第20話

 コックコートを着た男は、不夜城の三階、王の間の外でメイドと不死王の話を聞いていた。メイドが掴まれ、地上に落とされる瞬間も。


 「すまない……」


 物陰で一人呟く。男には力がなかった。この場で出て行こうとも、軽くあしらわれゾンビにされて終わりだろう。

 それが事実だとしても、メイドを見殺しも同然にするのは辛い。男は唇を噛む。


 テラスに出て行った王は、警戒をしていない。今なら王の間に入っても物音を立てなければバレないだろう。天井にいた大蜘蛛も消えている。

 男はそう考え、銀髪の青年を救いにいった。城の一階や二階で、怪しげな呪術使いたちに一方的な戦いをしていたのを見ていたのだ。彼の力ならば、あの王を倒せると踏んだ。


 糸くずだらけの青年は、怪我をし意識がないものの息がある。ゾンビ化もしていないようだった。

 彼の隣には銀色の装飾された小箱が置いてあり、中には白い丸薬がぎっしりはいっている。コックは研究所でしていた会話を思い出した。


 「ええと、たしか……。この男がメイドの主人なら、薬を飲ませないといけないのか」


 必要な処方量など分からない。男はとりあえず丸薬を数粒、青年の口の中に突っ込んだ。後は勝手に溶けてくれるだろう。

 不死王の様子を窺おうとテラスを見れば、もうそこにはいない。王は地上に飛び降りていた。メイドは戦っていたのだ。


 「無茶しやがって……!」


 コックも加勢せんと駆け出す。メイドの周りには、まだ大量のゾンビが様子を窺っていた。あれでは多勢に無勢、助けが必要だ。

 城の二階から続く城壁の上の銅鑼はまだ健在だろうか。青年をその場に寝かし、コックは階段を下りていった。




 闇に落ちる意識の中、彼の脳裏にふと浮かび上がるものがある。

 あの寒い日の事だ。前代未聞の大吹雪は、アルラトに大きな打撃を与えた。


 大勢が死んだ。満足な暖房設備を持たぬ者は、家の中でも凍えて死んでいた。薪は酷く高騰し、そのうちいくら金を持っていても手に入らなくなった。全て尽きたのだ。

 居住地区も工業地区も商業地区も、その他の地区も全て全て、白く冷たい雪に覆われた。それだけでも異常だというのに、こぶし大の雹が人や物を傷つけていく。

 屋敷の窓もいくつも割れた。雨戸を閉めても、雨戸ごと破壊される。家財のいくつかを破壊して薪にもした。屋敷で働くメイドを凍えさせるわけにはいかない。男は優しかった。


 特に厳しい大吹雪は三日ほど続いた。最初の二日は屋敷の中に籠った。寒さを訴える居住地区の住人を、いくらか受け入れたりもした。屋敷とて十分に暖かいわけではなかったが。

 最終日に、男は貧民窟の住人たちが気になった。その頃には吹雪の勢いは大分落ち着いていたが、それでも前例のない天候だ。家もない彼らはどうなっていることか。


 心配は最悪の形で現実となっていた。雪の下には死体が埋もれ、頭や手足だけが見えるものも多い。これほど大勢が死んだことはない。冷たい地獄がそこにはあった。

 男は口惜しんだ。彼らを救うこともできたはずだ。全員ではないにしろ、大きな屋根のある建物にでも彼らを入れてやれたら、死者の数は全く異なったはずだった。

 貧民窟の住人がいくら死のうと、ほとんどの人間は気にしないだろう。むしろ掃除ができて良かったと思う者すらいる。だが、そうではない者もまたいる。


 誰もが“普通”の暮らしをできるように。そういう世界を望んでいた男は、自分の愚かさを嘆いた。力なき彼らは、力ある自分が守るべき庇護対象だった。

 力を持つ者は、弱者にその力を貸す。このアルラトに住まう貴族として当然のことだと思っているが、貧民窟の住人に構う者は自分ぐらいだということも、また知っている。


 しかし結局は自分も、保身に身をやつした愚者なのだ。わが身大事に屋敷へ篭り、救えるはずの者を見殺しにしただけ。男の苦悩は続く。守ると意気込み、何も成せていない。

 いいや、男の判断は間違っていない。居住地区の人間を既に受け入れており、屋敷にはその他大勢の貧民に割く余裕はほとんどなかった。それでも男は、自分が彼らを蔑ろにしたという罪を重く感じた。


 そして雪降りしきる寒空の中、男は幾人かのメイドを引き連れ、貧民窟へと向かったのだ。とっくに間に合わないと分かっていながら。そこで凍えた死体を幾つも見て、地獄の跡を味わった。

