秋月春陽という後輩①
俺には後輩という存在がいる。
先輩と後輩に同期、これらは現代で社会生活を営むにあたって必然的に生まれてくる存在であり、入学した年が前後するだけで関わり方ががらりと変わってしまう不思議なものである。
そして俺は後輩の一人に好意を寄せられているらしい。
「先輩、とりあえず書けたので添削お願いします!」
所属している文芸サークルでの活動中、とは言ってもみんなで集まっては合同誌の制作だとか作品の批評会を開いて切磋琢磨する訳でもなく、大体の人は課題を進めたり、暇な人であれば大富豪やポーカーを楽しんでいる、その中で数人が小説やイラストの制作に精を出すといった緩さである。
そしてその好意を寄せられている後輩、秋月春陽という名の一年下の後輩がせこせこと小説を書いている人の一人であった。
人形を思わせるような丸くパッチリと開いた自信にあふれる、焦がした飴色の瞳と同じく自信たっぷりの表情をこちらに向けながら、ぴんと伸びた腕で原稿を差し出していた。
今時小説はパソコン、それどころかスマホ一台から書けるというのに拘らず原稿用紙に書いて束にして渡してくる、ある意味気合の入った執筆スタイルに、これが初めてではないにも関わらず未だにどう反応すればいいのか分からず、あぁ、と曖昧な返事を彼女に寄越す。原稿用紙22枚、文字数にしておよそ8800字の小説に視線を這わせる。主人公の女の子が願いごとを叶えるために色々な星座にまつわる神話を追体験しながら、灯夜結晶と呼ばれる星のかけらのような物を集めるというストーリーが文字だけなのにも関わらず、その情景だけでなく環境音までもがありありと色彩豊かに頭の中に広がった。彼女の字がキレイで読みやすい事に加えて表現が実に豊かで美しい。語彙力もそうだが、何より比喩表現がなんとも巧みに描かれているのが素晴らしかった。ただ、未完成の作品を除けば。
夢中で読み進めているとあっという間に最後の一枚を読み終わってしまった。未完成の小説の綴られた原稿用紙を机に落として端を揃える。添削を頼まれていた事を思い出すが、そもそも自分自身、人にものを教える事が大変苦手であり、また作品としての完成度が謙遜だとかを抜きにしても遥かに自分の書いたそれよりも遥かに高く、ケチのつけようもない。とりあえずコメントだけでもしようかと揃えた原稿用紙を再びめくる。
「えっとねー、作品自体ホントに良すぎて指摘する箇所が全然見つからない。でも強いて言うならここの『
咄嗟に思いついた感想を再び用紙を揃えながら伝える。数瞬の後にあれほど読み応えのある作品に対して中身が無く軽い、ヘリウムの入った風船のようなコメントしかできない自分の思考力を恨む。自分のコメントに何も期待するな。と原稿を返す際に祈る。
「ありがとうございます。確かにルビを振ってない箇所がかなり目立ちますね、って誤字ってた! 先輩、作品が完成してから誤字してるのに気づいた瞬間すごく『うわー!』ってなりません?」
誤字に気を取られてくれたおかげか、さほど気に留める様子もなかった事に少しだけ安堵する。
「まぁ確かにね。高校の時友だちが文化祭で合同誌出すからってことで小説を送ったけど印刷されたのを読んでから誤字に気づいて電車の中で声出してしまったからね」
「それは最悪ですねー、次からは気をつけますね!」
原稿を大事そうに両手で抱えた彼女は先ほどまで座っていた席に戻ると消しゴムを取り出して誤字の訂正をした後、後ろ髪を束ねて新たに原稿用紙を取り出しては未完成だった作品の続きを書き始める。
真剣な眼差しでペンを走らせる彼女は時々手を止めたり消しゴムを大きく動かしては一文単位で消していた。先ほどの添削もどきが影響したのか、いつも以上に気合の入った様子で黙々と書き進める彼女に、自分も触発されて小説を書きたくなってしまう感覚が起こる。彼女の小説に対する熱は凄まじい。その熱を全力でぶつければ、もしかすると世の中の賞を総なめできるのではないかと思える程までに。
活動も終わり、学校を出てから少し歩いていた時の事。冬も終わりに近づいている時期でもまだ少し日没が早く未だ夕暮れが肌寒い中、いつも通りイヤホンをつけて好きな曲に耳を癒されていると、真横を歩く人の存在に気づく。
「先輩、一緒に帰りませんか?」
イヤホン越しに聞こえた声の主は件の後輩、秋月春陽であった。
「いいけど」
基本一人で帰っている身であるのだが、別に共に帰路を歩む人は居ても居なくてもいいスタンスを取っている自分は素っ気なく答える。
「ってか、秋月さんは道こっちなの?」
「そうですよー。と言っても駅までが歩きなだけですよ」
なるほど、と返して以降彼女との会話は無かった。こちらが彼女を含めた他人の事を何も知らない以上、下手に会話を振るべきではないというのは今までの経験から明らかになっていた。会話が途切れたままの帰り道、聴覚は間奏だけを受け取っていた。
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