ドゥームズデイ・カルト

蟻野 掛

ピサンザプラ

君がそのバナナを食べ終わると同時に世界は終わる、と少年が言った。

バナナの皮を剥く時に爪の間に入った繊維を取り除きながら、少女が答える。

何言ってるの。というか、映画の途中に喋るべきじゃない。

そりゃあここが映画館なら喋らないよ、もちろん。周りの人の迷惑になるからね。けど家で見る映画なら好きに喋って良いと思うんだけど。

少年が反論するけれど、少女は天井近くの棚に据え付けられたテレビで流している映画に見入っている。

画面の中では、人間をゾンビのように変えてしまうウイルスが蔓延した世界で唯一生き残った男が、煙草を咥えてホームビデオを見ている。生まれたばかりの娘を抱く男の妻、娘の誕生日パーティー、サーカスを見て笑う男の家族。男の妻や娘、その友達も、サーカスのピエロも、画面に映る人間は誰もかれももう死んでしまった。声をあげて笑っていた男が、息を詰まらせながら泣き始める。

家っていうか、貴方の父親が経営していた喫茶店だった建物、だけどね。ここが休業してから何年になるっけ?

少女はすでに何口かバナナを食べ進めている。ねっとりした濃すぎる甘さが口の中にへばりついていて、お茶でも飲みたいところだけれど手元のコップは空だ。

冷蔵庫まで取りに行けば良いのだけれど、映画を見るのを途中やめにするわけにはいかなくて、諦めてもうバナナをもう一口かじる。

2年前くらい?あの時は僕がまだ中学生だったから。

少年はイヤホンをつけてスマホで音楽を聴き始める。少女がイヤホンから音漏れしているのに小言を言うけれど、少年は聞いている様子もない。

で?お店を再開する気はないわけ?

まぁ父さんはもう精神的にも肉体的にも復帰するのは難しいんじゃないかな。

別におじさんだけじゃなくて、おばさんとか、貴方の姉さんだとかがやればいいじゃない。常連客だってそれなりにいたんでしょ?

少女は真横からの雑音に耐えきれなくなったのか、少年のスマホを無理矢理奪って音量を下げる。少々不機嫌そうに、少年が答えた。

こんなジジイとババアしかいない町でこれからも経営が成り立つと思う?子供は減っていく一方だし。10年もすればこの町には役所と墓場しか残ってないよ。一部の人間のために店を開くってわけにもいかないんだよ。

そっか。まぁ、しょうがないね。あと2年もすれば私たちもここを出ていくんだろうし。

ド田舎の、それも偏差値の低い高卒の人間に働き口なんてあるもんかねぇ。都会に出たって人生の落伍者になるのがオチだろ。

結局音楽を聴くのを諦めた少年が、指先でイヤホンのコードを弄びながら吐き捨てるように言う。

まぁ、きっと、そうなんだろうね。生まれを呪うしかないんだよ。あー、なんか、大人になりたくないわけじゃないけれど、子供のままで毎日無気力に生活を送りたいよ。

わかる、と少年は返事をするけれど、少女の話を聞いている様子はない。

少年の見つめるテレビの中では、地球最後の男が偶然自宅の前で犬を見つける。世界中に蔓延した感染症のせいで犬はもちろん、地球上にあまねく生きとし生けるものはおしなべて死んで、動物を見ることはほとんどなくなっていたから、男は喜んで犬を連れ帰る。けれどその犬も、例の病気に感染していたことがわかる。そして、男は束の間友人として暮らした犬を殺して埋葬する。

ぼんやりと画面を見つめたまま、少年が問う。

どういう風に世界が終わって欲しい?

どうしたの、急に。

いや、世界が終わって欲しいって思うこと、ない?特に夏になると。

少女は口の中のバナナを飲み込んで、言う。ずっと話しているせいでバナナは食べ切られることなく、まだ少女の手の中に残っている。

別に。というか、自分ひとりが死ぬのと、世界の終わりっていうのは主観的に見ればだいたい同じだよ。それなら、大勢の人が死ぬ終末より、私ひとりが死ぬ個人的な終末の方が、いい。

呆れたように嘆息して、少年が答える。

まるでわかってないね。オレは、ひとりで死ぬのは怖いけど、世界が終わるのは怖くない。なぜなら、世界の終わりなんてどうしようもなく絶対的で圧倒的な悲劇の前では、オレの死なんてのは些末なものだからだ。それこそいちいち悲しんだり怖がってる暇もないほどに。だから、世界の終わりが来れば、オレは楽に死ねるってことだよ。

死にたいの?貴方は。貴方が死ぬと、寂しくなるよ。

怯えるように、震えた声で少女が尋ねる。

うん、オレは死にたいのかもしれない。けどまぁ、理想の世界の終わり方について考えられるくらいには余裕がある。ひとまず、死ぬ予定はないよ?

少年が、少女を安心させるように言う。ほっとしたように頬を緩ませて、少女は口を開いた。

そう。それならいいけど。それで?どういう風に世界が終わって欲しいか、だっけ?うーん、この映画みたいに無差別に人間を殺していく病気が広がるってのもいいかもね。

少女が指差した先にある画面では、地球最後の男が追手から逃げている。人ををゾンビのように変えてしまう病気に感染しても、理性を保ったままでいられる人間たちがまだ生きていたのだ。しかし、男はその新人類たちを、知らず知らずのうちに殺してしまっていた。それを理由に男を追っていた新人類たちが投げた槍が、男に突き刺さる。男が倒れ込み、最期にこう言って絶命する。地球最後の人間は私だった、と。

エンドクレジットが流れ、ビデオの再生が終わる。静寂だけが広がる失われた喫茶店の一席で、少女が呟く。

けど、こんな風にゆったりとした終末より、でっかい隕石かなんかが急に落ちてきて、一発で人類は根絶やし、滅亡。エピローグもエンドロールもなし、っていう世界の終わりの方が、いいかもしれない。

少年が答える。

うん、オレもそっちの方がいい。あと、すっかり忘れてたけど、君がそのバナナを食べ終わると同時に、世界が終わるんだよ?

残念。悲しいかな、そんな簡単に世界は終わらない。けど、画面がブラックアウトするみたいに、私がこのバナナを食べ終わるのと同時にインスタントに世界が終わる、ってのも悪くないね。

そう言って少女は、バナナの最後のひとかけらを口に放り込んだ。

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ドゥームズデイ・カルト 蟻野 掛 @kakeru_arino

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