★ル=ロイドの遺言★

 外は吹雪だった。

 大粒の雪が窓を叩き、強い風の音が絶え間なく聞こえる。

 身体の芯から冷える、実に寒い夜だった。

 熱い紅茶の入ったカップを両手で持ち、シワだらけの手を温める。カップをゆっくりと傾けて少しずつ飲むと、身体の中から温まってホッと落ち着く。


 吹雪で灰色一色に染まる窓の外に視線を投げ、やれやれと長い息を吐く。

 こんなに荒れた天気の中では、客は誰も来ないだろう。

 そう思っていたル=ロイドだったが、もう一口紅茶を飲もうとカップに手を伸ばした矢先、玄関の扉をドンドン、と激しく叩く音がした。


「おやおや、誰だろうね。こんな酷い雪の中を」


 どっこらしょ、と重い腰を上げ、テーブルを離れて玄関へ向かう。

 玄関扉を開けると、そこにいたのは一人の少女だった。

 歳のころは六、七歳くらいだろうか。

 少女は真っ青な唇を震わせ、館の玄関先で訴えた。

「未来を変えて下さい!」と。

 少女は黒い瞳に絶望をはりつかせ、訴えた。


「ドルー渓谷の魔術師、ル=ロイドさんは、未来を変えられると聞きました」


 厳密にいうと、それは違う。

 ル=ロイドにできるのは、未来を読み、そこへの最短の道を導くことだ。


 だが今は、魔術の話は後にすべきだ。

 まずはすぐにでも、凍える少女を暖めてやらねばならない。

 ル=ロイドは暖炉の前まで少女を案内すると、はぜる炎の前で両手を擦り合わせる少女を改めて観察した。

 服を乾かしてやろうと袖をめくって見れば、少女の腕はアザだらけだった。

 質の良い羊毛のコートを羽織ってはいるが、体はひどく痩せている。

 何より靴を脱がせてみれば、小さな指は寒さで痛々しいほど赤く腫れあがっていた。このまま治療をしなければ、腐り落ちるだろう。

 何より驚くべきことに、少女は己を伯爵令嬢だと名乗った。イジュ伯爵家の、シエーナだと。

 幼いシエーナの身の上を案じ、ル=ロイドは赤く腫れた小さな足に薬を塗ってやると、水晶球をかざした。

 シエーナの未来を読むために。

 水晶の球体ごしに覗くようにして、少女を観察していく。

 水晶は最も可能性の高い未来を、順番に見せていく。最初の未来は実に克明だった。

 水晶の中のシエーナは、やがてどんどん華やかに、豪奢に成長し、輝くばかりのアクセサリーを身につけ、王侯のごとく仕立ての良いドレスを纏っていた。

 ル=ロイドは意外に思い、目を見開いた。


(おやおや。近い将来、伯爵家は巨万の富をなすんだね)


 今のシエーナの様子からは、少し想像しにくい未来ではあったが、ル=ロイドは心の中で安堵の溜め息をついた。

 だが、次の展開を見て再び胸がざわつく。

 水晶の中で、洗練された女性となったシエーナは、やがて遠縁の子爵と結婚した。一人息子に恵まれ、誇らしげに微笑んでいる。

 だが、幸せは長く続かなかった。

 夫はすぐに浮気をし、二人の愛は冷めていく。息子は放蕩息子に育ち、待ち受けているのは親子で領地を切り売りする日々。


(とんでもない未来だね)


 他の未来を見せよと、水晶を軽く左右に振る。

 すると今度は、別の未来が見えた。

 その未来では、シエーナは同じ年頃の貴族と結婚をした後、夫がすぐに事故で亡くなった。未亡人となったシエーナは、やがて家を義理の家族に乗っ取られる。

 水晶が見せたのは、嫁いだ家の離れで一人ひっそりと人生を終えるやつれた寂しいシエーナの姿だった。


 焦ったル=ロイドはしつこく色んな未来を覗いたが、その全てが不幸だった。


(なんてこと。まるで……あの子のようだよ)


