屍骸流し

無価値な存在。

屍骸の道

 屍骸が、一本の道を作って空を流れる。道はいくつかあって、交差しながら、空を流れる。屍骸、と言っても、その内容は様々で、人の骸や、蝉の死骸、錆びた鉄塔、壊れたティーカップなど、本当に色んなものが、ごった混ぜになって流れるのだ。半月ほど前、僕は屍骸を間近で見てみたいと思って、家から近く標高も高い伊吹山に登った。


 夏も半ばの頃、ダラダラと滝のような汗を流しながら、狭い登山道を歩きに歩いて、山頂を目指した。途中で下を見て、ここで足を滑らせたらどうしようかと、とても不安だったのを覚えている。山頂に着いた時にはかなり時間が経っていて、日も暮れかけていた。真夏とは言っても、山頂は少し寒かった。陽が沈むのを見ようと、西の方を見たとき、僕は思わず息を呑んだ。丁度、屍骸の流れが太陽の通り道と重なっていたのだ。まるで夕陽が、役目を終えたモノたちを灼いているかのようだった。弦が千切れたギター、耳が欠けたうさぎ、割れた鏡、底がすり減ったブーツが、沈む太陽を追いかける。そんな、哀しさただよう景色も、陽が沈み切ると、途端に暗闇に覆い隠されてしまい、見えなくなった。その代わり、空には一面に輝く星の幕が出てきた。それを黒く塗りつぶしながら屍骸が流れていく。

 僕はなぜだか、鞄の中にあるオーディオプレーヤーの存在を思い出した。中学生だったころ、父がくれたものだ。何年も使っていたが、つい最近、何の前触れもなく壊れてしまった。鞄から出して持ってみると、何となく、いつもより重く感じた。


 このプレーヤーは、もともとは父のものだった。出張などが多く、家にいることが少ない父だったが、僕のことをよく見てくれていたのだと思う。中学三年生の夏休み、盆に帰ってきたとき、父は部屋から出ようとしない僕にこれをくれた。僕が周りの人との関係で苦しんでいたことに、気が付いていたのだろう。渡すときに、「人は偶に、壁を取り払うよりも、壁を作ることのほうが大事な時があるんだ。逃げてもいいんだからな」と言われた。それでも最初は外に出るのが難しかったが、周りに対して意図的に壁を作ることで、心が何倍も楽になった。高校に入ってからは、周囲との関係もうまく作れるようになって、いつしかオーディオプレーヤーは、単なる娯楽になっていた。


 屍骸の道を見つめた。毎日どこかで、誰かが屍骸を流している。それなのに流れの大きさは変わらない。寿命が尽きて壊れたものは、流れに乗ってどこへ行くのだろうか。

 僕はオーディオプレーヤーを、流れに向かって投げた。付属品のイヤホンがばらけて、彗星の尾のようになって飛んでいった。プレーヤーは、僕の力では絶対に届かないところまで飛んでいくと、屍骸の一部に加わった。そして、すぐ隣の、虫食いだらけの箪笥や、バラバラに裂かれたキャンバスとともに、西の空へと流れていった。

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屍骸流し 無価値な存在。 @wisteriaflowers1231

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