第4話(1)-4
一度退出した極楽さんが、また部屋に入ってきた。
何かお茶菓子でも用意してくれたのかと思ったら違った。
「女狐さんが用事があると言ってどこかへ行かれました。千鳥様とお話しするなら今が良い機会と思います」
だから関わるなって言ったのに。僕の方から家に来ておいてなんだけど。
「千鳥様からは、あなたが家に来たらなるべく引き留めておくようにと言われています」
千鳥と女狐との間に板挟みになって大変だな、極楽さんは。
「じゃ、お言葉に甘えさせてもらいますか」
僕の方は特に用事があったわけでも無い。後で大学に行った話をすると、『どうして家に寄ってくれなかったのか』とうるさいから、寄っただけである。
千鳥はリビングにある真紅のソファで横になっていた。
彼女の真っ白で腰まである髪の毛は真紅のソファにとても良く映えていた。真っ黒なネグリジェを着て、長い髪の毛はだらしなく身体のあちこちに巻き付いている。寝相が悪い証拠だ。
寝るときはベッドで寝るように言っているのだけれど、いっつも聞きゃあしないな。本当に。
「んんっ……」
千鳥の眉が中央に寄る。嫌な夢を見ているようだ。
彼女の細く白い指が真紅のソファを力強く掴んだ。
僕はそんな彼女の手を握る。
彼女も、とある呪いで苦しんでいる。
千鳥の特殊能力『
彼女の半径約50キロメートルの範囲内に起きた殺人事件の映像が脳裏に再生される。ほぼリアルタイムで神の視点から俯瞰する。殺人事件を見ることが出来る。否、目を
彼女の能力の範囲内で行われた殺人事件において、それがどんな密室で行われたとしても、彼女は必ず目撃者になる。
警始庁の検挙率が大きく上がったのはこれに起因する。事件自体を彼女が目撃しているから、犯人は特定されているようなものだ。警察は犯人を検挙するだけだからだ。
この呪いは彼女の幼少期からあり、彼女はずっと目を逸らし続けていた。これは悪い夢だと。特殊能力は人を救うだけではない。その人自身を傷つける能力もある。それを『呪い』と呼ぶ。消し去りたい『呪い』。
そんな呪いを正しく使い始めた千鳥は、警察内では『名探偵』と呼ばれ、ある者には『神』と崇められ、ある者には『死神』と嫌われている。
僕からすれば一人の可愛らしい女の子だ。『名探偵』なんて呼ばれても、一度脳裏に刻みつけられた殺人事件はどんなことをしても覆ることは無い。それは決定された死。「被害者が殺される様を、黙って見ていることしかできないなんて、そんなの名探偵なんかじゃない」
「私は、『死神』だ」
って千鳥は自分を卑下している。彼女の艶やかな黒髪が全て白くなってしまったんだ。その深い悲しみを、有り余る絶望を、共感だなんて簡単な言葉では片付けられない。知る由もない。肩代わりすることはできない。
だからこうして、彼女の手を握ってやることくらいしかできないんだ。僕は。
今もこうして、多分きっとどこかで人が殺されている。その映像が脳裏に刻まれ、彼女は苦しんでいる。見て見ぬふりをすることも出来る。見た映像を忘れようと努力することも出来る。無かったことにして、大好きなマカロンの期間限定のカラフルでスイートな味わいに思いを馳せてもいいかもしれない、それもまた素敵なことだ。生きているんだ。苦しんでいるんだ。そのくらいの幸せを彼女にも味わわせてあげたい。
でも、彼女は苦しんで、苦しみ抜くことを選んだ。その殺人事件の映像から目を逸らさなかった。犯人の顔を刻みつけた。凶器の行く末から目を離さなかった。逃亡する手段を覚え、事件の起こった場所の特定をし、すぐさま警察に連絡する。何も知らない警察に、当該事件の起きた場所、犯人の容姿、被害者の容態、凶器の特定、証拠品の取り押さえなどの情報を伝えなければならない。目を逸らしていたら、被害者の無念を伝えられない。最初で最後の目撃者となるために、彼女は『名探偵』になった。
彼女の眉間のシワを指の腹で撫でた。
可哀想に。
