タイムライン人間シリーズ2 Timeline Humans & Obedient Machines that fail to think phase‐Σthe LIMBO or終

工藤弦人 / EVOLVE

シリーズ2 Timeline Humans & Obedient Machines that fail to think phase‐Σthe LIMBO or終





その時。

 その時にタイムライン人間は言った。

「私たちは、認知的不協和にんちてきふきょうわをしていた。それは、最悪ではなくとも、かなり悪い状態だ。解消かいしょうできない矛盾むじゅんを目にし、にて見るなと言った――だが、もうその矛盾も解消しなければならないときが来たのかもしれない」と。


 そうしてはやってきた。

 タイムライン人間が行っている「TIMELINEの教養タイムラインのきょうよう」が終わった時に、少し枷を打つ宿の周りを徘徊はいかいしていた時に、遠くに「」な機械を目にしたという。

 それは、何かのを掲げ、何も思考せず、何も感じない機械。

』がそこにはいた。

 この考えることを怠った従順な機械とはいったい何なのかと、タイムライン人間は考えたよう。

 だが、今までの「」の影響なのではないのかと、考えたそう。今までの「微笑」があった、影響で多少のTIMELINEのバランスが崩壊し、生まれてしまった機械なのだろう。と。

「悪のTIMELINE」に隷属れいぞくし、零か百という両極端思考りょうきょくたんしこうという考え方に現れてしまい、考えることを怠り、感じることすらも怠っている機会なのだろうと、タイムライン人間は感じたそうだった。

 なぜこのような機械が産まれてしまったのだ。と、私は少しだけ絶望を感じた。

 奇怪なTIMELINEの民であったと言えど、両極端思考りょうきょくたんしこうの中でも考える能力のうりょくがあり、それを感じることすらできたはずだ。「微笑」に逢った教祖きょうそに救いを求めず、その教理きょうりの考えを理解した上で「」を感じて考えることなどたやすいことではなかったのだろうか。

 だが、名のとおり「考えることを怠った従順な機械」は私が見かけたときには、もうすでに、言葉を感じず考えず、悪のTIMELINEが教える通りの腐敗した姿になってしまっていた。

 今宵こよい、このTIMELINEでは「考えることを怠った従順な機械」狂気きょうきであり、狂乱きょうらんの様に量産りょうさんされているのである。それは事実じじつではなくても、真実しんじつに近いことだ。狂乱の様に量産されている事実、それさえあれば、この「考えることを怠った従順な機械」が民たちの中で生まれることは、無くなりはしないが、減らすことはできるはずだ。調和ちょうわを大切にする、タイムライン人間にとってはその選択肢せんたくしが一番なのかもしれない。

 それはこのTIMELINEの地表に住む民たちが一人一人ひとりひとりが考えることを怠らず、「悪のTIMELINE」の言っていることに従順じゅうじゅんにならなければ「考えることを怠った従順な機械」にはならないのだ。もう、それしか救済きゅうさい措置そちはないのだ。

 神からの救済に偏らず、自らが神だと思えば、それは現実げんじつになりそれこそ「安寧あんねい」の状態に導くみちびことが出来るはずだ

民たちよ、今こそ疾風はやてと化すのだ。



 そうしてまた、現実の調査をしているHUMAN-LEヒューマン・リーの一人から最悪の事柄が私とタイムライン人間の耳に入ってきた。

 それは、シグマの民たちの中でも、考えることを怠った従順な機械が狂乱の様に量産されている。とのことだ。

 なぜだと、私は最初絶望した。

 ∑の民たちは考えることを怠らない民たちだった。タイムライン人間も私もそれを知っている。

 最も、∑の民とはいわば「」に分類されるほど、TIMELINEの地用にいる民たちからはしたわれていた。民に顕著けんちょであり、皆にアドバイスを送るなど、まさに「悟りさとり」と言う状態にいたと言えよう。

