第21話
「不死王陛下によくも……うおっ!」
不夜城から出てきた大蜘蛛が、メイドたちに糸を吐こうとするも失敗に終わる。糸は風に飛ばされあらぬ方向へと流れていった。
大蜘蛛自身も体重が軽いために、地面にしがみつくだけでいっぱいいっぱいだ。既に一部のゾンビや施設の建材が宙を舞っている。
一際大きな雷が落ちる。それは教会を模した建物の屋根、十字のようなシンボルに着弾した。根元から焼け落ち、嵐の中を泳ぐ魚の一つへと転生。
黒き渦は全てを飲み込む。祈りも、誇りも、意志も、願いも、信念も。全て全てを取り込み今、最も大きくなった。
「ああもう、運の悪い……! メイドちゃん、危ないぞ!」
強風で危険にも関わらず、博士は運転席の扉を開けメイドに叫んだ。声は虚しく、嵐の音にかき消される。
メイドの右側から、先ほど飛ばされた十字のようなシンボルが向かってきていた。偶然と呼ぶにはあまりにも正確に過ぎ、吸い込まれるかのような軌道だ。
「うあっ!?」
気付いた時にはもう遅く、人の背丈以上ある大型の木材はメイドの身体に衝突した。だがそれで壊れることも、また気流に乗って消えることもない。
メイドは咄嗟にそのシンボルを掴んでいた。十字に交差する形状の部位を捉え、受け止める。何を考えたわけでもなく、飛んできたからそうしたというだけだった。
「こんな時に、邪魔……!」
自分の不運さに悪態をつくメイドとは逆に、主人の方はそれを見て何かを発案したようだ。主人の小さな微笑みに、メイドは自分の体質を笑われたのかと思い恥ずかしくなる。
「……丁度いいな、それ。貸してくれ」
「へ?」
言われるがままに渡すと、白銀は剣を収め両腕でそれを抱えた。そして猛風の中でも舞うように、素早く不死王へ跳躍する。
不死王は飛び掛かってきた男と、シンボルを挟んで互いに押し合う。勢いをつけた分後者が有利であり、不死王は背中から土の上に倒れ込んだ。
「君はやっぱり、運が良い! 今の内に、早くできることをしろ!」
「ぐ、おおおおぉぉぉ!!」
シンボルの形は丁度、仰向けの不死王を拘束するのに適していた。長い柱となる木と、横木の合間に生まれる三角形の空間に身体がすっぽりと入る。
地面に押さえつけられた不死王は、シンボルを持ち上げてどかそうとするが叶わない。火が消えていても、力を一度に使い過ぎていた。
メイドと炎を分かち合い、金の刃をその身に受けてなお立ち上がったが、両腕両脚の腱を再生した地点で呪いが足りていない。不死王は半分が人間と戻り、妻と在った昔日の記憶のみで動いている。
「お終い……!」
メイドは傷だらけの身体に鞭打ち、最後の仕事に取り掛かる。口の中から金の針を吐き出すと、それを緑色の右手に握った。
不死王の抑止を振り切り、今度は確実に、首元に針を打ち込む。
呪詛を浄化する金の光が、不死を望んだ男の身体から溢れ出す。一陣の風を残し、嵐も解けて消えていく。
夜が終わる。夢も醒める。朝の輝きがアルラトを照らす。黎明が訪れる。
雨も雷も、嘘のように去っていった。代わりに現れたのは雲一つない空。
小鳥の囀りさえ聞こえそうな、麗らかな春の日だ。
「温かい……。ヴァニエ、君はこのような雨上がりが好きだった、な────」
不死を破却された男は朝日の中に眠った。全ての終わりを認め、最後に愛する者の名を呼びながら。
「……おい、おかしいぞ。ゾンビがまだ動いてる! 不死王は人間になったのに……どういうことだ!?」
博士が異変を訴える。博士とコックを襲うとしていたゾンビたちは、メイドとその主人を襲うことにしたのか、それとも王の弔いか。広場の中心に集まってきている。
青年は疲れっ切った顔をしながらも剣を構えた。が、隣のメイドの様子もおかしいということに気付く。
「ぐ、う、あぁ……!」
「どうした!? 大丈夫か……?」
メイドはしゃがみ込んだまま、左腕を押さえている。噛まれた傷はゾンビ化の影響で癒えていた。怪我が痛むわけではない。
少女の身体は全てが緑に染まり切ろうとしていた。聖なる油によるゾンビ化の抑制が完全に消え、呪いはメイドの中で再び育ち始める。
不死王によって直接呪詛を流し込まれたメイドは、新たな不死王となる寸前だった。諦めの悪い男の、最後の抵抗だ。
メイドは金の針を主人に渡そうとするも、途中で倒れ込んで落とした。白銀はその意を汲み、地面の上の針を取る。
そしてゆっくりと、メイドの身体を抱えた。
「お、お願い……します、ご主人……様」
金の針を首元に刺せばいいのだろうと、主人は頷く。
メイドは今すぐにでも目の前の人間を襲いたい衝動に駆られたが、必死に堪え歯を食いしばる。
「この朝を迎えられたのも、君のお陰だ。ありがとう、私の素晴らしいメイドよ」
笑いかける主人の顔を間近で見て、メイドの心中に幸福の花が咲く。彼女にとってはこれだけで、人生で最も長かった夜を生き延びた甲斐があった。
たおやかな労いに彼女は大粒の涙を零した。恥ずかしいと思いつつも、溢れて止まらない。涙は明日の光を反射して、宝石のように輝いた。
主人の優しい指がメイドの首筋に触れ、静かに針が刺さる。痺れるような刺激が奔った。
「んっ……!」
艶やかな声を出して、メイドの意識は光の中に融ける。そして、長い眠りにつく。
愛する主人の腕の中で、このまま死んでもいいとさえ思いながら。
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