君の苦しみを分かってくれる人がどれほど居るだろうか。
とすっ。
「まだ居たの?」
僕の脇の下からナイフが生えてきた。
そんなわけが無い。真紅のソファにナイフが刺さっている。音もなくナイフは投擲された。
女狐。帰ってきたのか。
「こんなことをして、千鳥にナイフが刺さったらどうする?」
「そんなヘマ私はしないわ。さっさと離れなさい」
「ナイフ遣いの君はヘマしなくても、僕は不死身だぜ? 因果を曲げて、僕に当たるはずのナイフが千鳥に当たったらどうする? って言ったんだよ」
「…………あなたが千鳥から離れないからよ。全てあなたのせいよ」
「君のナイフだ。君のナイフが千鳥を殺す。僕は千鳥を守ることが出来ない。死は僕から逃げる。僕をすり抜けて僕の周りを殺す。君は分からないだろう。千鳥の気持ちが。人の死を前に立ち尽くすことしか出来ない千鳥の気持ちが」
人の死を、ただ見守ることしか出来ない。見殺すことしか出来ないだなんて。その死から人を守ることが出来ない。その悲しみを。絶望を。
その気持ちを僕だけは理解出来た。
僕は彼女を守ることが出来ない。僕はただ彼女を愛することしか出来ない。
「人を傷付けることしか出来ない君とは違うんだよ、女狐。君と千鳥は違う」
僕と君とも違う。
君がいくら千鳥を愛したとしても、その愛は報われないんだよ。
「うるさい!!」
僕が何を言わんとしているのか。何も言わなくても伝わったのかもしれない。
これは、愛かな。
「あなたが居なければ私の姉さんは死ななかった! あなたが殺したのよ、『神殺し』! あなたがみんなを不幸にしているの! 『失敗作』!!」
昔からそうだ。大抵の訃報は僕のせいにされたし、大概の不幸は僕のせいにされた。
僕のせいじゃないものもあっただろうけれど、僕のせいなこともあったと思う。
不幸と幸福は表裏一体だ。誰かの不幸が誰かの幸せになることもある。そういう意味では僕は誰かの幸せを作り出していたのかもしれない。
しかし、訃報はその限りではない。僕は死を生み出しているだけで、生を作り出している訳では無かった。
救いは無い。
僕が存在しているだけで、誰かを不幸にしているのは事実だった。
「近付くな! 消えろ! あなたを視界に入れるだけで、同じ空気を吸っているだけで虫唾が走る!! 人殺し!! あなたが居なければ、百声さんだって、きっと……!!」
「女狐?」
鈴が鳴くような可愛らしい声がした。
「まったく、人が気持ちよく寝ている時に話す音量じゃないよね、二人とも」
千鳥がソファから起き上がった。伸びをして、髪を両手で整えた。それだけで絡みつき放題だったはずの髪は艶やかに姿勢を直した。
「……千鳥」
「女狐、言ってもいいことと、悪いことがあると思うな、私は」
「…………っ」
「投げていいものと投げちゃダメなものもあるよ」
「もっと言ってやってくれ、ちど」
僕の口を千鳥の細く白い人差し指が塞いだ。
「今は私のターンね、かーくん」
「…………」
喧嘩両成敗か。僕だけが正義では無い、ってことか。
「女狐、アイスが食べたいな。ちょっと、買ってきてくれる?」
「……わかったわ」
女狐は大人しく出て行った。嵐が去っていったように静かだ。
「おはよう、かーくん。来てくれたんだね」
千鳥は笑っていたが、少し疲れた顔をしていた。さっきまで寝ていたとは思えない。
「おはよう、千鳥。いい夢を見ていたようだけど」
「あぁ、そうだった。ありがとう。忘れちゃいけないよね」
テーブルに置いてあった赤いスマートフォンから、慣れた手つきで電話をかけた。
「あぁ、がっきー。先贄三丁目の団地4号棟4階で殺人ね。犯人は焼肉柄のTシャツ着て、真下の階の3階に逃げ込んだから、住人だと思う。早く向かって。至急ね、よろしく」
ヒトゴロシミュレート ぎざ @gizazig
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