意識のうちに、ハヅキが誘導したペースで歩いていた。いつもより結構速めで、足も忙しいし心臓も速く動いていた。それは彼から余計なことを考える余裕を奪い、なおかつ彼女に対して妙にドキドキすることを意識させる。いわゆる吊り橋効果に似たものがあっただろうか? 実際、そこらの吊り橋よりもはるかに危険は迫っていた。魔王の霧と呼ばれるようになったそれは、もう、すぐそばまで来ている。

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