第31話

それから彼が二階へ上がってみると、少し古びた扉が目についた。それはあの静謐な部屋の扉だった。

彼は扉の前に立ち、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。そうすることで、座禅を組んでいた時の感覚に少し近づけるような気がした。やがて彼はノブに手をかけて、ゆっくりとその扉を開いた。


その部屋に入った時、15年前に見た光景が彼の中に鮮明によみがえった。

誰も何も言わずに流れた時間。ソファーは新しくなり、扇風機はエアコンに変わっていたが、その部屋に流れている静かな時間は変わらずそこにあった。


世界はそのスピードを日々速めているように見える。誰もがその速さに遅れまいと必死になって、今日を生きている。

でもそれは本当だろうか?実際にはこの部屋に流れる時間のように、世界はゆっくりとした、穏やかな時間にそって動いているものなのかも知れない。


彼は力が抜けてしまったかのように部屋に置かれたソファーに座り込んだ。まるで時が止まったかのような、静かな世界。それがこの夏の彼の出発点であり、そしてゴールだった。彼は少しの間、ぼんやりと部屋の中を見つめていた。15年前に親戚の誰かがそうしていたように。そして彼はつぶやくようにこう言った。


「この世界には望むべきことなんて、どこにも無いのかも知れない。」


彼はソファーから立ち上がると、窓をさっと開け放った。吹き込んできた気持ちの良い風が、カーテンをふわりと膨らませた。

窓から見上げると青く澄んだ空には、ひとすじの飛行機雲が真っすぐに伸びていた。まるでどこまでも続いて行くかのように。

その美しい直線を目にした時、彼はその夏初めて、心の底から微笑んだ。

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静謐な部屋から 渚 孝人 @basketpianoman

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