第10話 君が望む未来

 ふわふわとした感じがする。

 思い瞼をゆっくりと擦って目を開けた。

 俺は、ベッドに毛布をかぶった状態で寝ていた。

 体を窓の方へと向けて外を見ると、すでに太陽の日は登っていた。


 俺は、寝ぼけた頭のなかで昨日のことをゆっくりと思いだす。

 さくらに会って、話をしようとして椅子に座って、お茶を飲んで……。



 なぜだか、これ以降のことが思い出せない。

 俺はゆっくりとベッドから起きて正面を見ると、そこにはさくらが椅子に座っていた。


「やっと、起きたんだね」


「ああ」


 俺は、ゆっくりと頷いた。


「もう、11時だよ」


「そう……」


 俺は、ベッドの右下に落ちている携帯を拾って、電源を付けた。

 一応、時刻を自分でも確認しておきたかったからだ。

 けれども、そこに写っているのは俺が想像していたものとは違った。

 俺は、寝ぼけていないのかもう一度頭のなかを整理した上でもう一度携帯を確認する。

 けれども、表示が変わるような気配はない。

 でも、そんな俺を責めるやつは世界中探してもいないだろう。

 だって、今まで何度もしてきたことが突然終わりを告げたのだから。

 俺は、改めて書かれている文字を右から追ってみる。




 3月1日 午前11時45分




 俺は、全身から喜びの感情がわいてくることが感じられた。

 時計を見ても分かるが、それ以前にもし今回もタイムスリップをしているなら俺は自分の家のベッドにいるはず。

 ホテルにいるということは昨日、博多に来てから時間が正しく進んだということを意味している。


 これで、もう2月29日をやり直さなくてもいいんだ。

 ここから先はもう、大丈夫だ。

 俺の人生が続いていく。

 俺は、完全に安堵してベッドの上に再び横になった。


「良かったー!」


 やっと、終わりだ。

 今までの努力はちゃんと報われたんだ。


「おめでとう」


 さくらは優しい声で俺に話かけた。


「ありがとう!」


 俺は、さくらからのおめでとうの言葉を聞くと、寝起きのことなんか気にならないくらいに勢いよくベッドから起き上がった。


「それじゃあ、もとの場所に帰ろうか」


 俺は、そう言って帰りにしたくを始めようとした。

 もう、11時だからきっと卒業式に参加することはできないだろう。

 けれども、この際そんなことはどうでもいい。

 今は3月1日が来たということだけを考えればいいのだから。

 でも、さくらはこの場を動こうとはしなかった。


「さくら。早く、帰る準備をするぞ」



 返事がない。



 笑っていることには変わりないがどこか気まずそうな表情にも見える。

 どちらかと言えば全てをやり切った感じというべきだろうか。

 まあ、タイムスリップから抜け出したんだし当然のことか。


「帰らないなら、おいていくぞー」


 俺は、もう一度声をかけた。

 けれども、さくらが動く気配はない。


「どうしたー?」


「ねえ、テレビ見ない?」

 さくらはテレビのリモコンを取って、電源を付けた。

 まあ、卒業式に参加することができない以上、今日の予定は無くなったわけだし、少しくらいは良いだろうか。

 俺は、荷物の整理をいったんやめてベッドの真ん中に腰を下ろした。

 この時間ならニュース番組でもやっているだろうか。


 でも、俺は目の前に売っている光景を理解することができなかった。

 さくらが着けたチャンネルに写っていたのは俺が想像と全く違ったものだった。

 写っているのはいつも通っていた学校の近く。

 いや、場所はいつもと同じだけれども、写っている景色は全く違う。




 雨か……。




 雨と呼んでいいものかは分からないくらいだった。

 まるで、津波に飲まれたかのようにいつもの町は汚い茶色の水で覆われていた。

 ほとんどの民家の屋根の上に届くくらいの水がゆっくりと流れているのが分かる。


「これは……」


 言葉も出ないとはこのことだなと思った。

 でも、さくらは一切動揺しているようなそぶりは見せなかった。

 まるで、全てを知っていたかのように。


「どうやら、今日は帰れそうにないね」


 ただ、一言だけ呟いた。

 

 帰れそうにない?

