記憶消去薬 ”スキップ”
高黄森哉
もうやめてしまいたい
もう終わりだ。自分は作家になりたかった。でもなれなかった。もう終わりだ。大学もそのために辞めた。だから中退となった。高卒と同じだ。どこも採用してくれない。もう終わりだ。友達もいない。いても幸せになってしまっていて、出くわしたら潰れてしまいそうになる。もう終わりだ。お終いだ。もうやめてしまいたい。お終いにしてしまいたい。人生をしまいたい。もう止めて、終いたい。止めにしてしまいたい。
同じ日常から逃げ出したい。
〇
「明日、俺は大事なことがあって、それでその緊張を和らげたいんですが、いい薬はありませんかね」
「それなら、これがありますよ」
医者、というより売人が手渡したのは、スキップ、とかかれたクスリ瓶だった。それは茶瓶で、中にぎっしりとラムネのような薬剤が入っている。手に取ると重かった。
「これはね、大分昔に製造が禁止された薬で、廃虚と化した病院に沢山、残されていたのです。なんでも、これは忘れたいことを忘れる薬なのだとか」
「買います。いくらですか」
「そうだね。ゴマンでいいね」
自分は万札をピッタリ五枚、手渡した。明日、死ぬんだからどうってことない。明日、死ぬ。そのことを忘れなければならない。でないと、自分は弱い。自分は死なない。
自分は家に帰る。ボロ屋である。アルバイトの金だけだと食べていけないので、親に工面してもらっている。随分と厄介になっている。それも明日で終わりである。
瓶の文字は擦り切れていて見えないが、多量に飲むと悪影響があること、忘れたいことを忘れられること。一日で効果を発揮すること、一回の服用は一錠であること、が読み取れた。迷わず一粒、薬を飲んだ。死への恐怖を思い描きながら。
〇
朝起きると鳥が鳴いていた。そして急いで目覚ましを確認した。やはりそうだ。クスリが効いていないではないか。日付は今年の明日、つまり今日を指している。クスリの効果は嘘っぱちだったのだろうか。死への恐怖は残されたままだ。
自分は縄を準備し始めた。死ぬのは怖い。しかし生きるのは難しい。クスリがじわじわ効いてくれることを祈りつつ、太い縄を首吊りの形に整える。これから、自分は死ぬのだ、という実感がありありと迫った。先に立つ後悔の波が押し寄せるたび、薬剤が働いてくれ、と祈った。
そうこうしているうちに昼が来た。これが最後だからと豪勢な食事をしたら、涙が出てきた。なにくそ、だから死ねないんだ。だから、死ねないんだぞ。クソ。なにくそ。こんな、こんなもの。…………… また喰いたい。
自分は縄をつくる。途中、遺書が気になって、推敲を始めると、数々の間違いが見つかった。危ないところだった。火が出る思いで、修正する。凝り性なので、やりだすとなかなか止まらない。遂には午後を消費してしまった。
夜、死ぬのも悪くない。星を見る格好で静かに消えるのだ。それは彗星のようなものだ。瞬く星々の叫びをうけながら、死線期呼吸の詩を謡うのだ。それは虐げられた野獣の唸り。
自分はカーテンを開け、カーテンのレールに縄をかけた。自分が制作した道具が、ぽっかりと口を開けている。俺は吸い込まれるように近づいたが、そこでブレーカーなどを下げたり、ガスを閉めていないことに気が付いた。
〇
朝起きると鳥が鳴いていた。そして、急いで目覚ましを確認した。すると驚いたことに日付が明後日になっていた。日付は今年の明後日、つまり今日を示していたのだ。
クスリの効果だろうか。副作用かもしれない。そして、居間に向かうと、自殺の縄がカーテンのレールにかけられている。明日の自分がしたのだろう。感覚的には、昨日の自分とは、自分にとって明日の自分なのだか、実際には昨日の自分である。
機能の自分はなんて馬鹿だったんだ。そんな細いところに縄をかければ一瞬で折れて、失敗するに決まっている。その上、自殺にも失敗したらしい。阿呆が。自分は呆然と自殺未遂現場を見渡す。
クスリの効果は分かった。
つまり忘れるのは、明日のことだ。クスリを飲んでから一日いっぱい、記憶はなされないらしい。それがこの薬物の効能なのだ。なら、この薬を何回飲もうと、気が付いたら死んでいる、ということにはならない。もっとも、気が付かないのだろうが。
溜息が出る。五万円が無駄になった。しかし、これを何かに使えないだろうか。もっと冴えたやり方。分かった。クスリを多量に飲めばいい。全部飲んでしまえば、人生が終わるとき、全ての思い出が抹消されるに違いない。うまくいけば、気が付いたら老衰だ。これなら逃げられぬまい。ビンいっぱいのクスリを水と一緒に流し込んだ。
〇
朝起きると目覚ましが鳴る。億劫な動作で確認すると新品の目覚ましだった。それ以外はなにも変わらない朝だ。
引き出しを開けると、遺書があった。明日(記憶的に)死ぬことになるという旨が記載されていたが、家に家族がいるわけではないので、どうやら自分に当てた物らしい。死にたくないの羅列を見て、自分は死にたくなった。机の上のビンは空だった。
自分は公開はしなかった。だが、変わったことが少なすぎていた。だから、ほとんど、二十年も経過したように思えなかった。相変わらず家族は居ない。玄関も変わらない。居間もそうだ。
前回の小時間旅行と大差ないように思える。変わらない。二十年、何をやっていたのか。自分とはそんなものか。なにもなかったに違いない。出会いも、別れも、仕事くらいは見つけただろうが。
電話は相変わらず、着信がなかった。手帳にも仕事以外の予定はない。そう考えるとまた死にたくなった。そこで気が付く、自分はすでに死んでいるのだ。死んでいるも同然だ。社会的ゾンビだ。自分は死ぬ前から死んでいたんだ。気が付くのに遅かった、自分は死んだも同然じゃないか。
いや、知っていた。過去、感覚的についさっきの自分は、生きていることを証明するに、死ぬしかないと考えていた。同じ日常から逃げると称したが、死ねば逃げられないまま標本にされるのだ。そのことから目をそらしながら中断を考えていた。それは生きていない心地の裏返しだ。
ただ単純に絶望した。
死んだまま生きているからだ。さらに、自分に肉体的な老いを除く変化がないのなら、今後も、やはり自殺に失敗するだろう。明日も明後日も、馬鹿の一つ覚えみたいに、縄を買いに行くのだろう。アスファルトの上に水きりのような、衰えてやがて沈む放物線を描きながら。すなわち、スキップをしながら。明日も明後日も衰えていくが同じ日々を描きながら。記憶から、そのみじめな真実を抹消しながら。すなわち、スキップをしながら。どこへもいけないまま。クスリを飲む必要なんてない。空っぽの日常の連続は、死へのスキップ。
記憶消去薬 ”スキップ” 高黄森哉 @kamikawa2001
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