ミート・マン

劉度

肉人(にくんちゅ)

 慶長十四年。駿河国駿府城。

 天下分け目の関ヶ原から九年。大御所・徳川家康のお膝元で平和を享受していた土地である。


「そして女が顔を上げると、目も口も鼻も無かったのでござる」

「うわっ、あやかしでござるか。そりゃビビるでござるよ」


 そんなご時世と土地柄では、城詰めの侍たちの言葉が乱れるのは仕方がない。


「商人は逃げたでござる。そしたら蕎麦屋の屋台を見つけて、逃げ込んだのでござるよ」

「マジでギリギリでござったな」


 侍二人は縁側に腰掛けて、白湯を片手に怪談に興じている。

 朝っぱらから怪談とは奇妙な話だが、寝ずの番をしていた二人には、今しか怪談を語るタイミングがなかった。


「商人はあやかしの事を説明しようとしたのでござる。そしたら……」

「そしたら?」


 語り手の侍が言葉を切る。聞き手の侍が息を呑む。


「ひょっとして、こんな顔だったんじゃあないかい?」

「え?」

「うん?」


 後ろから声。二人は驚いて振り返る。


「ひっ……!?」


 そこにいたのは侍ではなかった。いや、人間ですらなかった。

 生まれたばかりの赤ん坊を、そのまま大人の大きさにしたかのような、異様な姿。手には指がなく、肉そのまま。顔と首の区別はつかない。胴からそのまま盛り上がった肉のコブには、目も口も鼻もついていない。

 その異様を一言で言い表すなら、『ミートマン』だった。


「うわあああ!?」

「でたあああ!?」


 悲鳴を上げる二人。その間を、ぬるり、と通り抜けて、肉人は庭に降り立つ。そして二人に振り向いて、片手を天に向け、もう片手を腰に当てる奇妙な構えを取った。

 夜闇に紛れる存在であるあやかしが、日光がさんさんと降り注ぐ駿府城の庭に立っている。ミスマッチこの上ない。


「なんだなんだ?」

「なーにを叫んでおるかお主ら……なんじゃありゃあああ!?」


 悲鳴を聞きつけた侍たちが駆けつけ、庭に立つ肉人を見て驚く。

 しかし、彼らはこの駿府城を守る侍たちである。ビビってばかりではいられない。


「く……曲者じゃ、曲者! 出会え、出会え!」


 気を取り直した侍たちが、武器を持って肉人を取り囲む。十数人に囲まれた肉人は、片腕で天を指した姿勢のまま微動だにしない。


「ちぇりゃあっ!」


 意を決した侍の一人が、手にした棒を肉人に向けて突き出した。すると肉人は、ひらり、と身を翻して棒を避けた。

 初撃を皮切りに、侍たちが次々と肉人へ襲いかかるが、肉人には掠りもしない。棒を避けられ、縄を躱され、さすまたを掻い潜られ、刀を反らされ、網を受け止め投げ返される。疾い。まるで捉えられない。

 更に肉人は、さすまたを避けながら前に出て、侍たちの包囲から抜け出した。そのまま屋敷に飛び込んで、廊下を走り去っていく。


「ああっ!?」

「何やってんだお前!」

「捕まえろーっ!」


 侍たちは大慌てで肉人を追いかけた。


 肉人が逃げ込んだのは駿府城の本丸御殿であった。城主である家康とその妻子、側近、重臣たちが住み、大事な客人をもてなす場だ。

 ところが、この頃の本丸御殿は非常にとっちらかっていた。一昨年の火事で全焼してしまったため、建て直している最中だった。ひとまず住めるようにしてあるものの、工事中だったり、資材置き場になってる場所もある。

