第3話 羨望
「隣町でタテモノが暴れているそうですよ」
そう話を切り出したのは、入部もしていないのに何故か部室でくつろぐ結生である。
「廃病院のタテモノで、窓からものを落としてくるんだって」
本を読んでいた実月先輩が顔を上げ、小首をかしげた。
「廃病院のタテモノね」
「はい、ご存知でした?」
「それならいいの。うちの部長の管轄だから」
「先輩の?」
はあ、と重い溜息が後ろから聞こえてきた。スマホ片手にリュックを背負う我らが部長である。
「そろそろ様子を見に行ってやるか」
「先輩、廃病院に?」
「決まってるだろ。お前も来るか?」
先輩が僕を誘ってくれるなんて珍しい。僕は慌てて鞄を掴んだ。
学校から二つ駅を挟んだ所にそのタテモノはあるという。何故かまた結生も混ざって四人で電車に乗り、ようやくタテモノに辿り着いた。
「うわあ……」
そこは、おどろおどろしい廃病院だった。なんかもう窓は割れるわ蔦はつたうわ理想的な廃病院だった。いかにも幽霊が出そうだ。あながち間違ってはないけど。
周りには何人かが立っている。だけど、不思議なことに半径二メートルほど離れて病院を見上げていた。
「見た感じ暴れてなさそうですけど……」
僕が言った直後、ぎぎぎっとタテモノが撓んだ。瞬間、ぶんっと風を切る音がして、窓からベッドが落ちてきた!
「ぎゃあああぶないい!」
がしゃん!と凄まじい音が耳をつんざく。僕の目と鼻の先に、ぐしゃっと潰れた患者用のベッドが打ち付けられていた。……周りの人たちが様子を窺って、それでも近づかない理由が分かった。このタテモノは病院内のものを何かしら落としてくるやつなのだ。危ないったらありゃしない。
と、阿辺先輩が一歩進み出た。
「そのへんにしとけ、
……咲?
と、ぴたりとタテモノの動きが止まった。一瞬の静寂の後、高い女の子の声が響き渡る。
「お兄ちゃん!」
……お兄ちゃん⁉
結生と顔を見合わせ、先輩の様子を窺う。先輩はぽりぽりと頭を掻いていた。
「もー、めっちゃ久しぶりじゃない⁉全然来てくれないからあたし寂しかった!ていうかだれだれ隣の人たち!あたし会ったことないよね?うそ、お兄ちゃんに後輩ができたの⁉」
「あー……」
あまりの速さで喋るタテモノに目を白黒させる。ていうか、お兄ちゃんってなんなんだ!
先輩が困ったように眉を寄せてこちらを振り向いた。
「紹介する。今はタテモノになってるけれど、俺の妹の……咲だ」
タテモノ……妹?
「ええええ⁉」
大声に驚いた鳥が鳴きながら飛び立っていった。
「咲は明るい子だったんだが、どうも体が弱くてな。二歳差の妹だったんだが、ずっと入院していたせいで殆ど一緒にいられなかった。結局、小学二年生くらいのときに死んじまったんだけどな」
僕達は廃病院の入り口にある階段に腰掛けて話していた。咲ちゃんの声が上から降ってくる。
「でもさ、あたしももっとお兄ちゃんといたかったから、こんな所で死にたくないって思ったの。そしたらふわーってして、気がついたらここにいたの!体はないけどこの建物は好きに動かせるし、これでお兄ちゃんと一緒にいれるなぁって」
「この病院は咲が死んだときと同時期に潰れたんだ。多分、空いてしまった所に咲が入り込んだんだと思う」
「へぇ……そんなこともあるもんですね」
「正直、先輩がこんなに慕われるお兄ちゃんだとは思ってませんでした」
僕が言うと、実月先輩がぶっと噴き出す。
「そうよね。普段から見るとギャップすごいよね!本当、最初知ったときは信じらんなかったわ。先輩風吹かせちゃってさあ」
「ば……そんなんじゃねえよ」
「でもお兄ちゃんそういうとこあるもんねー。何につけても上からだし。樹くんたち、迷惑してない?こんな先輩で大丈夫?」
「お前なあ……」
思わず声を出して笑った。まさかこんなに先輩が咲ちゃんに弱いとは。これはいい弱みを握った。
「でもお前さあ、最近イライラしてんのか?隣町のタテモノが暴れるって、俺の部にまで連絡が来てたぞ」
先輩の言葉に、タテモノが風船のように少し膨らんだ。動きが小学生くらいの女の子そのもので、少しだけ驚いた。
「だってお兄ちゃん全然来てくれないんだもん。騒ぎを起こしたら、様子見に来てくれるかなって」
先輩がタテモノを見上げた。
「咲、何度も言ってるが、タテモノと人の間には超えちゃならない一線がある。無駄に怖がらせてはいけないんだ。そのせいで咲が怖がられたりしたら、俺は悲しい」
「……はぁい」と、咲ちゃんは膨れたような声を出す。先輩はそれを聞いて、本当に柔らかい笑みを浮かべた。いや、普段からの想像がつかなすぎる。あんな顔できたんだ……。
「大丈夫だ、これから一週間は毎日来てやれるよ」
「ほんと⁉やった!」
喜ぶ咲ちゃんの声を尻目に、僕達は思わず目を見交わした。
……それって、僕達もかな?
