第22話
メイドは、屋敷の私室で目を覚ました。意識はまだ曖昧で、あれからどれほどの時間が経ったのかも分からない。
目を開けて、しばらくぼうとする。彼女にはこれが夢か現実なのかも不確かだ。
(生きてる……)
部屋のカーテンは閉まっているが、光が漏れ出ている。朝か昼なのだろう。
身体は気怠さで満ちていた。錆び付いた扉を動かすように、顎や首のあたりが軋んで痛む。
「あ、気付いた」
彼女の寝ているベッドの横の椅子に、背の高いメイドが座っていた。読んでいた本を閉じ、水差しとグラスを出す。
「気分はどう? 水でも飲む?」
完全に寝ぼけているメイドは、自分が何か話しかけられているということは分かるのだが、その内容が頭に入ってこないといった様子だ。
寝たまま首だけを横に向け、まばたきを繰り返している。声を出そうと思ったが、うまく出せない。
「なんだい。まだ寝てんのか?」
「……あ、えっと」
ようやく擦れた声が出る。何から話せばいいのか、メイドは困惑した。
「肌が緑色じゃないな……って」
「ふん、そりゃもう三日も前の話だよ。あんた、ずっと寝てたんだ。仕事がどれだけ溜まってると思う? 寝坊も大概にしな」
背の高いメイドの言いように、少女は苦笑した。何だか懐かしいような気がしたのだ。
そして起き上がろうとしたが、鋭い痛みが全身に響き少し身体を起こしただけで終わった。被っていたリネンをどけてみれば、彼女は自分が寝間着姿に包帯を巻かれていることに気付く。
「いっ……つぅ~」
「ああ、動くんじゃない。怪我が酷くてしばらく完治しないんだってさ。今、ご主人様にあんたが起きたことを報告してくるよ」
背の高いメイドは立ち上がった。部屋の扉のノブに手をかけ、開ける前に動きを止める。
「……あんたさ、使えないメイドとばかり思ってたけど。何か、助けられちゃったみたいだね。ご主人様、あんたのことを随分と褒めてたよ。やるじゃん」
顔を見せぬまま、背の高いメイドは一方的に言って出て行った。
「身体はまだ痛むかい? 今はゆっくりと休むといい。メイドの仕事はしばらく休暇だ」
「あ、ありがとうござ、ございます……」
主人の労りに、少女はその身を震わせた。自分を気にかけてくれることが嬉しかった。声を聞けるだけで満足だった。
あの夜に不夜城の広場で共にいた時、何故だか普通に喋れていた彼女はもう、元に戻っていた。心拍数が上がり汗をかいてしまう。
少女は急に、顔も洗っていない自分の容姿が気になってくる。ご主人様に見せる姿として、これは不格好ではないか?
「不死王は倒され、今は捕まっている。いずれ適正な法の裁きを受けるだろう。ゾンビたちは本来の人の姿を取り戻し、三日前の悪夢は綺麗に消えてなくなった。改めて感謝をしよう。君がいなければ、世界はどうなっていたことか」
主人の言葉を、有難く拝領する。青年に目立った怪我は残っていない。傷だらけの少女はそれだけが心配だったが、杞憂に終わった。
「メイドちゃんの怪我、完治するまではまだひと月以上掛かりそうだね。ゾンビ化に伴う治癒効果で後遺症は残らないけど、それにしてもひっどい怪我だらけだった。ちゃんと治るのは不幸中の幸いってとこ?」
突然博士の声がして少女は驚いた。初めから青年と共に入室して隣にいたのだが、彼女の目には自分の主人しか映っていなかっただけだ。
博士はそんな彼女の様子を見て、呆れたように肩をすくめる。
「あのな、君はどれだけご主人サマにしか興味が無いんだ。私はずっとここにいたからな? 君の治療をしたのも私だよ」
「ご、ごめんなさい……」
「ま、いいさ。今回は君のその忠義がアルラトを救った。私からもお礼を言わせてもらおう。ありがとう、メイドちゃん。ついでに入院見舞いの菓子折りなんて持ってきたから、食べてくれ」
持ってきた紙袋を博士は小棚の上に置いた。袋には何も書いていないが、中身はきっと甘いものだと思うと、少女は気分が良くなる。
「団子に混ぜていた薬液のこと、コック君から聞いたよ。あれは全部回収して破棄した。もう二度とこんなことは起きないだろう。中に入っていた人骨は、あの冬に死んだ者たちのもののようだった。集めていたんだね」
博士はもう一つ、白衣の内側から二枚の紙きれを取り出す。
「そうそう、そのコック君。商業地区のはずれで店を構えたから事件解決祝いに驕るってさ。まだ三日しか経ってないのに元気なもんだね。元気になったら行ってみな。あと何故か、工業地区の工場見学の招待状も届いてる」
話は以上というように、博士は手を振って退室した。用事が済んだから帰るということなのか、それとも空気を読んだのかは────
屋敷の主人はベッドに寝込む少女の手を握る。唐突な行為に、少女は驚きを隠せずどぎまぎする。だが、真に驚くのはこれからだった。
「大切な話をしよう。いいかな?」
「は、はいぃ……」
主人の言葉には首を縦以外に振ったことはない。彼女はどんな話なのかと緊張するも、主人はまるで普通の事のようにさらりと言ってのける。
「君を、私の傍付きメイドにしたい。仕事に対する報酬、というのかな。昇格だよ」
(ほええええええぇぇぇぇ!?)
