第一話 なぜ彼はキョロ充になったのか

 約半年前の3月。これは彼、小牧傑士がまだ高校生であるものの来月から大学生になるという人生においても大事な時期の一つを迎えていた。


 大学受験を終え、高校の卒業式を終え、この大学への入学準備を進める時期に彼はもう一つだけやることがあった。


それは一人暮らしの準備。


 世の中的には大学生から一人暮らしなんてそう珍しい事ではないが彼にとっては願ってもない僥倖であり、未だに信じられないことであった。


何故そこまで信じられないことなのか。その理由は一つ。彼の家柄に関係している。


彼の家は100年以上もこの国を支え、多くの大企業を抱える名家。


日本どころか世界的に見ても五本の指には入る程の億万長者。


そんな家のもとで生まれた彼は幼少期からとても厳しく育てられ、遊びや道楽といったものに現を抜かす事を禁じられている。


一週間のスケジュールは習い事と勉強で埋め尽くされ、食べるものも最高品質で

0.01グラム単位で管理されていた。


そんな過剰ともいえる英才教育を施されれば当然、幼稚園から高校まで日本でトップレベルの偏差値を誇る進学校へと進学し、勉強漬けの毎日を送っていた。


そして大学も日本でトップを誇る超有名大学に進学するものと思われた。


…だが彼は生きていく中で自分とは対極に青春を謳歌する同級生に対して強い憧れを抱いていた。


小さなことで大きく笑い、小さなことで大きく悲しみ、一回の出会いと別れで抱き合う彼らに。


傑士はどんなことが起きても常に冷静であるようにと躾けられ、自我を捨て、理性だけで生きていくようにと育てられた。


生まれた時からずっとそう育てられてきた彼にとって感情を理性で殺し続けることなど造作もなかった。


だが、彼らへの強い憧れ。これだけは殺しても殺しても殺しきることが出来なかった。


だから傑士は父親と一つのけじめをつけ、それを最後にこの感情を捨て去ることにした。


それは大学生の間だけ家のもとを離れ、一人で生きること。


一人で生活をし、親の管理のもと過ごした学生時代とは正反対の自由な大学生活を過ごし、憧れ続けた青春を謳歌すること。


その代わり、大学生活が終わった暁には必ず父のグループに所属し、兄に次ぐナンバー2として骨をうずめることを引き換えに。


一瞬で断られるだろうと傑士はダメもとで頼んだが意外にも父はその条件を承諾し、遠い地での一人暮らしの場を用意し、傑士を送り出した。


 こうして一人暮らしの許可を得た傑士は3月の中旬に引っ越し、現在段ボールだらけのマンションの一室で心を躍らせながら荷物の整理をしていた。


やはり金持ちなだけあって傑士の父が用意したのは大学近くのマンションの一室。


傑士は賃貸アパートでいいと伝えていたのだが世界でもトップクラスのお金持ちである傑士の父にとって賃貸だろうと持ち家購入だろうとそれは微々たる差でしかないので当たり前のようにマンションの一室を購入していた。


傑士の父が購入したこのマンションは築10年も経っておらず、とても綺麗で大学生にとってみれば不相応と言えるくらいには良質なマンション。


その一室で黙々と荷物を整理をし、内装を整え、大学への準備が済んだ傑士。


後は大学が始まるのを待つだけの3月となった。


 4月。今日は傑士が通うことになる大学の入学式の日の朝。


まだ家を出るには早く、少し時間のある傑士は洗面所の鏡の前で自分の髪と格闘していた。


「変…じゃないかな…」


彼は自分の髪を見て写る自分に対して違和感を覚えていた。


無理もない。彼は先日、最寄りの美容室で髪を茶髪に染めたばかり。


髪型も使い慣れていないワックスで整えており、高校まで真面目に生徒会長をしていた自分とは見違えるものだった。


ワックスを使用した髪を何度も手でまさぐり、調節し、少しでも違和感の無いように調節する。


「よし…いい感じかな」


少し不安を覚えながらもある程度納得がいき、傑士はそう呟いたが正直言ってあまりかっこよくはない。


髪型自体は間違っていないし、彼自身が不細工という訳でもない。


単純に似合っていないのだ。今まで親の言うままではあったが真面目に生きてきた彼の容姿に茶髪が似合っていない。


陽キャ大学生と言えば髪を染めているという固定概念により染めてはいるが少々無理をしている感じが否めない。


普通に黒髪で清潔感溢れる髪型と様相にすればどれだけ良かっただろうか。


 それでも彼は気付くわけもなく、次にポケットからスマホを取り出し、メモ帳アプリを開いて何かを黙読する。


何度も読み返した後、彼はスマホを閉じ、何かを発する準備か喉を3度鳴らす。


「…俺さ~高校の時は結構やんちゃやっててさ。普通に喧嘩売られまくって毎日のように人ぼこぼこにしてたんだよね~…よし!エピソードトークは完璧だな!」


何が完璧なのかまるで分からない。どこから見たら完璧なのか。


いや、どこから見ても完ぺきではない。何がよしだよ馬鹿か。


 恐らく今のセリフは大学の入学式で同級生に話すエピソードトークだろう。


それを彼は昔悪かったアピールというダサすぎるエピソードトークを選んでしまったのだ。


勿論この話は噓。彼が学生時代ぼこぼこに倒していたのは数々の問題集だけである。


しかも用意したエピソードトークはこれだけみたいで後はその場で会話を完成させようとしている始末。


こんな間違ったことをしようとしているのも彼の陽キャと言えば悪とノリだけという間違った固定概念によるものだった。


入学式用のスーツもシャツも一番上のボタンを開け、少しだらしなく着ている。


周囲からすればだらしないだけだが彼にとってはこれも悪かったアピールなのだ。


 そしてこんな風に鏡の前で葛藤していること30分。余裕のあった時間は瞬く間に無くなり登校時刻になっていた。


「やばい!早くいかないと!」


ずっと真面目に生きてきた為、自然と遅刻への拒否反応が染みついており、慌てて身支度をする。


 この時点でもうぼろが出始めているのだ。


「行ってきます」


誰もいない部屋に彼は何処か気持ちを入れながら言い放ち、家のドアを閉める。


 希望に満ち、これから始まる青春に胸を躍らしている彼だがこれから待ち受ける彼の運命は『リア充』ではなく『キョロ充』な自分。


いつもキョロキョロと周囲を見渡し、生粋の陽キャたちにただついて行くことしかできないキョロ充。


時に周囲から目立とうと思ってもうまくいくわけもなく、いつからか周囲に煙たがられる存在。


やはり高校時代ずっとまじめだったのにいきなり大学の中でもトップクラスの陽キャになるなど不可能だ。


ましてや彼が見て、憧れてきたものは陽キャラのほんの一部にすぎない。


たった一面を見て、学んだだけで本物の陽キャたちについていけるわけがない。


細かなノリも流行もおしゃれも全部ついて行けず、いつしか置いてきぼり。


彼がキョロ中になってしまったのはこの彼の青春に対する明らかな知識不足。


そして速く青春を謳歌してみたいという焦燥によるものだった。



 









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美女とキョロ充 平等望 @hiratounozomu

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