最終話 公爵様が、愛する弟子に告白しまして。

 広い室内は螺鈿らでん細工が壁一面に施され、奥に大きなマホガニーのテーブルが置かれている。贅沢な空間に息を呑んでいたシエーナの目は、窓際に飾られた一枚の大きな絵画に釘付けになった。

 よく確かめようと、一歩ずつ近づいていく。

 華麗な白い椅子に座り、三人の子どもたちに囲まれて、微笑むひとりの女性。その女性を、シエーナはどこかで見た。

 シエーナの記憶にある姿は、もう少し年齢を重ねたものだ。だが、たしかにあれは……。

 シエーナは絵画の正面に立った。


「ここに描かれているのは……、ル=ロイド?」


 デ=レイは隣に立ったシエーナの肩を抱いた。


「そう、私の祖母のル=ロイドだ。彼女の隣に立っているのは、私の父だ」

「お父様? お師匠様のお父様は、今どちらに?」

「父は既に他界している。落馬で急死したんだ」

「そうでしたの……。お会いできなくて、とても残念です」


 二人は無言でしばらく絵画を見上げていた。

 シエーナは沸き起こる色々な疑問を、なんとか言葉にした。


「なぜ渓谷の魔術師の家族の肖像が、王宮に?」

「私の祖母はこの国の王妃であり、後に王太后となった。そして晩年はル=ロイドでもあった」


 シエーナは激しく目を瞬いた。何を言われたのか、すぐには理解できない。

 ル=ロイドと王妃。

 単語が繋がらない。

 二つの世界を結びつける要素が、シエーナの頭の中には存在しない。

 だが、次の瞬間彼女は息を呑んだ。

 辺鄙な地にある魔術館に見合わない、豊富な魔術書や聖玉の数々は。

 時おりおかしな、師匠の反応は。

 ル=ロイドの遺した木箱に入っていた、紋章入りの品々は。

 そしてどこかで聞いた、シエーナの耳への低く甘い囁きは。

 何より、今夜皆がシエーナとデ=レイを見て、何と言っていた?

「ハイランダー公」と。

 いやいや、まさか。

 シエーナは信じられない思いでデ=レイを見上げた。


「お師匠様。あなたは、本当はどなたなのです?」


 もうその本当の名を、多分シエーナはわかってしまってるけど。

 デ=レイは絵画から目を離し、シエーナを見下ろした。


「私は、君に以前振られたハイランダー公爵だよ」


 ああ、やっぱり、とシエーナは無意識に一歩、後ずさった。

 その腕をハイランダー公が素早く捉える。


「怖がらないで、シエーナ」

「こんなことって……!」


 困惑するシエーナをデ=レイが引き寄せる。

 シエーナは「どうして今まで黙っていたのか」と尋ねかけて口をつぐむ。聞くまでもない。初めて魔術師とシエーナが二人で出会った状況を思い出せば、打ち明けられるはずもなかった。 


「君が私の魔術館に来たときは、本当に驚いたよ」

「私は、何も知らずにーーハイランダー公の魔術館に、雇え雇えと押しかけていたなんて…」


 なんと恥知らずな真似をしたのか。だがシエーナにはどうしても分からなかった。


「分かりません……、そもそもなぜハイランダー公は、私なんかに突然求婚を?」

「祖母の遺言があったんだ。君を妻にするように、と。祖母は私が君以外の女性と結婚することを、禁じた」

「そんな、どうして」

「だが今の私にとっては、もう遺言なんて関係ない。たとえ祖母に君との結婚を禁じられようとも、破ってみせる」

「まさかドルー渓谷の魔術師が、公爵だったなんて、」


 シエーナの口をハイランダー公が自分の唇で物理的に塞ぐ。

 黙り込んだシエーナを抱き寄せると、彼女は緊張で身を固くした。いつもは恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに身を寄せてくるはずなのに。

