一年後のヒーロー

渡月 星生

第1話 ヒーローの続き


 三年経って駄目そうなら。

 経たなくても手遅れになりそうなら即座に諦めさせる。


 ───そう考えてはいるけれど、今のこの生活に慣れてしまった今、元のサラリーマン生活には戻れないのではないだろうか?という漠然とした不安は星月宙の中で拭えずにあった。

 何しろ今と言ったら、毎日早起きをしなくてもいいし満員電車に詰められる必要もないし体調の悪さを感じたら無理を押さずに休むことだってできるのだ。何事にも限度はあるとはいえ、なんて素晴らしく気兼ねのない暮らし!

 とはいえ宙が流されるわけにはいかないのだ。自由の代償として生活の保証なんていうものは何一つなく、未だにままごと状態を脱せてなどいないことを思えば尚更である。それでも今のところはそれなりになんとかなっている、というのは大したものだとも宙は考えている。それはが当初予想していたものよりは、というささやかな上振れであったとしてもだ。

 別に雲居太陽の思いを侮っていたわけではない。しかしながらそのあまりにもふんわりとした「ヒーローを続ける」という目標は、どこかで現実とぶつかって打ちのめされた挙げ句に砕けてしまうのだろうと思っていたのだ。それがどうだろう。ままならない現実にもなかなか実らない結果にも決して腐ることもなく、前向きに取り組み続けられている。それは彼の美点であり、欠点でもある。きっと最後までなんとかならないかと足掻くんだろう。だからこそ、無理そうだと思えたらなんとしてでも諦めさせなければならないと強く思う。


 始めるにあたって最大の問題は拠点だったのだが、立ち行かなくなっていた駄菓子屋を相場よりは安く借りることができたのは幸運だった。住む場所が兼用できる上に店という体があれば全くの無収入は避けられる(可能性がある)

 賞味期限が長めの菓子と飲料と多少放置していても問題がなさそうな文房具を並べたら田舎の個人コンビニのようになってしまったけれど、バス停が近くにある上にその奥に学校があるお陰か、思いの外感触は悪くない。


 ───ともあれ今のところはなんとかなっている。



「宙さん」


 手動のドアを開けて入ってきたのは安曇海だ。多少背が伸びてはいるが宙にはまだ少し届かない。代わりに髪が少し伸びている。ボサボサとだらしなくして印象を下げようとしているらしいが、顔がいいせいで逆効果にしかなっていないなと宙は密かに思っている。

 大学生になった海は、週に二回は午後は自由にできるように授業のカリキュラムを組んでくれているらしい。本当にありがたい話だ。


「雲居先輩は?」


「いつもの猫探し」


「えっと、土生先輩は」


「なんか忙しいらしくて今週は来られないってメールが入ってたよ」


 大学三年生となった土生緑は流石にやることが増えてきたらしく、週に一回来られればいいぐらいの頻度になっていた。それでも顔だけ出すことも少なくないせいか、そこまで来なくなった印象はない。


「そうですか……ええと、何かありますか?」


 これはつまり「入っている仕事があるかどうか」ということだ。そうそう入っていることなどないというのに毎回尋ねてくれるというのは律儀すぎる話で、彼でなければ嫌味としか受け取れなかっただろう。


「ちょうど良かった。台帳の整理とかしたいから代わりに店番やっててくれないか?」


 もう少ししたら放課後の時間帯だ。それならばと宙はレジの前を出る。


「……僕がそっちでは駄目ですか?」


「駄目じゃないけど……」


 何しろ安曇海は顔がいい。私服になったせいか大学生になって余計によろしくなったようにすら見える。どういうことかというと彼が立っているだけで客の入りが変わる、ということなのだ。それが売上に結びつくのかと聞かれれば微妙なところではあるが、チャンスは増える。少なくとも入ってきた瞬間に踵を返される悲しい事態もなくなる。

 別に羨ましがっている訳ではない。これは適材適所というものだ。

 安曇海がそういう役回りを好ましく思っていないのを星月宙はなんとなく分かっていた。だから駄目だとは言えない。言えないが、できるならば───


「ただいまー! 進藤さんちのメロー今日は河川敷にいてさー、探すの大変だった……あ、海!」


 そんな変な緊張感を破ったのは猫探しという名前の仕事から戻った雲居太陽だった。見た目も中味もあまり変化がないように見える太陽は高校を卒業してからもじわじわと背が伸び続けていて、もう星月宙の背を抜かす頃合いである。


「レジ交代するのか? じゃあたまには俺もやりたい!」


 勢いよく手を上げて提案する太陽を見て宙と海は無言で顔を見合わせる。彼はあまり細い作業が得意ではない。数字が関わるものであれば尚更だ。そしてこのレジは割と古いタイプのレジである。やらせたことがない訳では無いがその度に何かしらのミスを起こしていて、だからなんだかんだであんまり触らせないようにしていて───


「……海」

 

「任されます」


「悪い、任せた」


 教えるとなると宙よりも海のほうが向いている。太陽相手なら尚更だった。太陽との付き合いが海のほうが長いからというのも一因としてあるのだろう。そして何度か試行した上での結論なのだから仕方がない。

 これもまた適材適所なのだ、という話であり───決していい具合に目論見通りになった、という話ではない。何しろそのことにお互いが気がついたのは宙が奥に引っ込んでからのことだったのだから。



 ともあれ。

 今日もどうにかなっている日々の一つとなるのだろう。

 

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