 そんなレベルの話じゃない。

 俺の家族は?

 俺の友達は?

 俺の家は?

 俺の学校は?


 俺が目指していたのはこの未来だったのか……。


「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ。家は壊れちゃったけど、朝早くから仕事に出かけていたおかげで優斗の妹や両親も無事だから。もちろん、友達や学校も無事だよ」

 そう言ったさくらは少し下を向いた。

 

 顔を下に向けたまま正面を見ようとはしなかった。


「そろそろ、種明かしにしようか……」


 さくらは小さな声でつぶやいた。


「種明かし…?」


 さくらはようやく顔を正面に向けた。


「実は私、未来から来たんだ」


 桜の表情は笑顔というよりは諦めに近いようなものだった。

 もう、全てが終わっているということを俺に伝えているようだった。

 それに対して俺は小さくうなずいて話を聞くことしかできなかった。


「その未来で私はタイムスリップをする力を手に入れたんだ」


 さくらの目は真剣なままだった。

 とても冗談ではぐらかしているようには見えない。

 未来から来たか…。

 本当なら未来から来たということが本当なのか聞くべきなんだろうが、これまでのタイムスリップの経験から信じられないことは無いと思った。

 そして、俺は一番気になっていることについて聞いた。


「何のために?」


「それは、優斗を助けるためだよ」


 言い切った桜の表情は慈愛の心に包まれた表情をしていた。


「俺を助ける…?」

 さくらは少し緊張した表情に変わっていた。

 この先を言うことに少し戸惑っているようにも見える。

 でも、俺は急かすようなことはしない。

 どんなに時間がかかるとしてもさくら本人の口から言ってもらうことを待った。


「実は、本当なら優斗は今日死ぬはずだったんだ」


「俺が死ぬ…?」


 あまりに突拍子の無い回答に驚いた。

 でも、さくらはゆっくりと話を続けた。


「優斗が助けてくれたんだ。私は2歳だったんだけど、逃げる途中で周りに誰もいないなかで転んでけがをした時に優斗が運んでくれた。でも、運んでいる途中で水が流れてきて私を近くの流れてきた板に乗せてそのまま優斗は流された…」


 さくらは、少しだけ向いていた正面の視線を一気に下へとおろした。


「なら、何でタイムスリップをしたんだ。さくらが助かったならそれで…」

 俺は、全部言いかけようとして気が付いた。

 さくらは周りに誰もいない状態で怪我をして動けない時、俺に助けられた。

 なら、俺が博多にいる今はどうだ。


 さくらを助ける人がいない。


「まさか、自分を犠牲にして…」


 そんなわけないよな……。

 俺は、震える声で聞いた。


「犠牲なんて…。本当ならあそこで死ぬべきだったのは私なんだよ。だから、優斗には生きていて欲しい」


 さくらの目からはぽつりぽつりと小さな雫が落ちていた。


「すごく大変だったんだよ。まず、相手が誰かもはっきりとは分からないから探すのにも時間がかかったし、やっと見つけても1度助けてもらっただけだからどんな性格かもわからないからすごく不安だった。でも、優斗は優しかった。やっぱり、あの場で助けてくれる人で悪い人はいないよね…」


 さくらの声は途中からかすれれていた。

 それでも、目から出てくる雫を必死にぬぐいながら話を続けた。


「本当なら、すぐにでも事情を話して他の場所に連れていくつもりだった。でも、それはできなった。もちろん、本当のことを話せば優斗が岐阜を出ないっていう可能性もあった。でも、それ以上に優斗と一緒に出掛ける日々が楽しかったんだ。元の世界でも友達と遊びに行くことは何度もしてきたけど、今までとは比べ物にならないくらいに楽しかった。だから、何度も同じ日をループし続けちゃった。でも、このままじゃいけないことは私も分かっていた。だから、少し強引だけど誘拐されたことにして安全な博多まで来てもらったんだ」