 男はメイドに、死体を掘り起こして丁重に埋葬するように伝えた。これらの死の一部が自らの行いに起因するとした男は、その責務を果たすつもりだった。

 だが、見つけたものは死体ばかりではない。微かな希望を、地獄の中で拾った。


 メイド長が、まだ生きている者がいると男に伝えた。その時、男の心は間違いなく救われた。

 既にほとんど手遅れだった惨状でも、まだ助けられた命がある。男はやせ細った死体のような少女に感謝した。心の底から。


 なぜこのような、どこの馬の骨とも分からぬ女をメイドにするのか。配下のメイドから、そう問われたことがある。


 「彼女にはもう、行くべきところも、あるべき居場所もない。可哀想だから、彼女のためにも私が面倒をみてやらないといけないだろう?」


 自らの主人の懐の深さに、メイドは感嘆する。同時に、面倒見がいいのもほどほどにした方がいいと主人に具申した。育ちの悪い者とは、一緒に働きたくなかったからだ。

 男は笑って流したが、実のところ、この理由は半分が嘘だ。彼女のため、ではない。庇護対象ではあるが、一人にこうまで手を掛ける必要はない。


 男は拾った少女の笑顔に、自分の罪に対する赦しを見ていた。自分の手で拾い上げた花を大切に、色付かせて咲かせる。そうすることで、自分の心を満たせる。

 つまるところ、これは男のおためごかし。花にいくら水をやろうと死んだ者たちが蘇ることはなく。男はただ、育っていく花を見て無能な自分を慰めているだけだった。




 青年は目を覚まし、天井のシャンデリアを見る。蝋燭の灯りで、その金の装飾が際立って光っていた。

 上半身を起こし、周囲を確認。辺りには誰もいない。青年が立ち上がろうとすると、手に銀の薬箱が当たる。


 「……そうか。君だったのか、何度も私を助けてくれたのは」


 この悪夢のような事件も、自分一人の手に負えるものではなかった。守るべき住人たちは皆、ゾンビへと変貌してしまった。

 あの日と同じく、とうに出遅れている。それでも後悔している時間は無い。自分にはまだ、やるべきことがある。

 青年は決意した。まだ、自分のことを信じてくれる人がいる。彼女のためにも、諦めるわけにはいかなかった。


 外から音がする。火事のような、炎が噴き上がる音だ。

 テラスから広場を見下ろせば、不死王がメイドに詰め寄っている。メイドは青い炎に包まれ、左腕から夥しい量の血を流していた。

 白銀は迷わずテラスから飛び降りる。まだ間に合うはずだ、そう願って。




 「不死王、あなたの気持ちは分かる。大きなものを失う感覚を、二度と味わいたくない。それは誰だってそうだろう。だが、ゾンビとなり意識を奪われるのは御免だな」


 強くなってきた風に、白銀のボロになった赤い衣がたなびく。剣先はしっかりと不死王に向いていた。

 病弱であった青年の身体は軽い。薬により、重い枷は外された。自分のメイドが傷つけられているということもあり、いつも以上に集中し神経が研ぎ澄まされている。


 「私の理想はね、誰もが普通に生きて普通に死ねる世界なんだ。生まれも育ちも関係なく、人が人としてささやかな幸福を得、寿命でその生を全うできること。……だから、あなたの世界とは噛み合わない」


 月光に煌めく剣閃が、襲い掛かる不死王の四肢を切り刻んだ。鮮やかな白銀の剣舞に、メイドはすっかり見惚れた。

 両腕両脚の腱を綺麗に斬られた不死王は、その場に崩れ落ち、さらに背中から剣で地面と縫い留められる。ほとんど身動きできない状態だ。


 「白銀……! 以前とはまるで動きが違う……!」


 「残念なことに持病持ちでね、私は。彼女が薬を届けてくれたんだ。流石、私の自慢のメイドだよ」


 不死王の配下を倒した後、弱りきった白銀は一度不死王に敗れた。しかし今の青年は、本来の強さの肉体と本来以上の固い精神を持つ。

 自らの主人に目の前で褒められ、メイドは赤面を免れない。恥ずかしさのあまり、つい顔を逸らしてしまう。


 星の光を遮るほどの大きな黒雲はうねり、突如として大雨を降らせる。季節外れの嵐がアルラトを飲み込んでいた。予報された異常気象だ。

 風と水のアンサンブルは土を一瞬で黒く染め上げ、メイドたちの血を洗い流す。聖なる炎は雨水で消えるものではないが、呪いを焼き尽した油はその役目を終え、水と共に流れ始めた。


