道化の骸 一般通行人(鬼)

 痛む右足を引きずりながら、使い慣れた松葉杖を突いて学校へ向かう。一か月休もうが気にかけてくる人などいないので、麻痺した心で扉を開ける。入ってきた僕に気づいた奴は、こちらを見ては耳打ちをするだけだった。いい加減見慣れた視線だと割り切り、僕は机に突っ伏して眠るふりをする。

秋晴れの青が気に食わない昼間を、呪い殺すように冷ややかな目で見つめ、気だるげな瞳を閉じる。


 つまらない、の一言に尽きる学校がようやく終わり、家路とは正反対の高架下へ向かう。

 冷たく鈍い痛みを肌に染み込ませた鎖の感触は、今も尚足にへばりつき、右足をひどく重くさせる。まるで、見栄ばかリ気にする、分厚い家畜の皮膚をした、人格破綻者の両親がしがみついているようだった。

 久方ぶりの高架下に着くと、アルプス一万尺をしている少女と子猫を見つけた。……猫とアルプス一万尺できるんだ。

 ゆっくり近づいていくと、こちらに気づいた一人と一匹が、笑顔になるなり猛突進で走りだし…飛びついてきやがった!

 右足が禄に使えない僕は、飛びかかってきた二人を受け止めきれるはずがなく、そのまま倒れこみ激しく頭を打った。


「はっ…⁉」

 息を吹き返したかのように目を見開き、痛む頭を押さえながら上体を起こす。日はすっかり傾き、暗闇に紛れたカラスが鳴いていた。背面のふしぶしが痛い。体のあちこちを見て回ると、腰も打ったようでズキズキと痛み、両肘から血がにじみ出ていた。なんでこんな目に…いや…原因は今もすぐ近くにいるはずだ。

 辺りを見渡すと、頭を抱え丸くなっているでかい白団子と小さいゴマ団子がいた。

恐らく、僕が急に起きたので、隠れる場所もなくこの状態に納まっているのだろうが…普通は謝るところじゃないか?叱責から逃げる気満々なのが腹立つな…。

 音を立てないようにゆっくりと近づき、団子めがけてチョップをお見舞いする。特に白い方には強く。

 みっ!という鳴き声を上げ、頭を痛そうに抑えながら恨めしそうに見てくるが、軽く凄むと怯えた動物の様に震えて謝ってきた。

「まぁ、僕も鬼じゃないからいいけどさ。…で、約束通り会いに来たけど、行くってどこに行くの?」

「えと、彼岸に行くの」

「彼岸って…あの此岸、彼岸の彼岸?」

「そう。きっとあなたには合ってると思うから」

「要するに、仲間になれって?そこに行くメリットは?大体なんで僕なの?」

「仲間というか、あなたにはあそこが合ってると思うの。彼岸は此岸みたいな縛りもない、自由気ままに過ごせる場所だから、もし、今の状況から逃げたいなら来た方がいいよ。それにね、あなたはここを見つけた、私が見えた。それだけで十分資格はあると思うよ」

 一つ一つ返された返事は、常識人からすれば非現実的な文章に聞こえるだろう。だが、この少女だからこそ信憑性があると言える。

もしこの少女の言う通り彼岸がいいものなら、この甘言に惑わされふらふらと付いていきそうだ。それだけ、この世界への執着心なんて微塵もないからな。

 …というか、こいつは相変わらず癪に障る物言いをする。まるで僕のこと全てをわかったような言い方だ。前に似た者同士みたいなことを言っていたが、だからと言ってお前が僕の人生を余すなく知っているはずはないだろう。そもそも、非現実的存在のこいつのことを、僕は未だに理解できていない。だから、僕はこう言ってやる。

「…わかった気で僕を語るのはやめろ。僕はそうゆうタイプのやつが一番嫌いなんだよ。全部全部勝手に決めるやつも、勝手に僕という人間を作り上げるやつも、勝手にレールを敷くやつも僕を語るやつも全員嫌いなんだよ。だから……お前と一緒に行くのは僕の判断だ‼お前に言われたから行くわけじゃないからな‼‼」

 少女を指さし、荒げた声で言い放つ。耳まで熱が走り、じんわりと胸は熱く、擦れた喉は痛みを滲ませる。

これほどはっきり物を言い、自分の本心を誰かにぶつけたのは、生まれて初めてなのではないかと気づき、徐々に早くなる鼓動がうるさかった。

 少女は一瞬呆けていたが、僕の答えに満足したようで、目を細め赤い頬を緩ませはにかんだ。

「じゃあ、これ塗らなきゃね!」

 道端に置かれていた風呂敷を解き、白い焼き物の小瓶と、漆塗りの中筆を取り出す。

「なにそれ」

「この朱色の墨汁で胸にバッテンマークを書くの。そうしたら、悪霊がつかないんだって」

「ふーん?」

 あちら側に行くには、わりかし本格的?な儀式をしなければならないようだ。

上着とシャツを脱ぐと、秋風に当てられ鳥肌が立つ。朱墨の染み込んだ穂首が胸の真ん中を滑り、こそばゆさが全身に走り、思わず振り払いたくなるがじっと我慢する。

少し不格好な×印が書き終わると、自分がこちら側の人間でなくなった様な、妙な身の軽さと風の通りを感じる。

 服を正しながら、彼岸が一体どんなところなのかと考えを巡らせる。暗いのか、怖いのか、人ではないものが沢山いるのか。ご飯くらいは普通であってほしいな。ただ、あまりグロテスクなものは見たくないな。

着替えが済み、次は持ち物の選定に移る。鞄の中の教科書は全て放り捨てる。財布やスマホにお菓子…筆記用具くらいは必要かな。スマホの中身も、不要なものをすべて一掃する。

写真フォルダの中には、曇り空や虫、動物の死骸が多く、随分と鬱蒼とした物を保有していたのだと再確認する。天邪鬼なものばかり好いて、手元にあるのは他人には理解されないものだった。ある意味、僕なりの反抗心だったのかもしれない。写真をすべて選択し、削除リストからも完全に消去する。

 前々から、遠くに行くにはどのくらい荷物が必要なのか考えていたが、肩にかけた鞄は羽根のようだった。

「じゃ、行こうか。…あ、そういえばさ、“いらない子同士”って言ってたけどお前って……いや、なんでもないや。もうあっち側のことは関係ないし」

 僕の言葉に少女は返事をしなかったが、出会った時と同じ微笑みを浮かべた。

 癪には触らなかった

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一般通行人 水無月ハル @HaruMinaduki

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