 さくらは一通り話し終えたようでくしゃくしゃになった顔を拭いてゆっくりと呼吸を戻すために息をした。

 俺はその状況をただ見ていることしかできなった。

 俺は、このタイムスリップは俺が何かを成し遂げるための者だとばかり思っていた。


 でも、違った。


 俺が助かるためのものだったんだ。

 しかも、1人の女の子を犠牲にして。

 こんな結末で良いのか。

 このままいけば俺は助かるかもしれない。

 でも、目の前えにいる女の子を泣かせてまで助かることに意味はあるのか。

 俺は、何かできることは無いかと必死に探した。

 タイムスリップはできないにしても、さくらを今から助けるための方法は何かないだろうか。

 でも、いくら考えたところで未来の力に抗うことなんてできはしない。

 何か、何かないのか…。

 そして、真剣に悩んでいるとさくらは俺の方へと歩み寄って、そっとほほをなでた。


「最初はここまで来てくれるのか不安だった。でも、優斗は来てくれた。すっっごく嬉しかったよ。本当にありがとう」


 さくらの目からは大粒の雨が降っている。

 でも、それはテレビで見たようなものとは違って、とても透き通ってきれいなものだった。

 そして、それと同時にさくらの姿がだんだん薄くなっているようにも見えた。


「さくら。なんだか体が薄くなっていないか…」


 けれども、さくらは気にしていないようだった。


「きっと、もうすぐこの世界から私がいなくなるんだろうね」


 俺は、なんて反応すればいいのか分からなかった。


「ねえ、最後に言わせて欲しい」


 さくらは俺の胸の方に視線を当てて最後の力を振りしぼるようにして言った。


「なにかな…」

 さくらの髪が俺の服を通じて感じられる。

 やわらかな香りが伝わってくる。

 そして、さくらは言葉を振り絞るようにして話だした。


「このタイムスリップした毎日はどうだったかな。きっと、優斗にとっては嫌なことばかりだったかもしれないけど、私は凄く楽しかった。優斗に会うことができて幸せだった」


 さくらは、小さく息をした。

 本当に最後の言葉言おうとしていることが分かる。

 俺は、このままさくらの言葉を聞けば永遠に会うことができなくなる。

 そのことに後悔はないのか。

 最後の言葉を聞く前にできることはないのか。

 本当に俺ができることは何もないのか。

 


 いや、違う。

 俺は無力だ。

 きっと、未来の力の前にはできることなんてほとんど無いだろう。

 でも、できることが全くないわけではない。

 俺は、さくらの目を見た。

 顔はくしゃくしゃになっていたが、ガラスのような繊細な瞳は輝いていた。

 俺は今できる最大限のことをさくらにする。


「こちらこそ、今までありがとう。すごく楽しかったよ。きっと、今回の体験はいつまでも心の中に残ると思う。さくらに出会えたことは本当に良かったと思っている。さくらのことは一生忘れない」


 さくらは少し上げていた顔をまた俺の胸のほうに向けて今までよりもさらに大きな声で泣いた。

 俺は、さくらのほうを見ようとした。

 でも、今度は何だか周りがぼやけて見える。

 さくらだけじゃなくて俺の視界全体がぼやけている。


 どうして…?


 答えはさくらが教えてくれた。

 さくらは俺の胸に当たりながらゆっくりとポケットからハンカチを出して俺の左手に乗せた。

 俺はそこで初めて自分も泣いていることに気が付いた。

 そして、差し出されたハンカチを見てさらに目から涙が出る。

 さくらは自分が泣いているにも関わらず、俺にハンカチを渡した。


 なんて優しい人なんだろうか。

 きっと、生まれた順番が逆なら俺はさくらに助けられていただろうなとふと思った。

 本当なら俺は泣いちゃダメなのに。

 本当につらいのはさくらだということは分かっているはずなのに。

 俺は、さくらからもらったハンカチで必死に涙を隠すようにぬぐった。

 そして、今度は自分の番だと言わんばかりにさくらが涙を一生懸命ぬぐいながら俺の方を見てきた。

 俺はぬぐっていたハンカチをゆっくりと置いてさくらの顔を見た。

 そして、さくらは小さく息継ぎをして俺の目を見て最後の言葉を言った。



「ありがとう。私は優斗が大好きだよ」



 そう言い終えると、さくらの体はゆっくりと消えていった。

 最後に見えたのはさくらのくしゃくしゃの笑顔だった。


 


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未来で待ってる 柊 つゆ @Tnst

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