第30話 デ=レイは語る

 王宮にある広大な庭園の片隅で、デ=レイがシエーナに語りかける。


「今夜君に、私の本名も家族も紹介したい」

「まぁ、今から?」


 急なことだ。デ=レイの家族は王都から近いところに住んでいるのだろうか。でも嬉しい。

 目を丸くするシエーナをよそに、デ=レイは体を反転させると彼女の右手を引いたまま、元来た道を歩き出した。

 薄暗い石畳みの小道を通り、煌々と明るいバルコニーに近づいていく。

 この状況に、シエーナは急に焦りを感じた。


「こ、これ以上近づいたらみんなに姿を見られてしまいます!」

「構わない。見てもらうべきだ」


 デ=レイは歩調を緩めず、つかつかとバルコニーの階段を上がっていく。

 バルコニーから大広間の中に入っても、デ=レイは堂々と奥へと進んだ。

 あまりに真ん中を通るせいか、紳士淑女達が少し驚いたように目を見開いて、二人に道を開ける。


「ハイランダー公?」という呟き声が、あちこちから聞こえる。シエーナは目を彷徨わせて大広間の中を見た。もしかして、ハイランダー公が近くに来ているのかもしれない。

 手を引いて立ち止まらないデ=レイに視線を戻し、シエーナは血の気が引いた。

 デ=レイの進行方向にいるのは、玉座に座ってダンスを見ている国王と妃なのだ。

 招待状もなく貴族に扮した魔術師が、王宮に忍び込んで国王の前に出て行く。これほど身の程知らずで恐ろしい火遊びはない。


「だめですお師匠様、止まって! あそこにいらっしゃるのは、畏れ多くも国王陛下なんです!」

「知っている。心配ない」


 心配しかない。

 さすがに失礼が過ぎる。これでは、デ=レイが逮捕されてしまう。

 デ=レイの腕を引き、立ち止まって彼を止めようと試みると、デ=レイは苦笑してからシエーナを抱き上げた。

 思わず悲鳴を上げてしまい、余計に注目を浴びてしまう。

 子どものように抱き上げられて頭の位置が高くなり、シエーナの見渡す限り、人々の頭を越えて大広間の中が奥まで見える。談笑に夢中の人々も、ダンスに熱が入っていた人々も、皆が一斉にシエーナとデ=レイを何事かと見ている。

 イジュ伯爵が人々の間に棒立ちになり、口をあんぐりと開けている。


(ああ、終わったわ。どうしよう。デ=レイはどうするつもりなのかしら)


 シエーナが信じがたいことに、デ=レイは真っ直ぐに国王と妃の前に出ると、腕の中からずり落ちかけていたシエーナをヒョイと持ち上げて、抱き直した。

 デ=レイとシエーナを見下ろす国王と妃も驚いたように目を見張っており、視線を二人の間で往復させている。

 玉座のすぐそばまで行くと、デ=レイは国王に話しかけた。


「国王陛下。夜会に遅れまして申し訳ございません」


 デ=レイが膝をつくこともなく、いきなり国王に話しかけたため、シエーナの心臓は縮み上がった。貴族であっても、家臣として許されない無礼な行為だ。こんなことをしていいのは、国王の身内だけなのに。

 国王はデ=レイを見下ろしたまま、苦笑して呟いた。


「随分と派手な登場をするな……。流石というべきか?」


 国王のあまりにきさくな話し方に、シエーナは狼狽したが、この後すぐにでも国王は怒り出すだろう、衛兵もすぐに駆け寄ってくるだろう、と全身に緊張が走る。

 デ=レイは国王に堂々と言った。


「イジュ伯爵家のシエーナが、私との婚約に応じてくれました」

「なんと。ついにやったか! これはめでたい」

「陛下、私たちの婚約の証人になってください」


 デ=レイは何を言っているのだろう、とシエーナは困惑した。頭の中では思考が全くまとまってくれない。頭がクラクラして、デ=レイの肩に捕まっているのがやっとだ。

 一方の国王は、朗らかに報告する弟とは対照的に、真っ青なシエーナをよく観察した。


(なんじゃこりゃ? シエーナちゃんの様子、おかしーじゃん)