結局、僕達も一緒になって毎日咲ちゃんのところへ通うようになった。ちょっとしたピクニックみたいになってきて、結生がサンドイッチを持ってきたこともある。咲ちゃんは「いいなああたしも食べたかったなー」と羨ましがっていた。
しかしそんな中で、ひっそりと事態が急変した。
「くそっ……」
いつもの四人が部室に集まる中、先輩が珍しく声を上げた。
「どうしたんですか」
「……廃病院の取り壊しを求める署名活動が始まったらしい」
「えっ――」
先輩がスマホでネット記事を見せてくれる。記事についていた写真はたしかに、僕達がいつも会っていた咲ちゃんのタテモノだった。
「嘘でしょ、どうして!」
「咲が……病院の中のものを道に落としたりしていたからだ。俺のせいだ。俺が咲を寂しがらせたからだ……」
先輩が肩を落とす。いつもあんなに堂々としている先輩がだ。
「そんな事言わないで」
「そうですよ!その人達を説得して止めればいいじゃないですか!」
しかし、先輩は緩く首を振る。
「気づくのが遅かった。もう目標数には到達しているそうだ。まだ活動は続けるそうだが、いつ取り壊しが決まってもおかしくはない」
「そんな……」
僕も俯いてしまう。部室はしん、と静まり返った。最近は咲ちゃんも大人しくしていて、危ないことなんてなかったのに。なんとかして止められないんだろうか。僕だって折角仲良くなった咲ちゃんを、このままみすみす壊させてしまいたくはない。
と、阿辺先輩が動いた。何も言わずにリュックを背負い、部室を出る。
「どこ行くんですか」
「決まってる。壊される前に、あいつの未練を解決してやる。……せめて、自分が壊されるところは見なくて済むようにしてやりたい」
僕達も迷わずそれに続いた。
「壊されるの⁉あたしが⁉」
咲ちゃんはこのことを知らなかったようだ。ぎいぎいと体を揺らして叫んでいる。
「なんでよ!あたし、そんなに悪い事してないんだけど?ちゃんとお行儀よくしてたのに!」
「お前がベッドとか上から落とすからだろ。俺も何とか手を探ってみるけど、お前はお前で大人しくしてろよ」
「何で……あたし、お兄ちゃんと一緒にいたかっただけなのに……」
はぁ、と先輩が溜息をつく。
「……それより、教えてほしいことがある」
「……何?」
不機嫌そうに咲ちゃんが返す。先輩は暫く黙って、しかし決然と顔を上げて咲ちゃんに言った。
「咲の……未練はなんだ?」
咲ちゃんが凍りついた。
「……なにそれ」
ぶるぶると建物が震える。僕も見ていられなくて目を背けた。だって、先輩が言ったのは、もう咲ちゃんを助けられないと宣言したのと同じだったのだから。
「あたしの核を取ろうとしてるの?」
「いや、違うんだ……」
「違わないでしょ。核を取ってあたしを消そうとしたんでしょ!あたしなんてもう要らないんだ!あたしなんかただの暴れる病院だもんね。厄介払いができてよかったじゃない!」
「そんなこと言ってないだろ!」
「じゃあ何よ。もうあたしを助ける気はないんでしょ?あたしがいても皆には迷惑だったってことじゃん!だったらこのまま壊される方がいい!」
「何言ってるんだよ!俺は咲が……」
「言い訳。全部言い訳!もういい、早くどっか行って!二度と戻ってこないで、ソファ落としてやるから」
ぐ、と先輩が唇を噛んだ。タテモノはそれっきり黙ってしまって、ぴくりとも動かない。
やがて、先輩のほうが踵を返した。
「……何を言われても、また来るからな」
このまま、今日はお開きとなってしまった。
実月先輩とは帰る方向が一緒だった。二人きりで電車に乗っていると、先輩は少し物憂げに僕の方を見た。
「阿辺さぁ」
小さく呟く。
「いいお兄ちゃんなのよ。喧嘩したのを見るのは今日くらい。いつも咲ちゃんを大事にしてた。一度死んで戻ってきてくれたから、今度こそ大事にしようって決めてたんでしょうね」
「……それは、わかります。すごく仲が良さそうでしたから」
「阿辺がタテモノ研究部を作ったのも、咲ちゃんのことがあったから。世間ではまだ怪物としか受け取られていないタテモノを、話し合える危険じゃない隣人だって分かってもらいたかったのよ。それなのに、怪物だって騒がれて妹を失うなんて……」
僕は先輩を見上げた。少し目を伏せていた先輩も僕を見つめる。