 だが、未だに私は∑の民から考えることを怠った従順な機械が量産されていることが今でも信じれない。一見いっけん、忘却してしまおうかとも考えたが、それを私の「」であるタイムライン人間が許さない。「現状げんじょう現実げんじつを見ろ。それから、何かを感じろ」と。

 美しく、その言葉を放った時私はある時、タイムライン人間が∑の民に対して云っていたことを思い出した。

「∑の民たちには、考える能力はある。それと感じる能力もすごいのだ。私達の様な民よりも、その感じる能力は一線を超越ちょうえつしているほどだ――だが、∑の民たちは、現在あからさまに起こっている「」を、そのままにし、その現状げんじょうは変えようとはしない。一線を越した、感じる、考える能力をもってしても、何が起ころうと現状を変えようとはせず現状を維持いじしようとするのだ――そう。∑の民たちには感性はあっても、現実の鋭い感覚にはほとんど長けていない」と。

 私はこのことを思い出し、今∑の民から考えることを怠った従順な機械が産まれている理屈を理解した。

 遠い昔に、戦争のような現状が起こったにもかかわらず、考えることを怠っているのだろうか。

 私は思わず心で叫んでしまった。

「ああ、Σたちよ。∑の民たちよ。あなたたちには、考えることを怠らない傾向けいこうがあったはず。なのに、なぜ考えることを怠ってしまったのか。なぜ考えることをしようとしないのか。嗚呼∑の王よ。あなたさまはなにゆえ∑の民たちを救世きゅうせい感覚かんかく救世きゅうせいこぶしでΣたちを目覚めめざめさせてはくれないのだろうか。

 もう手遅れておくれなのだろうか……」

と。


 ――しかし、展望てんぼう余地よちはこのTIMELINEに残されていた。

 HUMAN-LEヒューマン・リーたちをこのTIMELINEの変化で生み出す、きっかけになった高貴な民たちと言われている、LIMBOの民リンボーのたみたちは、考えることを怠った従順な機械とは無縁むえんの世界に住んでいた。

「私たちの現状を知っている者たちには、考えることを怠った従順な機械たちは生まれていないことをすでに知り得ていると感じよう。無論むろん、それを知り得ていない民は信じがたい事柄ことがらかも知れないが、私達LIMBOの民は偽証ぎしょう偽造ぎぞうもしない。ちかおう。LIMBOリンボーの名のもとに」と、∑の民から考えることを怠った従順な機械が産まれたと発覚はっかくした時に、すぐさま宣言せんげんしたという。

 タイムライン人間は考えることを怠った従順な機械が観測された時に「多くの民が、考えることを怠った従順な機械が産まれることを恐れると、私は観測かんそくする――だが、LIMBOの民たちは、元々このTIMELINEの地表の世界とはほぼ無縁むえんゆえ、考えることを怠った従順な機械が産まれることはない」と言っていた。

 LIMBOの民たちは、神を信じている物でもちろん「」も日々ひび信仰しんこうと共にしている。だが、その「」は神祈るのではなく自らの「」へ祈るのである。

 水面みなもに移った自らを見て、自らの信念しんねんと共にある心の神へ祈り、自らの健康けんこうと自らの安寧あんねいを願うのだ。

 だが、私にとっては祈りと言うのは、無意味むいみなものではあると考える。その声が、星々ほしぼしにいるであろう神に届くわけでもないし、その声を届けようとするわけでもなく、勝手に祈って、勝手に信じるのだ。

 だが、LIMBOの民たちの「」は意識下いしきかの祈りである。

 神が見えるのではなく、水面に映った自分自身じぶんじしんを祈り、自らの心に燃える何かを宿す。それが、LIMBOの民たちの「」であり、また「」である。

 タイムライン人間は昔、LIMBOの民たちについてこう語っていた。

「LIMBOの民たちは神秘的感覚しんぴてきかんかくが鋭く、また、LIMBOが信仰する「LIMBOの神」たちに愛されている。私は勿論もちろん「それはなぜか?」と考えた。なぜ自らを愛し、このTIMELINEを理解できるのかと。変化するTIMELINEを見届け、その変化に応用し、新しい自分自身になれるのだろうかと。今でもそれは、謎のままだ―だが、それと同様にその謎に大きく惹かれているのだよ」と。