 国王は思案し、顎を摩った。

 シエーナはまるで、大木の上で震える小鳥のように見える。展開についていけず、今にも卒倒しそうなほど、血の気を失っているじゃないか。どう見てもこの状況を喜んでいない。


(まさか無理矢理婚約に同意させたのか? いやいや、我が弟はそんな人間じゃない)


 その証拠に、シーエナはしっかりとデ=レイに身を寄せてしがみついている。顔を寄せ合っている様子からも、多分何度も既にキスくらいはしている仲なのかもしれない、とすら察してしまう。

 むしろ、シエーナの瞳が怯えて向けられているのは、国王自身のようだ。


(なんで? なんでそんな怖がられちゃってるわけ?)


 どう考えてもシエーナは国王である自分を今や恐怖の対象としか見ていない。「気さくで気の利くいい感じの義兄」になりたいと思っているのに、これでは出だしから完全に失敗している。

 日頃、家臣達の前では常に威厳を保つように爪の先まで言動に注意を払っている国王にとって、家族だけは素のままの自分をさらけ出せる、癒しの存在だ。そのメンバーが増えることは、喜ばしい。

 義理の妹に「お義兄様、聞いてください!」と親しみを込めて話しかけられ、弟の愚痴を聞いてやったり、相談相手になる日を、密かに楽しみにしているのに。「あいつは昔っから、困ったやつなんだよぉ」と自分も溜まった愚痴を聞いてもらう予定を勝手に立てているのに。

 おとなしいシエーナは、大舞台で婚約を発表されて、不本意なのかもしてない。ここから打ち解けていくのは、なかなか大変そうだ。

 しかたない。シエーナが王室に入ってきたら、義兄としてとことん彼女を甘やかして、懐いてもらおう。それにしても、弟が珍しく自分から衆目を浴びるような真似をしたことが意外過ぎて、国王は苦笑した。

 大広間に充満する動揺した空気を一掃しよう、と一度大きく咳払いをすると、国王はデ=レイに向かって大きく頷いた。


「よかろう。君たちは今日この瞬間より婚約者だと、余が認めよう。シエーナ、君は余の未来の義妹いもうとだ」

「へ、陛下ーー?」


 いもうと、という単語だけが浮いて、シエーナの頭の中に入って来ない。


「ありがとうございます、陛下」


 デ=レイが軽く膝を折り、国王がうんうんと首を縦に振る。

 唖然とするシエーナを抱き上げたまま、デ=レイは方向を変えると大広間の隅にある扉へと向かった。

 それは招待客たちが出入りに使う扉ではなく、閉じられていて左右に衛兵が立っている。

 衛兵達はデ=レイが歩いてくることに気づくや否や、素早く扉を開け、敬礼した。

 なぜ扉を開けてくれるのかが、シエーナには理解できない。

 デ=レイは臆することなく、そこから大広間を出て行く。

 彼らの後ろ姿を見送りながら、国王は隣に座る王妃をチラリと見た。 

 隣に座る王妃も二人のことが気になるのか、珍しく野次馬根性をのぞかせて、衛兵が閉めた扉の向こうをチラチラと見ては様子を窺っている。国王は不意に閃いた。

「あ〜、多分ドルー渓谷で魔術師をやってることを、打ち明けるんだな。逃げ道塞いでから、ちょっと変わった副業を明かすわけね」と。

 ーー実際はその逆なのだが。


 大広間を後にして、シエーナは自分を抱え上げたまま突き進むデ=レイに尋ねる。


「お師匠様、どこに行かれるのですか?」


 大広間を出ると白い壁の廊下が続いていた。左右に絵画が飾られ、ランプがともされていて明るい。大広間の喧騒が嘘のように廊下は静かで、角を曲がると布張りのソファが並んだ居心地の良さそうな空間が広がっていた。

 明らかにここは、外部の者達が踏み入れていい場所ではなく、王宮に住まう者達の私的な空間に思える。

 デ=レイは両開きの大きな扉の前まで来ると、ようやくシエーナを下ろした。

 そうして扉を開けて、シエーナの手をとって中へ進んでいく。


「お師匠様。ここは? 部外者は勝手に入ってはいけないのでは?」


 デ=レイはそれに応えず、シエーナを部屋の中ほどまで連れて行った。

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