 そんな所にあやかしが入り込んだらどうなるか。


「おわあああ!?」

「きゃあああ!?」


 大混乱である。


 未完成の建物に入り込んだ肉人は、はしごを駆け上って梁の上で軽快に踊り始めた。

 屋根も壁もできていないので、踊る肉人の姿は丸見えである。それを見た大工や女中、小姓たちは腰を抜かしてしまう。


「何だ!?」

「いたぞあっちだ!」

「大人しくしろーっ!」


 庭から追いかけてきた侍たちが駆けつけてくると、肉人は梁から飛び降りた。今度は別の屋敷の軒下に入り込む。


「下に入ったでござるよ!」

「行け行け、追っかけろ!」

「お前らは反対側に回れ!」


 侍たちは屋敷を囲み、何人かが軒下に這いつくばって侵入する。

 一方、軒下に入り込んだ肉人は、頭上の床板を押し上げ、部屋に上がり込んだ。

 床板を戻そうと肉人が振り返ると、書き物をしていた侍たちが、ぽかん、と口を開けて肉人を見つめていた。驚きのあまり誰も声を出せなかったようだ。

 肉人は侍たちに一礼する。侍たちも呆然としながら一礼する。お辞儀されたらお辞儀を返す。無意識の行動であった。


 板の間を飛び出した肉人は、軒下に気を取られていた侍たちを飛び越えて更に走る。


「何ッ、上ッ!?」

「馬鹿者! 何をボーっとしてるか! 捕まえろ!」


 いよいよ言葉遣いがおかしくなってきた侍たちを尻目に、肉人は本丸御殿をひた走る。

 廊下の角を曲がると、お茶を運んでいた女中に出くわした。


「きゃあああ!?」


 叫ぶ女中が持つお盆から、お茶を奪い取って飲み干す肉人。給水、もとい給茶である。肉人は茶碗をお盆に戻し、一礼して走り去る。

 廊下の角を曲がると、今度はお膳を運んでいた女中に出くわした。


「きゃあああ!?」


 叫ぶ女中が持つお膳から、海老の天ぷらを奪い取って食べる肉人。腹が減っていたらしい。肉人は海老の尻尾をお膳に戻し、一礼して走り去る。

 廊下の角を曲がると、今度は化粧道具を運んでいた女中に出くわした。


「きゃあああ!?」


 叫ぶ女中が持つ箱から、櫛を奪い取る肉人。それから髪を梳かそうとして、自分に髪が生えていない事に気付いた。肉人は櫛を箱に戻し、とぼとぼと去っていった。


 次に肉人が入り込んだのは、広い畳の間であった。肉人は部屋を横切り、襖に手をかける。

 だが、肉人は襖を開かず、後ろに飛び退った。次の瞬間、さっきまで肉人が立っていた場所を白刃が通り抜けた。


「今のを避けるか」


 斜めに斬られた襖が倒れる。その奥には、刀を構えた男が立っていた。


「よもやこのような所で『封』に出会うとは、奇矯、されど僥倖なり」


 倒れた襖を踏み越え、男は肉人に近寄る。その動きに油断は一切無い。


「新陰流、横田五郎右衛門。参る!」


 逃げようと後ろに下がった肉人に対し、五郎右衛門は前に踏み込んで肉人の足を狙った。

 肉人は足を大きく上げて刃を避けた。だが、足を上げたことで体勢が崩れる。五郎右衛門はそれを見逃さず、刀を振るって肉人の胴を狙う。

 肉人は後ろに跳ぶが、それは罠だった。五郎右衛門はすぐさま刀を返し、大上段に振りかぶる。一方、肉人は片足で無理に跳んだため、背中から地面に倒れこむ形になっていた。


「覚悟ォ!」


 勝利を確信し、刀を振り下ろす五郎右衛門。

 だが、肉人は倒れなかった。床に手を付き、足を思い切り振り上げて、バク転を打った。その足は、間合いを詰めすぎていた五郎右衛門の顎を見事に蹴り上げた。


「んぶっ!?」


 思わぬ衝撃に後ろへ倒れる五郎右衛門。肉人はちょっと驚き、申し訳無さそうに一礼してから部屋を飛び出していった。


「ま、待て……!」


 五郎右衛門は立ち上がろうとするが、ふらついて倒れてしまう。脳震盪だ。


「おうい、大丈夫か、五郎右衛門よ」


 そんな五郎右衛門に声が掛かる。


「何のこれしき……!」


 五郎右衛門は歯を食いしばって立ち上がる。すると、呼びかけた声の主が目の前に立っていた。


「ほんとに大丈夫?」


 恰幅の良い白髪の老人だった。垂れ目に小さい口。どことなく狸を思わせる風貌だ。着物は質素で、しっかりとした布地で作られた実用一辺倒のものだ。

 彼を知らぬ者はいない。見間違えるはずもない。五郎右衛門が使える主。先代征夷大将軍にして天下人。"大御所"徳川家康であった。


「大御所様ぁぁぁ!?」


 歯を食いしばって立ち上がった五郎右衛門は、刹那の早さで跪き、頭を畳につけて平伏した。


「なにとぞ無礼をお許しください! かくなる上はこの横田五郎右衛門、腹を切ってお詫びを……」

「落ち着け落ち着け、怒ってないから」

「お許しいただけますか?」

「もちろん。無罪無罪」

「かたじけのうございます!」


 許しを得た五郎右衛門は、勢いよく立ち上がった。


「それでは大御所様! 行って参ります!」

「待て待て待て、説明説明。さっきから一体全体、にっちもさっちも何を騒いでおるのよ?」

「『封』が現れたのです。捕らえてまいります!」

「『封』?」


 叫び声が外から聞こえる。家康が庭の方を見ると、肉人が侍たちをムーンウォークで翻弄しながら逃げ回っていた。


「あれかあ……」

「あれは『白沢図はくたくず』に記された『封』に間違いありません。食せば武勇絶倫、不老長寿間違いなしの珍味でございます!

