秋月春陽という後輩②

 夏は蝉の鳴き声が聞こえるか聞こえないかの時のこと、昼休みという事で食堂にて昼食を取っていた。高校のよりも多いとはいえ、学生の数に比べると圧倒的に座席数の少ない食堂は常に長蛇の列を成していた。昼休みの殆どを待ち時間で潰さないためにも二限が終わればすぐにでも講義室を飛び出せるよう、座席と経路を思索する。

 そして今日、運良く早い順番で食堂に並ぶことができたのであった。

 最後の一滴まで旨い、の売り文句で掲示の出されていたうどんを丁寧に吹いて冷ましながら食べていると、左隣に誰かが座った。隣に知らない人が座ることはたいして珍しくないが、誰かが来ると自然にその人の方を見る癖がついているせいで頭が反射的に左へ向く。

 そこには弁当を広げた秋月春陽がいた。

 こちらの視線に気づいたのか、彼女と目が合う。微笑みかけられるがこちらが気まずくなり急ぐようにして視線を戻してわざとらしく麺を啜る。ある程度冷めていたものの、それでも十分に熱を持っていたうどんは豊かな出汁の香りを口内に拡げると共に吐き出しそうになる程の熱さで口内を灼いた。

 何とか飲み込んでコップの水を一気に飲み干してからまた冷ましながら食べ進めていると正面の席にまた誰かが座る。

「おー、デキてんねぇ」

 茶髪の天パに糸のように細まった吊り目、にいっと歯を出すニヤけ顔、山科だった。

 同じ文芸サークルに所属する同期であり学部は違えど大学に入って最初にできた友人、ちょくちょく人を煽るような言動を取るものの人付き合いの良い、なにかと憎めない人物の山科は案の定、秋月と一緒にいる事をイジってきたが、今に始まった事では無かったのでいつものように「んな訳ねぇだろ」と返そうとするよりも先に、隣の席の秋月が声を出した。

「山科先輩、もしかして羨ましいんですか?」

 まさか彼女が反応するとは。といった様子で呆気に取られる山科だったが、次の瞬間にはいつもの山科に戻っていた。

「ちげーよ、ボッチ至上主義の上向が女子と一緒にいるのを面白がっただけだわ」

 アジフライを齧りながら山科は秋月に返す。またまたー。と秋月は山科の方を見ることなく言い放った。


「……先輩」

 その日のサークルでの活動中、食堂の時と同様に隣に座って執筆していた秋月がペンを動かす手を止め、大きく息を吐いて原稿からこちらへと視線を移す。

「今度の夏祭り、一緒に行きません?」

「友だちとは行かないの?」

「みんな忙しいらしいので、折角だし先輩とふたりでー。なんて」

 秋月からのお誘いに思わずはぁ、とため息の混ざった声が出る。夏祭りのある日は再来週の日曜日、二週間も先の事とは言え予定が入っていないのは目に見えて明らかであるが、気乗りはしなかった。別に女子と二人で出かけているのを見られてあれやこれやと(特に山科に)いじられる事を恐れているわけではない。単に慣れないことをしたくないという保身の感情からあまりいい顔をすることが出来なかった。行きたくない、を包み隠さず言えて、そしてそれを彼女が何事もなく飲み込んでくれればどれだけ幸せか。出来るだけ嫌な思いをさせないためのオブラートを探す。

「どうしたのですか先輩、もしかして行」

「行こうか」

 結局そんなものは見つからず、やや反射的に言葉を返す。心配そうだった彼女の目は晴れていった。

「では集合場所はどうします? 会場集合だとかなり混むので会えず仕舞い、なんてことがあり得るので……」

 そうだ、と秋月は閃いた様子をして続ける。

「連絡先交換してませんでしたよね?」

「まぁ、サークルのグループにはお互い入ってるけど個人では交換してないな」

「ですよね! じゃあ申請しておきますね」

 机の上のスマホのロック画面が表示され、秋月からの友だち申請を通知する。申請を通すとすぐに彼女から『よろしくお願いします!』のメッセージが届く。目の前にいるのにわざわざ、と思いながらスタンプで返答して画面を閉じる。顔をスマホから上げると彼女と目が合う。照れ笑いなのか、微かに口角を上げるとすぐに原稿へと向き直る。


 半月も経たないうちにすっかり夏は深まり、蝉がやたらと煩く、窓を開ければ熱風の入ってくる季節のこと。休日にも関わらず突如として舞い込んだサークルでの用事を済ませた頃には夕方も近づき、黄色くなり始めた空の下を最近買ったばかりのワイヤレスイヤホンを付けて歩く帰り道、それと音楽に混ざってこちらへと駆け寄ってくる靴音、イヤホンを外すと靴音の主、秋月は話しかけてきた。

「先輩、いよいよ明日は夏祭りですね! そういえば花火どこで見ますか?」

「どこで見るって……。せっかくだし海の見える小高い場所が良いんじゃないかな? でもそんなのあるかな? 海浜公園行ったことないからよく分からないや」

 明日の夏祭りの名物はなんと言っても打ち上げ花火である。海浜公園で開催されている夏祭りでは沖合に浮かんだ船から花火が打ち上げられ、ぱっと咲けばゆらめく海面に映し出される様は『双子花火』の名称で知られている。そしてそれを一目見ようと海に面した場所に多くの人が集まってくる。

 外の町から引っ越してきた自分はローカル局のニュースでこの夏祭りと双子花火の存在を知ってはいたものの、彼女に誘われるまで実際に見る事は無かった。そのため「どこで見るか」の質問には曖昧な返事しかできなかった。

「それなら海浜の外に出ますけど展望台ならひとつありますよ。ほらここです」

 秋月に差し出されたスマホの画面には人でごった返すであろう浜辺からやや離れた所にピンの打たれた衛星画像が映っていた。海からは少し離れていたものの、彼女曰く、小さな山の上にあるというその展望台からは十分に例の双子花火が見ることができるらしい。

「いわゆる穴場ってやつかな? すごく良いじゃん。そこにしようか」

「了解です!」


 そうこうしている内に駅がもうすぐそこの所まで来ていた。ひとまず彼女と別れ、来た道を引き返す。駅前の商店街を抜けた先の住宅街にあるマンションに入る。


「ただいま」

 叶夢は仕事で家を空けており、誰の返事もなく、外から微かに蝉と車の声の聞こえる玄関に上がる。自室に入ってリュックをベッドに投げ捨てると部屋を出て洗面台で口をゆすぎ、手と顔を洗う。そしてまた自室に戻ってベッドからリュックを下ろして代わりに身を投げる。冷房の効いていない部屋は嫌悪感を抱かせる蒸し暑さに覆われており、洗ったばかりの顔には早くも汗が滲み出る。しかし段々と眠気に侵されつつあった身体はひどい環境下にも関わらずそれを無視してまで眠ろうとしていた。ついに眠ってしまった自分は数時間後、すっかり夜になった頃に帰ってきた叶夢の「ただいま」によって目を覚ました。

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屋根の下の叶夢と涼祐 便利屋りょー乳業 @ryodairy

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