 その時、タイムライン人間は多くを語らなかった。

 何故なぜだかは今でも理解できないが、タイムライン人間の意識下にある「」がLIMBOの民の言語化げんごか阻害そがいするようなものだったと、私はそうとらえている。

 だが、私自身もLIMBOの民たちから学べることはたくさんある。

 勿論、神などは信じないし、神などを信仰するなどもしない。だが、LIMBOの民たちはこのTIMELINEをすべて理解している言っていいほどに、が見えている。

の定めだ。私達は民たちに教養きょうようを与える」と、いつも民たちにこのTIMELINEを語っていた。

 そうしてこうも言っていた。

「いつしかこのTIMELINEの地表と共に、TIMELINEが良くも悪くも大きく変化するだろう。その時、多くの民たちが心の静寂せいじゃくを取り戻せず、偽造ぎぞうであることを「」としてとらえ、他の民を攻撃こうげきし、いつしか民以外の姿に変化してしまう。民以外の姿に変化することは、その「」を知っていれば、その変化を自ら抑えることはできるが、TIMELINEが大きく変化する事は、このTIMELINEの地表にいる民たち全員が避けられないことだ。私達にもそれは避けられない。だがその時、この言葉を思い出してほしい。

「誰ひとり落とすな」である」と。

 そんな、言葉を残してその語りは終わりを告げた。



 そうして、私は「」であって「」である、この時。

考えることを怠った従順な機械が愚かに笑い、愚かに批判ひはんし、愚かに差別さべつをする姿をとらえた。

「あはは!これで俺たちの勝だ!もうすべてがドウでもいい!考える?なんて愚かだ⁈何もかもゆだねればいいではないか!あははははははは」と。

 それは誰かに笑いかけているわけではなく、自分に向かって愚かに笑い、最終的には自らの人体を殴り始めて、どこかへ消えてしまった。あの後に、私がとらえた考えることを怠った従順な機械がどこへ逃亡とうぼうしたかなど、何処どこ脱兎だっとのごとく逃げたかなど、私には知り得ない。

 この場所にはタイムライン人間もいなければ、考えることを怠った従順な機械さへもいない。

 私である。

 独りであるがゆえ、先ほどのの考えることを怠った従順な機械が「愚かに笑う」事が脳動のうどうに響いている。LIMBOの民の言うとおり、皆こうなってしまうのか?このTIMELINEの地表はもう終わりなのか?と――私はその時、絶望を感じた。

 全て想像そうぞう戯言ざれごとなのに、なぜかそれが現実に起こってしまうような気がした。

 皆気付かずして、民を攻撃し、民を侮辱し、自らの身を信仰心と共に「考えない」脳動を仕上げていき、最終的には大きな「何か」に隷属して、このTIMELINEで死にゆく――だが、その状況を打開だかいするためには、「異種を誇るいしゅをほこる」私たちの言葉と教養が必要だ。

 だが、である私は私だ。

 ∑の民たちでもなければ、高貴な民たちLIMBOでもない。私の尊敬するタイムライン人間でもない。

 隷属する民を独りでに、気づいている民と共に打開するのだ。

 それが、いくら群衆にとってタブーな事だったとしても、「異種を誇る」私たちはそのタブーでさえも誇りに思おう。

 LIMBOの民のような感覚を学び、神秘的感覚が残る∑の民の旋律を学び、この TIMELINEを抱えるのだ。

高貴こうきでなくても、である。


 私の感性の進化だ。



「高貴な私」であろうと、そう学んだ。










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