 あの子。

 ル=ロイドの孫のジュードだ。

 頭脳明晰で魔術も使えたが、いかんせん容貌が良過ぎた。

 覗く未来すべてが、ことごとく悲惨だった。

 百を超える未来を見て、あらゆる可能性を探り、なんとか幸せな道を歩んでほしいと願ったが、水晶は希望の見える道筋は、わずかも示さなかった。

 水晶は語った。将来、ジュードはティーリス王国一の名家の生まれである美女と結婚をする。だが束の間の幸せの後、ありもしない浮気を疑って嫉妬した妻に、ジュードは階段の上から突き落とされて絶命する。

 あるいは、国王のお膳立てで結婚した大人しい貴族の妻に「私が老いてみすぼらしくなる前に、あなたを永遠に私のものにしたいの」と言われ、毒殺される。

 一番長生きする未来ですら、酷だった。ル=ロイドが見たジュードの最長の享年は、三十五歳だった。

 三十五歳の誕生日。ジュードはそうと知らずに、少々妄想癖のある侍女を雇っていた。その結果、自分は彼の恋人だと妄想した侍女に、突然鈍器で殴られて即死する。

 ちなみにその侍女には双子の姉がおり、別の未来では同じく妄想癖のある双子の姉がジュードに横恋慕し、突然鋭利な刃物で彼を刺殺した。


 とにかく、ジュードには良い未来が何一つなかった。

 全ての結末が悲惨だった。

 ときおり、不幸な星に生まれつき、どうにもできないほど気の毒な運命を背負う者が、世の中にはいるのだ。

 わかってはいるが、納得したくない。

 とりわけそれが、目をかけている孫ですあるならばなおさら。


 既に不幸そうな目の前の伯爵令嬢が、この先に歩まねばならない、さらに不幸な未来に同情し、水晶を下ろそうとした矢先。

 ル=ロイドは慌てて水晶を掲げ直す。

 何か、とても分かりにくいけれど、もう一つ別の未来が映し出されていた。

 朧げにしか映らないその未来は、今のシエーナから最も遠い、かなり可能性の低い未来として水晶に提示されていた。

 だが、ル=ロイドは最後に見えたその未来に望みをかけた。

 水晶を握る手に力を込め、じっと覗き込む。


 美しく成長したシエーナと思しき女性が、暖炉の側で揺り椅子に座っている。

 膝には二歳くらいの男の子を座らせ、その榛色の髪の毛を撫でている。

 シエーナの表情の、なんと満ち足りたことか。

 やがて金色の髪の背の高い男が、彼女の横に立つ。

 男がこちらに背を向けたまま、シエーナのはしばみ色の髪に右手を絡ませ、嬉しそうに彼女が微笑む。

 男はシエーナに、左手に持っていた小さな皿を手渡した。

 皿にはすり下ろしたリンゴが盛られており、シエーナが銀の匙でそれを男の子に与え始める。

 モグモグと口を動かす男の子を、心から愛しげにシエーナが見つめる。


(ああ、なんて、幸せそうな未来かしら。どうすれば、この最も可能性が低い未来を、この子に歩ませてあげられるの?)


 ル=ロイドの水晶に、男の子の顔が大きく映った。

 唇の端にリンゴのカスをつけ、にこにこと微笑んで咀嚼している。

 ル=ロイドは微かに違和感を覚えた。男の子の顔を、どこかで見た気がした。いや、そんなはずはない。これは未来なのだから。

 男の子は実に綺麗な顔をしていた。

 瞳の色は母親と違い、アイスブルーだ。

 整った鼻梁と薄い唇。

 そして。

 男の子が顔をあげ、その瞳がはっきりと水晶に映った時。

 ル=ロイドは心の中であっと叫んだ。

 髪の色をのぞけば、男の子はジュードによく似ていた。

 震えそうになる両方の手で、水晶を持ち上げる。

 親子が座る揺り椅子のそばにある暖炉には、小さく紋章が刻まれていた。

 それは間違いなく、ハイランダー公爵家の紋章だった。ハイランダー公爵領は、将来王位を継がないジュードに与えられることが、既に決まっている。

 この未来は、水晶が見せたただ一つの幸せな可能性だった。

 すがるように読み解く。

 やがて男が屈み、シエーナの額にキスをした。

 シエーナがふわりと微笑み、柔らかな声を出す。水晶は音声を伝えることはないが、ル=ロイドは目を必死にすがめ、読唇術によって彼女の言葉を読もうとした。おそらくは愛しい夫に呼びかけた、その言葉を。