少女の時が止まった。やっぱり夢でも見ているのかなと頬をつねりたい気分だったが、どちらの腕も痛くて動かせない。
痛いということはやはり夢ではないのだが、彼女の主人の発言はまさしく、彼女にとっての夢であった。聞き間違いではないということを、心の中で百回は発言を繰り返し再生して確かめる。
「君はどうやら、普通のメイド業は向いてないみたいだからね。だけど、君は人一倍熱心だし運も良い。私の身の周りの世話でもしてくれると助かる」
傍付きメイドとは、主人に一日中付き従うメイドのことである。朝は着替えの手伝いから夜はベッドメイクまで、また来客の予定や主人の体調を管理する。
普通のメイドとは違い、皿洗いや床掃除はしない。主人の意向に沿えるように、常に傍らに立つ。メイドを束ねるメイド長とも違う、階級もない特殊な役職だ。
今までは金髪のメイドがメイド長と兼任していたが、負担が大きいと主人は判断した。そこで、彼女に傍付きメイドの任を与えることにしたのだ。
「あ、あり、ありがとうございましゅっ!」
盛大に噛みながら、少女は頭を下げた。その様子に、主人は笑う。
自分の運は悪いものだとずっと思ってきたが、こうなるなら悪くもないか。少女は自分のことを、少しだけ好きになった。
「……いいですか、全て教えたとおりにやるのですよ。落ち着いてください。慌てないで。ゆっくり喋ると噛みません。あと呼吸が荒いです」
「はいっ! はいぃ……」
屋敷の二階、廊下で金髪のメイドと三つ編みのメイドが会話している。傍付きメイドとなることが決定してから、三つ編みのメイドは先任者から礼儀作法を叩き込まれていた。
今日はその、披露目の日である。
三つ編みのメイドのメイド服は、あの夜にすっかりボロとなってしまった。なので、今は新しい新品を着ている。傍付きメイドたるもの身だしなみにはより一層の気遣いが必要であり、都合も良かった。
髪のセットや軽いメイクまで、特別な日ということで金髪のメイドがやってくれた。傍付きの彼女自身、いつも以上に整っている。
当の本人は落ちつきのない様子で、そわそわとしているのだが。緊張するほどに顔が赤くなり汗をかいてしまうのは相変わらずだった。
主人の前で粗相をしないか、金髪のメイドはそればかりが心配になる。三つ編みのメイドは飲み込み自体は早いのだが、どうにもこの癖だけは治らない。
「じゃ、じゃあ……行きます!」
「頑張って。あなたができるということ、知っていますから」
同僚の励ましに、三つ編みのメイドは頷く。彼女があの夜に成したことを知り、屋敷のメイドたちはどこか彼女に優しくなっていた。
意を決して主人の部屋の扉をノックした。二回、少し間を空けもう二回。
「入れ」
「失礼します!」
室内からの声に応じ、メイドは扉を開ける。執務机に構える主人を目にして緊張は最高に高まるも、教えられたとおりに動くことを試みる。
振り返って扉を閉めるとき、金髪のメイドがウインクで応援してくれているのが垣間見えた。
三つ編みのメイドは主人の前まで歩き、息を吸う。いざ本番となるとやはり重圧を感じる。それでも、あの夜が彼女を強くした。
主人のために生きるとき、彼女は変わる、漲る想いが力となり、顔の熱も汗も引いていく。
あの日あの吹雪の中で、少女の瞳は月に焼き付いた。
それは今までずっと変わらない、一つの真実。
左足を一歩引き、軽く膝を曲げる。三つ編みのメイドは実に自然に、優雅に、スカートの端をつまんでお辞儀をした。
深々と恭しく、生涯の主にその忠を示して。
「本日付けでご主人様のお傍付きメイドになりました、ノワルーナです。我が肉体、魂を御身に捧げ、尽くしましょう」
ご主人様のために! ~メイドvsゾンビ~ 白ノ光 @ShironoHikari
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