第4話 もう一度……

 翌日、俺は屋上に立っていた。

 よく晴れた青い空と小空。驚いたことに小空が地表に近づいてきている。俺にはそれが宙が来てくれたように思われた。だから俺は、ここから小空の中に入るつもりだった。

 陽斗には黙って来てしまった。止められるわけにはいかない。

 いざ、と俺は屋上の柵に登る。小空はもう、手で触れられるほど近い。

 柵を蹴って飛び上がろうとした、その時――

「湊⁉探したぞ!」

 陽斗の声がした。

「わっ」

 駆け寄ってくる陽斗が見えた。それを最後に、俺の意識は冷たい水に飲み込まれた。


「目が覚めた?」

 そうだ、俺は屋上から落ちて――

「っわ!」

 跳ね起きると、こちらを覗き込んでいた顔とぶつかりそうになる。見覚えのある顔――宙だ。

「宙!」

「へへ。湊、びっくりした?」

「するに決まってるだろ!てか俺、どうなった?」

「ここは小空の中。私が小空に湊を取り込んでなかったら、今頃大変だったよ」

「え?……つまり、宙が小空を?」

 宙は目を伏せた。しかし、ぱっと顔を明るくしてこちらを覗き込む。

「ついてきて。話はその後!」

 ぐいと手を引っ張られ、俺は引きずられるように駆け出した。

 走ってみて気づく。ここはあまりにも美しい。頭上にも、足元にも青空が広がっている。

 宙が踊るようにその中を駆けていく。ああ、と思った。宙だ。本当に宙がここにいるのだ。

 と、辺りの景色が一瞬で暗闇になった。

「ここはね、私が作ったの。だって私、湊との約束果たせてないんだから」

「約束?」

「一緒に空を見に行こう、って」

 ばん!と大きな音に驚いて見ると、小空の中で花火が上がっていた。足元も、頭上も、右も左も鮮やかな花火が咲き乱れる。俺は少し呆れて声をかけた。

「そのためにこんなでかいもの作ったのかよ」

「悪い?」宙がにやりと笑う。

「色々見えてたけど、湊を振り回すのは楽しかったよ。私が見えた途端取り乱しちゃってさぁ」

「ば、そりゃそうだろ!」

 宙が花火に照らされて優しく微笑んだ。

「あのまま死にたくなかったの。自然消滅なんて冗談じゃないし。どうしても湊のところに戻りたくて、ここにいた」

 宙がふっと息を吐く。と、周りの景色が歪み始めた。宙がはっとして俺の手を握った。

「もう時間がない……」

「時間がないって、あ……」

 小空が、崩れ始めていた。花火にヒビが入ってきている。

「湊」

 頬を手で挟まれる。

「湊はもう私に縛られなくていい。私は死んでるんだから、ちゃんと前を向いてよ」

「……なんで、そんな事言うんだよ」

「湊、引きずるタイプだから?」

 宙がにやっと笑う。

「もう会えないみたいなこと言うな」

「私に会いたいの?」

「そりゃ。俺はまだ宙が好きなんだから」

「じゃあ、頑張ってみる。またここに来れるように。それなら、前に進んでくれる?」

「約束だからな」

 崩れ行く空の中、宙がゆっくりと笑みを浮かべた。

「私はこの空にいる。だから毎年ちゃんと、私に湊が幸せな姿を見せてね」

 夜空が大きく割れた。宙が手を離す。俺は小空の欠片に包まれながら、地面にまっすぐ落ちていった。

「宙――!」

「またね、湊」

 宙の姿が、割れた花火でかき消えた。


 落ちていく。空から地面へ。

 ただ、小空の欠片が周りにあるせいか落下はとてもゆっくりだった。

 地面につくと、小空の欠片は一つ残らず消えてしまった。俺はそのまま崩れ落ちた。

「宙……」

 ただ、涙が出てきた。死んだ彼女に会えたのだ。俺のただ一人、大好きな彼女に。

「はーん」

 頭上から声がした。陽斗だった。

「なるほど。事の顛末はお前らの恋だったわけねぇ」

「……うん。ごめんな、研究台無しにしちゃって」

「んなことどーでもいいだろ?てか、小空が割れるぞ」

 はっとして顔を上げる。花火が上がったままの夜空が、ぴしり、と砕け散り――欠片が一つ一つ虹色の水の粒になって、俺たちの頭上に降り注いだ。

「狐の嫁入りだな」

 青空に、きらきら輝く虹色の雨。

 背中を押してもらったような気がした。

「泣いてばかりいられないな」

 俺は立ち上がり、うんと伸びをした。そして陽斗の方へ向き直り、不格好でも、ちゃんと笑ってみせた。

「行こうか、陽斗」

 陽斗も、笑顔を返してくれた。

「おう」

 歩いていく俺たちを、優しい雨がいつまでも包んでいた。

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あの空ともう一度 七々瀬霖雨 @tamayura-murasaki-0310

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