高黄森哉

お空

 よく晴れた暑い日でした。僕は川の土手を歩いています。頭がちりちりと熱を持ち、汗がたらりとつたうのです。人も沢山いました。だから恐ろしいことは一つもありませんでした。


 雲の形は紡錘形をしています。その雲が沢山、等間隔で並べられているのです。飲食店に置いてある、絵画みたいな景色だな、と呑気にのんびり思いました。全て同じ方向に吹かれています。


 かぜも同じ方向に吹いています。気化熱が、素肌の暑さを奪い去っていきます。自分も同じ方向へ歩いております。だから、背中を押されているような気分なのです。だからか、何も怖いことが無いように思えました。


 河原にはしばしば草原があります。草原は風が止むと揺れるのをとめます。あたりまえです。それでも揺れていたら、それは幻覚の類でしょう。水分補給をするべきです。僕の左側にある草たちは揺れていません。ですから、怖いことはないです。


 トラックが通り過ぎていきます。エンジンのむせかえるような甘い匂いと、匂いに紐づけされた味を残してゆきました。静かな低音が心を落ち着かせます。トラックは安全運転です。だから何も怖いことはないのです。


 僕は怖くなりました。もう、何も怖いことはないのです。子供の頃のあの恐怖は永遠に失われました。どんな書物をよんでも、どんな映像を見ても、原始のおののきは蘇りません。


 現代人は恐怖に対して耐性を持ってしまった。得体のしれない恐怖から空目して、それに対して合理的な説明、錯覚とか、そういうのをつけられず、集団ヒステリーを起こしてしまう。そんな愉快な楽しみは現代にもうありません。


 恐怖は得体の知れなさです。科学の蝋燭が、対する暗闇の蝋燭を、吹いて消したのです。ですから、誰も何も怖くないのです。まるで自分を外から見るような、客観的視点で冷笑的に現象を観察するのです。


 巨大な円盤が、それも滑らかな円盤、が空の上を滑って頭上に来ました。巨大な円盤で、辺り一面が暗くなります。気象現象でしょうか。それとも、最新鋭の戦闘機でしょうか。それは音もなく高速で飛来しました。点が拡大されたような飛来です。


 僕は自分の恐怖を自覚しました。つまり、先の考察は、すべて間違っていたのです。現代人が失ったのは、当事者意識でした。自分だけは、いつでも客観的で冷静であるという錯覚です。それは暗闇の蝋燭が辺りを照らすと消えてしまう暗がりです。


 円盤はそこにとどまっていました。全てが同じ色をしているため、回っているのかどうかわかりません。クリーム色の円盤です。それはUFOの類だと思うのです。時間が止まったように辺りは停止しています。自然現象だけがへらへらと笑っています。


 同じように雲は流れます。同じように風は吹きます。同じように草木は揺れます。人とトラックだけが動きをとめていました。絵画の中に空飛ぶ円盤が紛れ込んだような景色です。点景化した自分はそう思います。


 UFOは滑るように別の場所へ移動しました。滑らかな移動はその物体が縮み行くように錯覚させます。そして何事もなかったように依然と変わらない自然が広がっているのです。


 では人工物はどうでしょう。僕以外、見当たりません。土手には、ピクニックをしていた痕跡や、人の乗っていないトラック、パイロットを失ってひらひらと舞い降りる凧、犬のリードなどが落ちています。


 一番不気味なことは、それが一切報じられなかったことです。新聞を、目を皿のようにして見ましたが、円盤の目撃情報はありませんでした。きっと、ベタすぎる、と没になったに違いありません。世の中、そんなものです。

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高黄森哉 @kamikawa2001

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