浮遊シャンプー

 オカルトは好きだ。UFOもUMAも心霊映像も、一応理系として3、4年間勉強してきたし、現在も学んでいる最中の身ではあるが、それでも非科学的な事物が大好物である。

 ただし愛好家でいられるのは画面を通して見る場合のみであった。


「……なんで?」

 逸らす事のできない視線と金縛りに遭ったようにして硬直する身体に、ヒトは想定外の出来事にいざ遭遇すると全く動けなくなる生物である事をこの身とこの瞬間をもって実感していた。


 少し遡ること数分前。

 休日、何も予定が入っていない上に特にこれと言った趣味を持たない俺は昼まで寝ていた。平穏の破壊者であると同時に良質な暇つぶしの提供者でもある叶夢は仕事で家におらず、暇を持て余していた俺はベッドの上でゲームばかりをして、ただただ怠惰に時間を浪費してばかりいた。

 そんなどうしようもない生活を送っている人間でも生理現象ばかりはどうしようもない。

 仕方なく倒木のように横たえていた体を起こして立ちくらみと戦いながらのっそりと今日1日の第一歩目を踏み出した。

 しかし10歩踏み出したかどうかの所でふと足が止まる。自室を出てリビングを抜けた先の右側にトイレがあるのだが、その手前に風呂場が位置しており、湿気対策のためドアが開け放たれている風呂場の前に差し掛かった際に何気なく風呂場の方を見ると、シャンプーのボトルが浮いていた。

 目の高さまで浮き上がったボトルは見つかってもなお、さも元からここに置いてありましたよ。と言わんばかりに落ちる事なく空中に佇んでいた。

 この状況に半信半疑であったものの、これがポルターガイストだという事を脳はまだ認識していなかった。

 どうせ叶夢のイタズラだろう。そう決めてかかっていたからだ。叶夢はイタズラをよくしていた。トイレの、硬貨を使えば外からも鍵を開けられるドアをわざと外から閉めたり、自転車のサドルを調節する所をギリギリまで緩め、乗った瞬間に体が落ちるように調整したりといった具合のイタズラを、ここ数年間はかなり少なくなっているものの、それまでは週に一度有るか無いかの頻度で行っていた。

 そんな懐かしささえ感じるほどに久々の叶夢のイタズラが単に糸で吊り下げたシャンプーボトルというお粗末具合に、呆れ半分寂しさ半分の感情を目の前のボトルに共有するように指で突っつく。

 ボドン、という音が風呂場に反響する。

 ボトルは後で吊り下げられてなどいなかったのだ。よくよく考えれば初めからおかしかった事に気づくべきであった。凧糸であれば最初から見えている上に釣り糸だとしても近くで見れば分かる、そして天井から物体を吊り下げた場合、何もしていなくとも物体は回転をするが、そのボトルは回転をしていなかった。

 下へと降りた視線は浴槽に転がったボトルに注がれていた。今まで画面を通してのみ見ていた怪現象がいざ目の前に、それも突然現れると、不可解に対する湿り気のある嫌な恐怖が頭にその姿を現す。冷静な思考力を食い尽くされた頭は身体の隅々への指示を出せるハズもなく、ただ硬直し、立ち尽くす事しかできなくなってしまっていた。

 次に動けるようになったのは尿意が限界に達したことを伝える信号を脳が受け取った時のことであった。トイレに入り、スマホを見れば自室を出てから1時間半経過した時刻を指していた。


 叶夢が仕事から帰ってくると叶夢は手を洗い、リビングで席に着く。目の前には配膳された料理が、この日の夕食当番に当たっていた俺が叶夢の帰宅時間を予測した上で時間内に完成させた、一番美味しい出来立てのご飯だ。

 後から席に着いた俺は料理に箸をつける前に尋ねてみる。

「今日、仕事に行く前にイタズラした?」

 秋刀魚を開いている途中の手を止めてこちらを見遣った叶夢は再び箸を動かし始めて言った。

「最近はめっきりやってないでしょ。私だってそれなりに忙しくしてるからそんな事に割いてる時間がない」

「だろうね。だって糸で吊るされていないのに浮いてたからね」

 発言に含まれていた違和感に気づいたのか、再度手を止めた叶夢は数瞬の後に首を傾げてから再び手を動かし始めた。

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