悪い子はいらんかえ?  一般通行人(末路)

 気だるげにスマホをいじり、刻一刻と時を無駄にしている。もう十月半ばになり、九月の残暑が抜け秋の兆候を感じた。

 明らかに鈍った体はすっかり硬くなり、ベッドに繋がる固定具によって、体を軽く動かすだけで節々の痛みが染みる。

じゃらじゃらとうるさい鎖は耳を劈くが、いい加減耳が麻痺したのか、昔よりはうるさくないように思えた。最初は久々の固定具に違和感を覚えていたが、慣れとは怖いものだ。鎖の冷たい無機質な感触、痛む右足。本来慣れてはいけないものが、生活の一部となっているのだ。

今思えば、あの夜が一番感情の揺れ動いた日だと気づく。死んだ感性で生きてきて、あれほどダイナミックな恐怖はなかった。まぁ…もう二度と見たくないけど…。

 あの少女の姿を鮮明に思い返し、何度目かの吐き気をグッと抑える。一生モノのトラウマだろ、あれ…。

視線を鎖に戻す。深夜に外に出ただけで、こんなことをしてくるあいつらの精神は、もはや病気の域に達している。自分たちが納得すること以外をすれば、怒り狂い相手をねじ伏せる。我が子を所有物のように扱い、恐怖と痛みで支配し無力化する。わかってはいたが、改めて異常だと感じた。

だが、この狂気もあと少しで開放されることだから、無心でいればいいと思考を止め、重力に身を任せ布団に倒れこむ。ただ無心で、無心で、無心で、無心で、無心で、無心で、無心…

「ねぇ?なんで鎖なんかで繋がれてるの?」

久々に聞いた声が部屋からし、バッと体を起こし横に振り向くと、椅子にちょこんと座った少女の姿があった。

「え…!な…!」

 突然現れた少女に驚き言葉がうまく出てこないが、今思えば半分喰われても無事だったこいつが部屋にいることぐらい、何の不思議もないことに気づき口を閉じる。

「あなた、どうして鎖で繋がれてるの?」

「……親の頭がおかしいから」

「ふーん?私でもさすがにこんなじゃなかったなぁ」

「え?」

「あの子も寂しがってたよ~。君が全然あそこに来てくれないから。私が撫でようとしたらまた食べられかけたけど」

「…そういえば、怪我、治ったんだな。あと、お前高架下から離れられるんだ」

「一か月経ってるんだもん、治るよ。人だって、切り傷は一か月もあれば治るでしょ? もちろん、出られるよ。でも、あそこが一番お気に入りなだけ」

 あれを切り傷と同じにするのか…と、笑顔で述べる少女に若干引いてしまい、少し距離を取る。にしても、出られるんだ。あそこ以外で出会わないから、てっきりあの高架下の地縛霊かと思っていたが…あれ、そういえばこいつの姿とか声って認知されるのか?もしそうならかなり面倒くさいな…。とりあえず、こいつを早く返さないと…。

帰るよう促すため立ち上がると、少女は突飛な発言を口にした。

「一緒に行こうよ」

予想外な言葉に思わず目を丸くする。行く?どこへ?そもそも、僕が行けるわけないだろう。

「…何言ってんの?僕の足についてる鎖が見えないわけ?」

「別に今じゃないよ?あなたがここから出られたら、すぐに高架下に来てね!」

「…なんで?」

「“いらない子同士”だから!」

 ふいに向けられた笑顔はとても嬉しそうで、今まで見てきた中で一番輝かしく、かわいいと思ってしまった。

 この少女にかわいいなんて感情を抱いたことに、妙に腹立たしい気持ちと悔しさを覚え、赤くなる頬を抑えながら奥歯を噛む。

 僕がそんな感情と葛藤している間に、少女はベランダへ出ており、明るい声で「じゃあね!」と手を振り、軽やかに飛び降りた。

 突然のことに一瞬思考停止したが、すぐさま少女の安否を確かめようとベランダへ駆けだした!…が、足の鎖によって行く手を阻まれ、盛大に胸を打ってしまった。転んだ音は一階にまで響いていたようで、母は部屋に入り込み理不尽な叱責を始めた。

 少女の開けた窓のこともきっと指摘されるだろうと、気を重くしながら目を移すと…窓はピタリと閉まっていた。

鍵もカーテンもしっかり掛けられた、元の状態だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る