第3話

 アルノは夢を見ていた。夢だとわかるのは、義両親がいるからだ。彼らは俺を守ろうとして亡くなった。いや、殺された場面を見たわけではないから確信はない。

 しかし、盗賊が近隣の村を荒らしまわって何かを探している、という話を聞いた父さんが、必要最低限のものを持たせて逃げろといった。母さんは強く抱きしめ「ごめんね」と謝った。なぜ謝るのかもわからないまま、旅支度を整えられ「エルノア国へ行け、できれば王都に着いてからこの手紙を読むんだ。決してアトラスの中では開くんじゃないぞ。」と言われ裏山へ出された。その道は普段から使っていて、隣の村へ続いている。

 心もとない月明かりを頼りに、慣れた道を進む。しかし、家に残った父さん達が心配で何度も家の方を振り返った。ドアを出る間際に母さんが「必ず後から行くから、寄り道せずに行くのよ」と泣きそうな顔で言っていた。

 一体何が起きるのか、アルノには分からなかった。月が頭上へ差しかかった時、もう何度振り返ったかわからなかった。登ってきた山の麓にある家のあたりを振り返ると、とても明るくなっていた。

「え?」

 アルノは立ち尽くした。その間にも灯りはどんどん大きくなっていった。

「父さん!母さん!」

 叫んで来た道を走り出した。視線は家があったであろう炎の塊にむけたまま、ひたすら走った。しかし、木の根に足をとられ盛大に転んでしまう。

 すぐさま顔を上げたが、前方から人の気配がした。

「母さん!?」

 気配がした方へ声をかけた。しかし、暗がりから出てきたのは、数人の男たちだった。月明かりの下に出てきた男たちはアルノを見つけると、走り寄ってきた。逃げようと立ち上がるも足を痛めたのか激痛がはしり、よろめいた。そこへ男が近寄ってきて、腕を掴もうとした。



「嫌だ!!」

 アルノは自分の発した声で目が覚めた。息遣いも荒く、寒気がするほど汗をかいていた。

 あの日の夢を見ることは何度もあったが、ここまで鮮明なのは初めてだった。

「大丈夫ですか?」

 慌てた足音と共に声が聞こえた。差し伸べられた手を見て飛び起きたアルノは、寝台から転がり落ちた。

「アルノ様」

 かけられた声は耳には入っておらず、逃げた先は部屋の片隅だった。

「来るな‼︎」

 その場にしゃがみ込んで、震える体を自分で抱きしめた。

 その時部屋の扉から、騒ぎを聞いて駆けつけた人たちが入ってきた。

「どうした?」

 声をかけたのはシュリだった。寝台を挟んで緊張した空気が漂っていた。

「ルイージュ、何があった?」

 側に佇んでいた侍女はルイージュだったが、アルノは気づかなかった。ルイージュは肩に手を置かれ、はっと我に返りシュリに向き直った。

「も、申し訳ございません。アルノ様が目を覚まされたのでお声がけしたのですが、様子がおかしく…」

 そこで、ルイージュは言葉を止めた。シュリはアルノを見、振り返って声をかけた。

「みな、しばらく下がってくれ。」

 シュリについてきた侍従は困惑した。

「…大丈夫なのか?」

 すぐ後にいたハロイが声をかけた。

「気分が落ち着けば元に戻るさ」

 そうシュリが言うと、ハロイはみなを連れて部屋を後にした。

 扉が閉まるのを確認すると、シュリはゆっくりアルノに近づいた。アルノは顔を伏せているが気配でわかるのか、近づくにつれ身体を小さくする。

 無言で近づき、あと2、3歩というところでアルノは駆け出しシュリの横をすり抜けようとした。

 シュリはそれを片手で止め、引き寄せ抱きこんだ。

「いやだ!離せ!いや!!」

 アルノは叫び、腕をほどこうともがくが、シュリの腕力には敵わず、逆に腕を抑え込まれた。

「いやだ!怖い!助けて、父さん!母さん!」

 その言葉に一瞬シュリの動きが止まった。

 その変化に気づいて、アルノはシュリの腕にかみついた。手をふさがれ無意識に出た行動だった。

 しかし、腕の力は緩まらず後ろから抱き込まれた体勢で耳元にささやかれた。

「大丈夫だ。前にも言ったはずだ。ここにはお前に危害を加えるやつはいない。」

 その言葉に、少しずつ噛んでいた力が弱まった。

「大丈夫だアルノ、大丈夫」

 畳みかけるようなその言葉に、身体から力が抜けた。固まっていた身体が溶けていく感じ…体温を取り戻すかのように背中から温もりを感じた。荒くなっていた呼吸も落ち着いてきた。

 その温もりに安心を感じ始めると、シュリが正面に回ってきて抱きしめられた、今度は優しく。頭がちょうど胸の辺りにもたれかかると、シュリの鼓動が聞こえた。規則正しいその音に瞼を閉じ、手を背中に回し抱きついた。人の温もりがこんなに心地いいと感じたのは初めてだった。しばらくシュリの鼓動を聞いていると頭が回り始め、自分のしたことに青ざめた。そっと体を離そうとすると、それを阻止するかのようにシュリの腕に力が入った。

