ノクターン

 私の理性が帰ってきたのは、部屋の中が完全に暗くなった時だった。

 と言うと。記憶を失っていたみたいになるけれど、記憶はバッチリ存在する。

 琴音の乱れた淫らな姿を、しっかりと私の脳に焼き付けていた。

 これでいつでも再生できそうだ、と満足気。

 それで今は、私たち二人ベッドの上。

 仰向けで、暗い天井を見上げながら。


「『シたいこと6つ目』は『私の家でお泊まり』で」


 事も無げに私は呟く。


「……分かった。疲れたから、それがいい」


 同様に呟き声で返す隣の琴音。


「……ん」


 二人でベッドに寝るのは、意外にも窮屈だ。

 でも。この窮屈さが、心地良い。

 未だ露出された肩が触れ合うのもまた、風情かなぁと思った。


 なんというか。

 先までの時間は、記憶と感覚はあるけれど、夢の様に思える。

 非現実的存在がいざ現実になると、そう思えてしまうものがあった。

 なんてことを考え始めると、ピンク色の思考の上に、べっとりと灰色が塗られたみたいになるなぁ。

 今は。つまらないことは考えずに、琴音だけを見ようかな、と天井に声を飛ばした。


「そういえば。昨日と今日はポロネーズ弾かなかったね」


 隣から寂しげな「そうだね」という声が届いた。

 そしてすぐに「明日。三回分聴かせて」と笑い声で。


「りょーかい」


 私は溜息混じりに漏らした。

 対する琴音は再度笑った。

 なんだか無性に尊かった。


「こっち向いて」


 ほぼ勢いで、そんな言葉を投げる。

 モゾモゾと動く音と共に、琴音が私を向いた。

 私は、琴音の柔らかい身体を抱き締めた。

 長い髪に手櫛を入れて、優しく梳く。

 ずっと。これからも。一緒にいたいと切に願いながら。


 こんな風に琴音も思ってくれていたらいいけど。

 でも。琴音も私が好きだから、そうなのかなと解釈する。

 だって。ほら。

 琴音も私を抱き締めてきた。


「……好き」


 琴音が呟いた。

 『好き』という言葉は、何度でも心に響く。

 私は幸せだ。好きな人に好きって言われてるのだから。

 けど。その『好き』って言葉にも、いつか慣れる日が来るのかな。


「…………」


 うーん。やっぱり来そうにないな。

 私の心臓の高鳴りが、それを物語っている。

 いつでも。私の心臓は、琴音に狂わされている。

 想いがいっぱいになって。自然に口から溢れてしまった。


「私も好き」


 声は少しだけ上擦った。

 後悔は。無いと思う。

 どちらかと言えば期待をしていた。

 琴音も私と同じ気持ちになってくれているのかな。って。

 私の言葉は琴音に響いてくれているのかな。って。

 淡い期待では無いけれど。少しだけ、儚い願い。


「日菜子」


 耳元で名前を呼ばれる。

 「なーに」と返す。


「……名前を呼んでみただけ」

「なにそれー」


 可笑しくて、笑い混じりに茶化して。

 それに琴音は、しみじみと漏らした。


「好きな人の名前を呼んで、相手がそれに応えてくれるのって。凄い良いなって思った」


 これにもまた『なにそれー』と返そうとしたけど。

 あぁ。確かに。そうだなって。

 だって。元々は遠い存在なのだから。

 琴音にとって私は──って、ちょっと自意識過剰かな。

 そう思いつつも「なるほど」と口にして『じゃあ私も』という風に。


「琴音」


 琴音の耳元で囁く。

 好きな人の名前の響きはとても良くて。

 そして。


「どうしたの?」


 返事が来る時。

 とても温かくなる。

 だって彼女は、傍にいるから。


「確かに。良いね」


 琴音は小さく「でしょ」と返した。

 どこか眠たそうで、夢見心地だった。

 その声に、私は釣られる様にあくびをする。

 まだ晩御飯も食べてないけど。歯も磨いてないけど。

 後数分も経てば、私は穏やかに寝息を立てていそうだった。


「おやすみ、琴音」


 抱き合ったまま目を閉じる。


「……おやすみ。日菜子」


 琴音の言葉が今日の最後になるのは、何故か可哀想で。

 もう一つだけ「おやすみ」と私は付け足した。

 返事の代わりに、琴音の柔らかい寝息が耳に届いた。

 取り残された感じがあるので、私も琴音の背中を目指す。

 でもその前に。もう少しだけ琴音の体温を体感する。


 本当に好きすぎるな、と思う。いつも思ってる。

 もし。これから先に、私の好きな人を問われる事があるとするならば。

 迷いなく、私は『琴音』と応えてしまうのだろうな、という風情である。

 それはそれで琴音が迷惑被る可能性があるし、ぼかして応えそうだけれど。


「ふわぁ……」


 凄い眠たそうな自分のあくび。

 どうやら限界が来ているらしい。


「……おやすみ」


 結局。もう一度。

 言ってすぐに、私の意識は遠くなる。


 今日の私たちの夜を曲に起こしたら、

 美しい夜想曲ノクターンになりそうだなぁと。

 そう夢想していた。

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天才少女が私とシたい10のコト 沢谷 暖日 @atataka

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