雨空の向こうへ

鏡 大翔

願い

 「空って、実は青いらしいよ」

「嘘だー。わたし、灰色の空しか見たことないよー」

「あれは雨雲に覆われているからだよ。雲がなければ空は青いんだよ」

 そうハルと話したのはいつの日だったか。

 青い匂いがする。

 ザーと規則的な、ノイズのような音が響く。徐々に強まるそれは何かが迫ってきているようだ。

 憂鬱な灰色の天蓋が空を覆っている。

 僕が暮らす島では一年中雨が降っている。詳しい原理は聞いたが忘れた。一応伝説では、娘を失った女神様が泣き続けていて、その涙が雨として降り注いでいるということになっている。

 でもそんなことはどうでもいい。理屈や原理なんかに興味はない。

 とにかく僕は青空というものを見たかった。

「でもさー、この島からは出られないないじゃん。成人するまでは島から出られないとかってしきたりのせいでさー」

 島の中央には白い高い塔がある。高層ビルなんてハイテクなものが存在しないこの島では、その屋上が最も空に近い。

 島の偉い人しか立ち入りが許可されていないが、僕とハルは小さい頃からよく忍び込んでいた。現に今日もハルと共に僕は塔に忍び込み、その頂上から傘を差して僕たちは島全体を眺めている。

 この塔が天まで届いていればいいのにと思う。そうすれば、雨雲を突き抜けて青空を見ることができるのに。

「ルイはさあ、どうして青空を見たいの?」

 隣でピンクの可愛らしい傘をさすハルの質問に僕はすぐに答えれなかった。

 遠くを眺める。

 ただなんとなく、小さい頃から、空が青いと知った日から、僕は漠然と青い空を見たかった。

 でも、よくよく思い返してみれば、小さい頃はその思いはここまで強くなかった。

 なぜだろう。

「そう言うハルこそ、どうして青空を見たいの?」

「私はねー、新しい世界が見たみたいの。こんな小さなせかいじゃなくてもっと大きな世界を見てみたい。その第一目標として、どこまでも果てのない空を見てみたいの」

 そう笑う彼女の笑顔が僕には眩し過ぎた。眩し過ぎて、彼女の顔が霞んで見えたが、それを目に入った雨滴のせいにする。そう自分に言い聞かせる。

 僕はなぜ青空を見たいのだろう。

 ハルは新しい世界への象徴として青空が見たい。

 なら僕は青い空にどんな意味を持っているのだろう。

 別に今の生活に不満はないはずだ。ただ毎日雨が降っていて、ただ毎日青空が見られない。ただそれだけだ。

 じめじめして居心地は悪いが慣れれば問題ない。

 出掛けるときは必ず傘をささなきゃダメでそれを煩わしく感じることもある。

 洗濯物は外に干せないが、僕は洗濯をしないから正直あまり関係ない。

 雨脚が強いと雨音がうるさくて嫌になることもある。だが、慣れれば問題ない。むしろその音が心地良くさえある。

 なら何が不満なのだ。

 むしろ心地いいまであるだろ。

「ルイはさあ、いつも空を眺めてるよね。きっとどこか遠くに行きたいんだろうなーって、その姿を見て、私いつも思ってるよ」

 そうだろうか。あまり意識したことはなかった。

「きっと君は、この世界に不満があるんじゃなくて、不満がないことに不満なんだよ」

 それを聞いて雷に打たれたような、いや一度死んだかのような衝撃を受けた。

 ……ああ、そうか。僕はこの世界に不満があるんじゃないんだ。ただこの世界から逃げ出したいんだ。

 毎日毎日、学校と家の往復を繰り返して、朝起きて、学校で勉強して、家に帰って、お風呂に入って、ご飯食べて、ゲームして、寝る。

 そんな変わり映えない日常から抜け出したかったんだ。

 この鬱鬱とした、安寧と微睡の日々から逃げ出したかったんだ。この中毒性の憂鬱を克服したかったんだ。

 なら、この思いは言葉にしなければならない。言葉が不完全な存在で、思いを一〇〇パーセント伝えることが不可能でも。

「僕は、この世界から抜け出したいんだ。この変わり映えしない日常から抜け出して、ここではないどこかに行きたかったんだ」

 安全、安心、安泰が僕を重力のように地面に縛り付けている気がずっとしていた。

 僕はそんなものを求めていたわけじゃない。

「だからさ、ハル。僕と一緒に外の世界に行こう。二〇歳までなんて待っていられない。どんな方法を使ってでもこの世界から脱出しよう」

 ずっと僕は彼女にそう言いたかったんだと思う。

 そして、彼女の返事は容易に予想できた。

「うん、行こう。青空を見に。雨空の向こうへ」

 


 

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