「落ち着いたか?」

 シュリの言葉にアルノが上を向くと、視線がぶつかった。初めて間近で瞳を見るとシュリのそれは青だと思っていたが、少し翠が入っているように見える。

 不思議な目の色に見とれながらも、アルノは頭を上下に振り、質問に応えた。

「そうか、なら食事にしようか?腹減ってるだろう」

 責められるわけでもない普通の会話に、涙が出てあふれてきた。無意識に身体が緊張状態になっていたらしく、体の力が抜け全体重がシュリにかかった。それに気づいたシュリはアルノを横抱きにし、寝台へ行き座らせた。

 シュリは膝をつき、涙するアルノを見上げた。

「アルノはまだ13歳だ。この腕のこともあるから難しいだろうが、もう少し周りに頼るということを覚えた方がいい。」

 シュリは奴隷印がある腕に触れ、諭すように言う。アルノは印がある腕を触られ少しだけ身体をこわばらせた。

「この印はここでは気にするな。別に前の主人に突き返したりもしない。そもそもアトラスと違ってこの国は奴隷制を廃止しているからな」

 その言葉に、アルノは視線をあげた。信じられないと言うように、目尻に涙を残したまま目を見開いた。

「ホントですか?」

 口から自然と言葉が出た。

「…知らずにエルノアへ来たのか?てっきり知っていたから逃げてきたのだと思っていたが…」

 シュリの言葉はアルノに届いていなかった。アルノはアトラスの生活に戻ることが、ここにいる間はないだろうと思うと、今度は安堵の涙がでた。

 声を出すまいと唇を噛んでアルノは耐えた。しかし、声を抑えるとその分身体が震えた。嚙んだ唇からも血の味がした。その唇にシュリの指が触れ、その感触に顔を上げると、

「だから、声を出すのを我慢をするんじゃない」

 言葉と同時に口づけられた。今度は最初から深く、舌を絡め取られた。アルノは自然と目を閉じた。アトラスへ帰らなくていいと思うと、心が軽くなった。そして、そのことを教えてくれた彼に感謝した。

 自然と唇が離れるとアルノの涙は止まっていた。

「ありがとうございます、領主様」

 笑顔で言葉にしたアルノに

「代理だからな、その呼び名は好きではない」

 とシュリは視線を外した。

「では、…シュリ様?」

 言い直すとシュリはアルノに視線を戻し、ニヤリとする。

「それでいい。アルノ、エルノアに来たばかりだろう。少しここでこの国のことを学んでいくといい。」

「え?」

 シュリはアルノの手を取ると軽く口づけた。

「我が家に世話になった代金が、銀貨2枚では全然足りないからな。しばらく屋敷の仕事を手伝いながら色々勉強するといい。」

 そう言うとシュリの手には2枚の銀貨があった。それはお礼ができなかった代わりに置いていったものだった。2度と戻ることはないと考え出て行こうとしたので、今できる精一杯のお礼だった。

「領主様が抱いてくださらなかったので、あとはソレしかなかったのです…」

 アルノは恥ずかしくなり、声が小さくなっていく。シュリは素早く立ち上がり、アルノの肩を押し寝台へ倒した。

「その呼び名は好きではない、と言ったはずだが?」

 不機嫌な顔のシュリにハッとした。

「申し訳ありませ…っん」

 謝罪の言葉も半ばに口を塞がれた。

「…んぅ…ん!…はぁ!」

 苦しくなり、シュリの胸を軽く叩くと離れていった。

 荒い呼吸をする口元からは、どちらのものかわからない透明な液体が垂れていた。

 シュリは親指で自分の口元を拭うと

「呼び方を間違うたびにそのダメな口にお仕置きだ。しばらく夜はこの部屋で過ごすことにしよう。慣れたら部屋を作ってやる。」

「は?」

 優しい笑顔ですごいことを言われた気がする。

「これは命令だ。時期が来たら王都に連れてってやるから心配するな。」

 最後の言葉に安堵はするが、それはいつになるのか不安になった。それが顔に出ていたのか

「アルノが頑張れば一月くらいで出発できると思うぞ」

 とシュリは言った。

「ホントですか!?」

 1人旅はホントは怖かった。連れて行ってもらえるなら大いに助かる。信用できる知り合いもいない中で身分のしっかりした方に助けてもらえるのは幸運だ。

「アルノが、頑張れば、な」

 シュリの表情と言葉は気になったが、ここは言葉に甘えることにした。

「よろしくお願いします」

 寝台に押し倒されたままの状態でも気にせず、アルノは返事をした。

 全ては両親との約束を果たすため、王都への道のりを確実なものにしたい一心だった。

 シュリの考えなど微塵も気づいていなかった。


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