第3話(1)-3

 応接室に入ってきたのは極楽さんだった。

 明るい色の茶髪はきちんと首の後ろでまとめられ、伏し目がちな様はフランス人形のようだった。

 さっきから目を合わせようともしない。

「女狐様から伝言がございます」

「いや、いいよ。大体分かるから」

 多分「死ね」とかそういった類いの言葉だろう。

「七島様は、何故女狐様に嫌われているのですか?」

「人を嫌いになるのに理由がいるかい?」

「必要でしょう。少なくとも女狐様の嫌い方は常軌を逸しています」

「極楽さんは、人に嫌われたことがある?」

「……職業柄、多少は」

 召使 極楽さんの職業。メイド。使用人。給仕。人のお世話をする仕事。人に仕える仕事。それなのに嫌われてしまうなんて、ひどい世界だ。

 なんてね。前言撤回だ。

 人と関わる仕事に善悪など意味は無い。善い仕事であろうとも嫌われるし、悪い仕事であろうとも好かれてしまうのが世の常とも言える。

「僕もそうだ。人のためにあれこれやってみても、裏目に出てしまったり、余計なお世話だったり。不都合な真実を隠すために悪者になってみたり、そうやって色々な人に嫌われてきた。どれもこれも決して悪いことばかりじゃない。嫌われの感情は好きの裏返しみたいなものさ」

「そうでしょうか」

「女狐からは『殺したいくらい大好き』って言われたぜ」

「普通は好きな人を殺したりはしません」

「普通はね、僕たちは普通の人間じゃ無いんだよ」

「はぁ」

 極楽さんは呆れていた。

「それに、君だって普通の人間じゃ無いだろう、召使 極楽さん。【召使めしつかい集落しゅうらく】の」

 その言葉を口にした途端、極楽さんはメイド服の細くくびれた左袖からコルトパイソン・ロワイヤルを滑らすように手のひらに移して僕のこめかみに突きつけた。

 ゼロ距離射撃、待った無し。

「ひゅう」

 僕は口笛を吹いた。

「暗殺者集団【召使集落】。名前を聞いた時まさかとは思ったけど、久しぶりに会ったぜ」

「一応、【集落】の人間は、その名を聞いた者は全て殺しているはずなんですけれど」

「僕は例外なんだよ。知らなかったのかい?」

「あなたのような例外、そのお伽噺とぎばなしのような噂話。聞いたことはありました」

「ならやめた方が良い。僕を殺すことはできない。もしかして、君、僕のことが好きだったりする? 殺したいくらい」

「いいえ」

 極楽さんは小さな拳銃コルトパイソン・ロワイヤルを袖の中に収納した。「あなたに関わるとろくなことが無い、と奈落が申しておりました」

「【召使集落】の最高傑作にして最終兵器、召使 奈落か。まだあいつ生きてるんだ」

 以前背後に立たれて以来、生死の縁をさまよったことがあった。僕では無く、奈落の方が。

「えぇ。生きていますよ。暗殺者集団は、割とあなたたちのすぐ近くにいます」

 まぁ、コードネームを名乗って、集団で行動する暗殺者も珍しいけれどね。【召使集落】の他にも何個か知ってるけど。

「召使 極楽。君の二つ名はなんて言うんだい?」

「『お気に召すままアズユーライク』です」

「メイドさんっぽくていいね」

「あなたの『神殺し』には負けます」

「勝ったって良いこと無いよ」

神殺しノーネーム』『失敗作ディザスター』『お伽噺フェアリーゲーム』『真っ赤な他人ドレッドネイバー』……。

 僕に冠された二つ名は全て僕の罪状を表していた。

 僕を知らない人からすれば、厨二病だなんだと言われるに違いない。実は僕が以前世界をだなんて知る由もないだろうから。

「暗殺者としての君に聞こうか。『愛』は『殺意』になり得ると思う?」

 殺意をより実務的に、近くに感じている暗殺者にこそ聞いてみたい質問だった。

「はい。『愛』とは『執着』のこと、『殺意』は『感情の嵐』。『執着』が感情に波風を立て、人を愚かな化け物に変えます」

「なるほどね」

 『執着』は内的要因だ。『殺意』は感情の一直線上にある、という考えか。『殺意』は異常なことではなく、感情を持ってさえいれば、誰だって持ち得るものだと。

「暗殺者としての私はその感情を殺して、依頼人に尽くします。私情を挟めば暗殺者としては失格です。『失敗作』です。私は『お気に召すまま』。依頼人のために時に人を殺します。そこに『殺意』は無く、『感情』はありません」