「お師匠様」


 ル=ロイドの体が震えた。

 この瞬間、ただ一つの希望を、見つけた気がした。

 未来を解き明かせた。かわいそうな二人の子どもたちを、不幸の波が襲いくる厳しく冷たい大海原に、放り出さずに済むかもしれない。

 興奮で上がった息を、なんとか整える。

 ゆっくりと水晶を下ろすと、暖炉の前で震える小さくて無力なシエーナに尋ねる。


「ドルー渓谷の魔術師に、何をお望みだい?」


 シエーナは気づけば言っていた。


「お義母様が、いなくなってしまえばいい!」


 シエーナは言ってから、自分で驚いた。

 自分の本当の望みは、これだったのかと。

 ル=ロイドは考えた。

 シエーナの義母が伯爵に愛想をつかし、近々出て行くことは、すでに決まった未来だった。水晶玉はシエーナと義母がこれからも一つ屋根の下に暮らす未来を、一度も見せなかった。

 でも、どうすればあの満ち足りた未来を、シエーナに、ジュードに、そしてまだ見ぬ……いや、おそらくル=ロイドが生きている間にはきっとこの腕で抱きしめてやることはできない、可愛いひ孫の存在を現実にすることが、できる?


 わずかな溜め息の間に、ル=ロイドは意を決した。

 シエーナとジュードが、必ずこの魔術館で出会うよう、仕向けるのだ。それも師匠と弟子として。

 代償はシエーナの青春の輝きと栄光だ。それらを奪い、代わりに同じ時間だけ続く恐怖を与える。

 けれど、その先に待つのは、あの暖炉の風景だ。


 人生に勝手に手を入れ、挙句に伯爵令嬢との結婚を遺言書で命じれば、ジュードに怒られるかもしれない。

 シエーナにも恨まれるだろう。

 だが、これが心から二人のためを思った行動であり、二人に見える唯一の幸せな道なのだと、どうか気づいてほしい。

 ル=ロイドは二人に幸福な人生を、歩んで欲しかった。自分が今、シエーナを騙すことで、二人が将来幸せになってくれるなら。

 自分が今からシエーナに施すのは魔術ではなく、愛という魔法だと己に言い聞かせる。


 ル=ロイドはゆっくりと話した。


「そうさね。人は……本のページをえいっと破って捨ててしまうみたいには、消せないんだよ。もちろん、殺すこともね。――でも出て行くように未来を変えることはできるよ」

「本当に?」


 ル=ロイドは頷いた。

 そして、契約を結ぶフリをした。


 もう一度、幼いシエーナに水晶をかざした時。

 ル=ロイドは密かに目を見開いた。

 水晶が眩ゆいばかりの五色に輝き、シエーナが全ての色を持つ希少な聖玉の持ち主であることを、示していた。

 大きな力を身に秘めるがゆえに、自身の行く末の明暗も振れ幅が極端なのかもしれない。だからこそ、力を貸してやれば、乗り越えてくれるだろう。 

 五色の光が収束すると水晶の中に見えたのは、ある雨の日に、ドルー渓谷の魔術館の扉を叩くシエーナの姿だった。こちらのシエーナは、やや冴えない……、いや率直に言って、地味でダサい女性に成長していた。

 水晶がキラリと輝き、すぐに別の映像に変わる。


 ル=ロイドは狂喜乱舞した。

 水晶は鮮やかにある映像を映したのだ。

 王宮の王太后の部屋に飾ってある、ル=ロイドの肖像画の下で、精悍に成長したジュードとシエーナが抱き合う姿を。

 ジュードがシエーナに顔を寄せ、何事か囁いている。

 ル=ロイドは必死に彼の言葉を読む。


「もう二度と、私の求婚を断らせないぞ」


 シエーナは綻ぶように微笑み、最早二人の瞳の中には互いの姿しか映っていない。


 その先を水晶は、もう映さなかった。

 おそらく、ル=ロイド自身も見ることはない未来だろう。

 この先は、二人が歩んでいく未来だ。

 けれどその先に幸多きことを、ル=ロイドは確信していた。




 〜完〜

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公爵様が、地味ダサ令嬢にフラれまして。 岡達英茉 @okadachi2020

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