 「メイドちゃん、まだ動けるか!? 今だ、アイツに金の刃を突き立てろ!」


 横転した車の運転席から、博士が顔を出す。その声を聞いてメイドは、顔を赤くしている場合ではないと思い直した。

 この場で、ゾンビを完全に倒せるのはメイドだけだ。それが彼女に与えられた役割だった。


 「ご主人様! 私、ゾンビを元に戻せます! その人、抑えててください!」


 「させるか……! うおおおおおおおおおぉぉぉ!!」


 メイドの主人の剣に貫かれながらも、不死王は嵐の中に雄たけびを上げた。それは周囲一帯全てのゾンビを呼びよせる。

 不夜城の城壁を乗り越え、商業地区中のゾンビが広場に集まり始める。不夜城の中からも窓や扉からゾンビが湧いて、青年とメイドを襲おうとにじり寄った。


 「こっちのゾンビは気にするな、メイドちゃん!」


 博士は思いきりクラクションを鳴らす、王の号令はラッパ音にかき消され、壁を越えてきたゾンビたちは博士の乗る車に誘導されていく。

 だが正反対、不夜城から出てきたゾンビたちは、遠くの車より近くの人間を優先する。このまま命令通りに動くかと思われたが、不夜城の三階、王の間のテラスから金属音がする。


 「おい、こっちだ! 俺はまだここにいるぞ!」


 コックコートを着た男が、雨に濡れながらフライパンをオタマで叩いている。地上のゾンビたちは届かぬ手を伸ばしながら行動を停止した。

 このままでは不死王がメイドの刃に斬られる。臣民たちを妨害する男を排除せんと、王の間に大蜘蛛が集まった。


 「逆賊め、大人しく糸玉になれ!」


 「おおっと、そうはいくかよ!」


 大蜘蛛の射出した糸は、コックの包丁によって断ち切られる。完全に糸を防げるわけではないが、少しの時間でも稼げれば十分だ。

 博士やコックが作った敵の隙にメイドは乗じ、チェーンソーを構えて一気に不死王の元まで走っていく。

 もう右手だけでチェーンソーを支えられないメイドは、両手で強く持ち手を握った。狙うは地に伏す不死王の頭。外すことはない。


 「うがああああああああぁぁぁっ!」


 「この……!」


 不死王はなんと、両腕の腱を急速に再生させて上半身を起こした。白銀の剣が背中から腹に刺さったままだが、剣ごと青年を持ち上げる。青年は剣を引き抜いて距離を取った。

 不死王は腕を振り回そうとする。だがその両腕がメイドを掴むよりも早く、メイドの金の刃は緑色の腹に食い込み、刃の回転と共に眩い火花を散らした。


 「これで……っ!」


 ゾンビ化の呪術とは逆の式を書き込む金の刃は、不死王の身体の緑を剥がしていく。呪いは消える。不死もまた終わる。

 三十年掛け掴んだ星が、崩れて墜ちる。切なる願いと共に、また届かぬ宙へ。






 「────許されるものか、そんなこと!」


 ゾンビ化は一瞬にして解除されることはない。不死王は自らに突き刺さったチェーンソーの刃を、横合いから拳で砕いてへし折った。

 メイドの抱えていたモーター部分も砕かれ、吹き飛ばされる。回転していた刃はそのチェーンを千切られ、王の胴から力無くするりと抜けた。悪夢の夜はまだ続く。王の意志はまだ折られない。


 「この世に、この世に死などなければ! この生が、幸福が永遠であれば! 余の妻が、今も隣にいてくれれば……! 余は、それで……!」


 「そんな……」


 不死王は脚も再生し、立ち上がった。全てはこの日のため。たかが小娘一人に終わらせられるほど軽くはないと、王はその威容を以て示す。

 白銀はメイドを守ろうと、庇う形で彼女の前に移動する。青年の端正な顔も、王の決意を前にして一筋の汗を流した。


 「大丈夫か!? これは厳しいな……武器を奪われたか」


 「ま、まだ! まだ手はあります、もう一度動きを……」


 「我が王国は、ここに誕生する! 開闢の時だ! 誰もが悲しまぬ涙のない国を、我が妻に捧げよう!」


 まるで不死王の宣言に天が呼応するかのように、嵐は一層強さを増して雷雨となった。稲光を背景にした両腕を広げる不死王の姿は、見る者を畏怖する。

 もう月は見えなかった。淡く別れを告げる星明かりも、そろそろ届くはずの朝を知らせる陽光も、この大嵐では霞んでしまう。

 しかし、よく目を凝らせば映るだろう。昏い世界に、まだ輝く光があることが。

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