 暗殺者には『殺意』は必要ないのだと。

 『殺意』を持つ依頼人に尽くすために、『感情』を捨てるのだと。

「私は人形です。傀儡です。機械です。私の中の『人間性』を最初に殺す。それが暗殺者であると思います」

「君の口からは、『愛』とは『自己犠牲』であると、そういった話が聞けると思っていたよ。『滅私奉公』、『お気に召すまま』なんだからさ」

 ビジネスにおいて『自己』は排除すべきもの、という考えなのだろう。『殺意』は自分の中にあって、『愛』を根源とすべきものなのなら、『愛』に付随したものなのなら、『自己』を排除した人形であり、傀儡であり、機械である暗殺者には『殺意』などあるはずもない。滅私奉公。『自己』である『私』は消滅しているのだと。自己犠牲。『自己』である『私』は淘汰されているのだと。

 暗殺者における『依頼人のために』というのは『愛』ではなく、契約上の関係だということだ。

 それなら、女狐の中にある僕への『殺意』はれっきとした『愛』によって成り立っているのだろう。純度百パーセントの私情ってやつだ。僕に向けられた『愛』ではなく、千鳥に向けられた『愛』。『愛』を向けた人と、『殺意』を向けた人。必ずしもイコールではないだろう。むしろ、イコールな例の方が珍しいと言える。

 やはり、普通は『愛』を向けた人に『殺意』を向けることは普通はあり得ないのだろう。とするとやはり、女狐は僕のことを嫌っていたのか。うーむ。

 僕は目の前にいる、己を『人形』であると自称する極楽さんと対峙した。

 己を『傀儡』であると自戒する、『機械』であると自認する彼女。

 しかしその考え方は間違っている。

 人形が己を人形であると、傀儡が己を傀儡であると、機械が己を機械であると言い聞かせることはない。

 可哀想に。君はどう足掻いても人間だ。血も涙も君の中に止め処なく溢れ、それはごうごうと脈打っている。

 君は異物でも人形でも無い。

 君は俗物でも傀儡でも無い。

 君は罪人ではあるけれど、機械では無い。

 罪は、生きている人間にしか無いものなんだから。

 執着とは悔い。悔い改めるという概念。

 己を正当化し、己を概念化し、己を抽象化し、己を透明化する。

 どう取り繕って、『己』を切り取って隠したところで、それは『己』のために行われたこと。利己的で排他的な欲にまみれた行為。

 そんなもの、僕たち人間にしか無いものだ。

 可哀想に。

 己を機械のように扱わないと、人の生き死にに関われないなら、人殺し家業に割り切れないなら、それこそ君は暗殺者失格だ。『失敗作』だ。いずれその甘さに、人間くささにやられてしまうだろう。

 それは彼女自身の自業自得だ。この世界に身を置いてしまったことの不運。不遇。不幸。彼女は【召使集落】に名を連ねるには甘かった。可哀想に。誰もそれを教えてくれずに、近いうちに自分で思い知ることになる。


「千鳥は? まだ眠っているのかい?」

「はい。女狐様の膝枕で」

「………………」

 千鳥を甘やかしても良いことないぞ、女狐。

「僕自身が言うことじゃないけど、僕とあまり関わらない方が良いよ。君自身が死ぬか、君の大事な人が死ぬことになる。君自身が泣き叫ぶか、君の大事な人が泣き叫ぶことになる。どうも、僕の周りには不運の磁場が渦巻いているようなんだ」


 僕は以前世界をわけだが、それは僕自身の所業だと烙印らくいんを押され今に至るわけだけど、それは不正確だ。

 僕自身の【不運の磁場】を利用した大人達による策略の渦中に僕がいた、というのが正確なところ。何せ僕は当時4歳だったのだから。


 たった4歳の少年に『失敗作ディザスター』という仰々ぎょうぎょうしい烙印らくいんを押し、僕の能力を封印するために僕を構成する『僕らしさ』を剥奪はくだつした。僕に付与された『七島 某』は偽名だ。僕の本名を知る人はほとんど死んでしまった。本名を知ることが不運の何らかのになっていたようだ。

 本名を知っていてなお生きているのは千鳥くらいだ。

 今も傍にいてくれるのは千鳥くらいだった。


 そして、善くも悪くも全てが剥奪された僕に残ったのは、かつてのガールフレンドから施された不死の呪いだけだった。

 不死の呪い『不届き者ディスコネクト』。

 愛し愛する相思相愛の人からしか殺されることが無い、不死身の呪い。

 普通、愛する人を殺すわけが無い。だから僕は、暗殺者に拳銃で撃たれても、復讐者にナイフで刺されても、正義のヒーローに線路に突き飛ばされても死ぬことは無かった。せいぜい捻挫ねんざをする程度。

 僕は愛する者を殺したい気持ちは分からなかったが、愛する人から殺されたい気持ちは十分すぎるほど知っていた。

 愛を知る前に、僕は自死を願っていたから。

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