 シエーナのいつもの反応との落差に、ハイランダー公は表情を曇らせ、唇を離した。


「シエーナ。私が、……嫌か?」


 シエーナはすぐにかぶりを振った。


「いいえ。でも、気づかなかった私は、なんてバカだったのかしら」


 いまだ腕の中で体を硬くするシエーナに不安を煽られ、ハイランダー公は彼女の緊張を鎮めようと何度もその額に優しいキスを贈る。

 だがシエーナは俯き、しまいには微かに震え始めてしまった。

 ハイランダー公は悲しくなった。


「シエーナ? 君は、私がハイランダー公爵では、嫌なのか? 不躾な求婚をした私が、許せないか?」


 シエーナは震える口元を両手で押さえながら、顔を上げた。


「違います。私、今とんでもなく嬉しいんです」

「……嬉しい?」

「だって、これで誰にもあなたとのことを、反対されません。堂々と、私の愛する人だと言いふらせますもの」


 黒い目を潤ませて微笑むシエーナと、その発言内容が愛し過ぎて、ハイランダー公はきつく彼女を抱き締めた。

 今度はシエーナが首を傾け、ハイランダー公の胸にしなだれかかる。


「シエーナ。私の名前を呼んでくれ。……君に本名で呼んでもらうのが、実は夢だった」


 シエーナが目尻の涙を拭いながら、微笑む。


「お師匠様ったら」

「さぁ、呼んでくれ」


 直後にシエーナの表情が固まる。

 何度か目を瞬くと、シエーナは言った。


「ハイランダー公爵のお名前は……。あの……、なんだったかしら……?」


 デ=レイがガックリと肩を落とす。


「本当に、君は心底ハイランダー公に興味がなかったんだな……。私はこれでも、一応結構、いやかなりモテたんだが」

「だ、だって、私からすれば、ハイランダー公は見上げれば首がもげて転がり落ちそうなほど、雲の上の方だったんです!」

「私の名は、ジュード・エドモンド・アーロン・ハイランダーだよ」

「ジュード。ジュードとお呼びすれば、良いかしら? わ、忘れていてごめんなさい…」

「構わない。どうせ、これからは死ぬほど何度もその名を呼ぶことになるだろうから」


 シエーナはあっと声を上げた。


「そうだわ。ハイランダー公にお会いしたら、言わなくちゃいけないことがありました」

「ん? なんだ? 苦情は受け付けないぞ」

「ドルー渓谷の魔術館に寄付をしてくださって、ありがとうございます」


 ハイランダー公は声を立てて笑った。

 シエーナの律儀さがたまらない。

 ああ、もう婚約など言い出さなければ良かった。ハイランダー公は今夜の己の発言を、後悔した。

 婚約などと、まどろっこしいことをせず、国王にいっそ結婚を報告してしまえば良かった。

 ふとシエーナが遠い目をした。


「お父様に、色々後で説明しないといけないわ。今頃、私以上にわけがわからなくて、驚いているはずだもの」

「そうだな。一緒に行くよ。君は父親に、リド魔術館を辞めたところから説明をする必要があるな」

「怒られないかしら」

「私が父親なら、激怒だな。――怪しい魔術師と二人きりで働いて、挙げ句に一生捕まったんだから」


 シエーナは少し考えてから、悪戯っぽく言ってみた。


「いいえ。捕まったのは、ハイランダー公の方かもかもしれません」

「言ってくれるな。ーーさて、捕まえたのはどちらかな?」


 挑戦的な流し目を送ると、デ=レイはシエーナの背中の後ろで手を組み、彼女を再び抱き寄せた。

 その可愛らしい耳に口元を寄せ、あらん限りの色気を声に乗せ、いつかのセリフを囁いてみせる。


「シエーナ、薔薇がお好きなのですか?」


 途端にシエーナの顔が耳まで真っ赤に染まり、けれどすぐにくすくすと声を立てて笑い出す。それはかつて、初めて参加した王宮夜会でハイランダー公が恐怖に震えるシエーナに囁いたセリフだった。


「あの時は、まさか公爵様が庭園にいらっしゃるとは思いもしなかったんです」

「逃げたりして、悪い子だ」

「その時の話を、魔術館でよりによってお師匠様にしてしまうなんて。私は何て馬鹿なことをしたのかしら」

「ーーあれには、実を言うと結構傷ついたな」

「ご、ごめんなさい」

「もう二度と、私の求婚を断らせないぞ」

「お師匠様ったら」

「ジュード」

「ジュ、ジュード。……言い慣れないわ」


 するとハイランダー公はひょいと片眉を上げ、悪戯っぽく言った。


「案外、この先もずっとそのお師匠様と呼んでもらうのも、アリかもしれないな。想像すると、意外とそれはそれで、そそるぞ」

「ど、どんなご想像を……?」


 シエーナが恥ずかしそうに頬を膨らませる。


「内緒だ。さぁ、そろそろ大広間に戻ろう。ロンの家のダンスも良かったが、王宮夜会もきっと私たち二人なら、楽しめる」


 そうですわね、とシエーナが輝く笑顔で答えた。







 

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