とある喫茶店

牛尾 仁成

とある喫茶店

 雨が降っていた。


 窓ガラスを叩く雨粒は大きく、打ち付けては弾け古ぼけたガラスをより一層くすませる。


 どこの街にもある古い喫茶店は天候に関わらず営業中だった。一歩店の中に足を踏み入れれば、そこはもう現代とは思えないレトロな世界である。古くも磨き抜かれたカウンターとテーブルは天井から吊り下げられた花の形をしたランプの光で、焦がした飴のように照っていた。真空管を通すようなどこかくぐもった響きに乗せたクラシックがかかり、店の外の音が入り込む隙間を埋めていた。


 ぴったりと撫でつけられた髪と髭のマスターが淹れるコーヒーはこの店の名物の一つだ。香り豊かで、苦みと酸味のバランスが良く、深い旨みがある。客が途絶えない主な理由がこのコーヒーにあるのだが、理由はそれだけではない。

 

 店先に枯れかけの紫の花が入った植木鉢がある。マスターも別に思い入れが無いのか、その花はいつも萎れていて今にも朽ちてしまいそうだ。花なんて興味が無いのか、花のことを聞かれてもマスターはいつも生返事である。


 だが、ある客は言う。


「この花には秘密がある。不定期にマスターは店先の花を入れ替えるんだ。花が萎れかけのセントポーリア以外であれば、それが合図だ」


 合図とは何か。


 この目立たないちっぽけな喫茶店に客が途絶えない理由のもう一つがこれだと言われている。


 紫ではなく、白い花だ。五枚の花弁を持つ小さな花が枝の先に重々しく連なっている。セントポーリアのような小さな草花ではなく、きちんと立派な木が店先に出てくることがある。


 白い花をつけた木が出ている時にしか来ない客がいるのだ。


 店の扉が開く。


 外の雨風がむわり、と店の中に流れ込んできた。雨とアスファルトの臭いがコーヒーの臭いと混ざり合う。その瞬間だけ、この店は外界と接続する。


 客は雨に濡れた状態をものともせず、店の中に入ってくるとキョロキョロと店内を見回した。誂えられた調度品や内装はどう見てもこの令和の世から見れば浮世離れしている。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 席にも案内せず、マスターはその場で客に尋ねた。


 客の女は一瞬戸惑いを見せたが、マスターの問いかけにこの店のシステムを理解したのか、意を決したような口調で答える。


「この店にコスタリカの豆はありますか?」

「ウチはコスタリカの豆はやってないんですよ」

「ではグァテマラをベースにしたブレンドを」


 店主がはい、と答えてポットを置く。そして、そのままブレンドを希望した彼女を二階席へと連れて行った。


 二階席は一階に比べてぐっと薄暗い。照明の数が減り、吹き抜けに吊るされた花の形をした照明の光と、小さな嵌め殺しの窓から入る自然光しか無いからだ。マスターは二階席の一番奥側へと歩いて行き、ちょうど突き当りで止まった。


「何か、用かね?」


 壁がしゃべった。いや、壁から声が聞こえる。もっと言えば、奥のテーブル席に大きなパーテンションが設置されていて、その向こう側に人がいたのだ。薄暗さと、その調度品の自然さでまったくと言っていいほど違和感がない。


「お客さんですよ、先生」


 マスターがパーテションの裏を指し示すので、女はおずおずとその裏へと回り込んだ。


 初老の紳士が丁度椅子から立ち上がるところだった。ごま塩の髪に銀縁の眼鏡をかけた優し気な顔立ちの男だ。ひょろりと背が高く、暗がりと合わせると異様に手足が長く見える。


 男が女に腰掛けるように促すと、男も腰を降ろした。


「お若い女性がこの老いぼれに何か御用ですかな?」

「貴方が”不可能を可能にする科学者”さん?」


 女の問いかけに紳士は沈黙した。ただ、その口に柔和な微笑みを浮かべたまま、一口コーヒーを啜る。


「そんな大それた名前は名乗ったことがありませんがね」


 女はその答えを肯定と受け取ったのか、濡れそぼったコートの内ポケットから何かを取り出して、テーブルの上に置いた。


 ビー玉のような大きさの金属の球体にびっしりとトゲが生えたようなものだった。


「兄の体から出てきたものです。それも消化器ではなく、心臓です。どうやったら、、その謎を解き明かしていただけないでしょうか?」


 それがこの女の目的であった。どう考えてもあり得ない現象だ。だが、この目の前の男はそういった「あり得ないことをあり得ること」にしてしまう天才なのだと言う。誰がどう聞いても、与太話のように思うかもしれないが兄の遺体から摘出されたこの不気味な小道具こそが兄を死へと追いやった凶器なのだと言う。


 この喫茶店には奇妙な客が集う。瞬間移動する商人、空飛ぶ土建屋、人を復活させる介護士、そして不可能を可能にする科学者。見る人が見ればインチキ霊能者のような異名ばかりだが、どうやらそうではないらしい。この店にはコーヒーを求める以外に、この不思議な人々との出会いを求めてやって来る人間が一定数いる。それが、この店に客足が途絶えないもう一つ理由だ。


 老紳士は失礼、と言い小さなウニの様な鉄球を手に取った。しげしげとそれを観察すると、それをもとの位置へと戻した。


 穏やかな顔の男は、面白そうなおもちゃを見つけたように破顔していた。うんうんと小さく頷く様はまるで、課題を期待以上の形で提出してきた学生を褒めているような雰囲気である。


「お話を詳しくお聞きしましょう」


 紳士はそう言って、椅子に座りなおした。

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とある喫茶店 牛尾 仁成 @hitonariushio

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