 このような珍獣が場内に現れるとは、極めて僥倖! なにとぞ大御所様に召し上がっていただきたいのです!」


 五郎右衛門の申し出は、全くの善意からなされたものであった。家康は御年68歳。いつ死んでもおかしくない年齢だ。しかし、江戸幕府は二代目将軍秀忠に譲り渡したばかりで未だ不安定。加えて大阪では豊臣家が不穏な動きを見せている。そのため家康には一日でも長く生きてほしかった。


 一方、五郎右衛門の言葉を聞きながら庭の大捕物を見ていた家康は、ぽつりと呟いた。


「逃がせ」

「はい?」

「捕らえられるようなあやかしではなかろう。三方より追い立てて、城の外に出せ」

「し、しかし……」

「三度も言わせる気か?」


 怖気がするほど低い声。五郎右衛門は思わず身震いした。自分より小さく、老いた老人が、山のように大きく見える。

 天下人の重圧。その片鱗だけで五郎右衛門は圧倒されてしまった。


「そのように、いたします……」



――



 肉人はいなくなった。本丸御殿から追い出され、二の丸から追い出され、駿府城内から完全に追い出され、城下町ではしゃがれても困るので追い出され、念のため郊外の畑からも追い出され、人目につかない山まで見送られた。

 肉人も最終的にはノリノリになって、山に入る時は追い立ててきた侍たちに手を振る余裕すらあった。侍たちは手を振り返しながら、二度と来るなと思っていた。


 そんな騒動が収まったのは、夕方のことである。帰ってきた侍たちを労った後、五郎右衛門は家康へ事の顛末を報告した。五郎右衛門が話している間、家康は医学書を傍らに置いて、薬研をゴリゴリと挽いて薬を作り続けていた。

 薬作りは家康の趣味である。今では天下人の権力を駆使して、珍しい薬草や、海外の医学書を取り寄せるほどだ。この歳になっても家康が元気ハツラツなのは、こうした趣味のお陰だと五郎右衛門は思っていた。

 だからこそ、今日の事件の始末には納得がいっていない。


「恐れながら大御所様。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「おっ、良いぞ。どした?」


 家康は飄々とした様子で応じる。五郎右衛門は生唾を飲み込み、意を決して口を開いた。


「何故、『封』を捕らえず、山へ逃がすよう命じたのですか? 捕らえれば、良き薬の材料となったはず……」

「ふふ。ああ、その事か」


 今度は睨みつけるような事はしなかった。笑いをこぼして、家康は語る。


「確かに『封』は、口にすれば健康になり、武勇に優れる仙薬よ。じゃが、ワシはもう十分健康だし、この歳になって武勇を振るう場も無いだろう。だから『封』など必要ないと思ったのじゃ」


 穏やかな口調であった。『封』を逃がせと言った時の重圧は、微塵も感じられない。

 そして家康は、薬研から手を離すと、傍らに置いていた医学書を手に取った。


「それとな、これを見よ」


 家康は医学書を開き、五郎右衛門に差し出した。五郎右衛門が覗き込むと、そこには『封』の解説が書かれていた。


「この書は……!?」

「『本草綱目』。一昨年、羅山に頼んで長崎で買ってきてもらった薬学書じゃよ。読んでみよ」


 そこには『封』の性質が書かれていた。五郎右衛門が知る通り、食べれば武勇絶倫、不老長寿になるという内容が載っていた。他にも、『視肉』『太歳』という名もあるということや、大陸では何度か掘り出されたという話や、食べると結構おいしいということも書かれていた。


「やはり『封』は良き薬となるのですな!」

「落ち着け落ち着け。よく見てみろ、ここ」


 家康が指差した先には『太歳たいさい』と書かれている。


「……これが?」

「『太歳』。知らんか?」

「いえ……」

「大陸にこういう話がある。男が家を建てようと地面を掘ったら、『太歳』が出てきた。肉の塊に手足が生えたようで、手には指が無かったそうじゃ。今朝のあやかしのようにな。

 『太歳』を見た旅の僧侶は、すぐに工事を取りやめて埋め戻せと男に言ったそうだ。これは不吉を呼ぶ星で、放っておけば災いを招くと。

 男はその通りにしたが、果たして男は家族もろとも一人残らず惨たらしく死んでしまったそうだ」

「……おわあ」


 被害半径が広すぎる。恐るべきは『太歳』の呪いである。

 五郎右衛門が呆気に取られていると、家康が話を再開した。


「さて、この本丸御殿は工事中だったな。屋敷を建てるために、あちこち掘り返したりもしただろう。そこで『太歳』を掘り返してしまったのではないか?

 だとすれば、城の番兵に気付かれることなく入り込めた事にも納得がいく。何しろ最初から城の中にいたのだからな。

 そして破滅を呼ぶ『太歳』だとすれば、近くに置いておくのは危険じゃ。だから、捕らえずに人の居ないところへ追い出せ、と言ったのじゃよ」


 つまり、降りかかる災厄を外へと逃した、ということになる。天下人らしい彗眼であった。


「なので今後、あのようなあやかしが現れたら、捕らえも斬りもせず、逃がすように皆に伝えておけい」

「ははっ!」


 こうして、『肉人』または『太歳』が出たら逃がすよう、侍たちに密かに命ぜられた。その話はやがて噂となって城の外にも伝わり、尾びれ背びれがついて怪談となって、長く語られるようになった。


 その怪談の中で、『肉人』は『のっぺらぼう』と呼ばれるようになった、かもしれない。

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ミート・マン 劉度 @ryudo

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