「僕は、あの二人を助けたいです。このまま喧嘩別れするなんてだめだ。取り壊しをやめさせたい」
「私もよ。でも……取り壊しの方は難しいわね。賛成している人が沢山いるのだから多勢に無勢よ」
「なんとかしましょう」
「簡単に言うわね……」
先輩は笑みを浮かべた。
「でも、やってみないことにはわからない。やるだけやってみましょう」
「はい!」
翌日、駅前に署名活動の人たちが立っていた。僕は迷わず彼らに近づき、言ってやる。
「あの、取り壊しを取り消していただけませんか?」
案の定、彼は嫌そうな顔をする。僕は畳み掛けた。
「あの病院は思い出の場所なんです。壊されるのは悲しいです」
「だがなぁ、あの病院は危ないんだよ。もうずっと前から問題になっていた。もう決まったことだから、今更覆せないよ」
「でも!」
「そうだ、あそこはタテモノだって言う噂もあるぞ?タテモノなんて危ないんだから……」
「タテモノは危なくなんてありません!お願いです、考え直してください!」
すると、彼の顔色が変わった。
「お前、タテモノ研究部か」
「え……?」
「お前たちがいつも空き家の処分を邪魔するんだ。タテモノなんて百害あって一利なしだろ?もう邪魔をしないでくれないか!」
僕はそこで初めて、何故研究部がボランティア部と偽っているのか分かったのだった。僕はすぐにその場からつまみ出されてしまった。
その後もネットで発信したり色々と手を尽くしてみたけれど、これと言った成果はなかった。ただ時間だけが過ぎていく。先輩と咲ちゃんの溝も埋まらないままだ。僕は部を無断欠勤すると、電車に飛び乗って咲ちゃんのところへ向かった。
今日も憂鬱そうに病院は立っていた。
「お兄ちゃんに言われて来たの?」
良かった。咲ちゃんはまだ僕と話す気があるようだ。
「そうじゃないよ、話がしたくて来た」
建物に背をつけて座り込む。
「今更話すことなんてないわよ」
「最後に仲直りしなくていいの?」
ぎ、と膨れたような音を出す。
「だってあっちから怒らせてきたんだもん。あたしは謝らないよ」
「でも咲ちゃん、寂しかったんでしょ?」
長い沈黙があった。
「……ねえ、あたしはもう壊されるんでしょ?」
はっとして顔を上げる。
「助からないって、あたしは最初から分かってたの。周りの人皆迷惑そうにあたしを見るし。タイムリミットかなとは思ってた。これ以上お兄ちゃんを縛るようなことはしたくないし」
「違うよ。それは嘘だ。咲ちゃんは寂しかったんだ」
「……分かったような口きかないで!」
「分かるよ。一人は怖い。僕はタテモノに取り込まれたから分かる。移動型じゃないタテモノは動くことができないから、誰かが来ない限りずっと一人ぼっちだ」
ねえ、と僕は声をかける。
「本当にこのままでいいの?寂しいまま、お兄ちゃんと別れてもいいの?」
う、と咲ちゃんから声が漏れる。
「嫌だ……」
「なら、今度は仲直りしてあげてね。きっと先輩も同じ思いだから」
じゃあ、と僕は立ち上がり、その場をあとにする。これ以上ここにはいられなかった。不意に溢れてきた涙を見られてしまう。
空は相変わらず曇ったままだった。
しかし、翌日のことだった。
「おい、もう解体作業が始まってるらしいぞ!」
先輩が部室に走り込んできた。
「えっ⁉」
「嘘でしょ?」
「俺たちにバレないように夜中に準備したんだ。今から行ってくる」
「待って私も!」
一緒にいた結生も伴って、僕達はタテモノへ急いだ。
咲ちゃんは白い板に囲まれ、もう姿は見えなくなっていた。
「咲!」
「お兄ちゃん!」
何事かと作業員が見てくるが、そんなことには構っていられない。
「咲!ごめんな、あんまり一緒にいてやれなくて!助けてやれなくてごめん!」
「いいの、お兄ちゃん。あたしこそごめんね。死んだのに迷惑かけて。あたしはお兄ちゃんのこと大好きだったよ――」
その時、がごん!と大きな音がして、重機がタテモノに直撃した。
うっすらと見えるのは、壁を削られて話せなくなった咲ちゃんの姿――
「ああ、あああああ……」
先輩が膝から崩れ落ちた。実月先輩がその背に手を当てる。その間にも、タテモノは壊れていく。酷い光景だった。僕達はなんの役にも立てなかったのだ。
許さない……。
この気持ちはきっと、怒りだ。
何で先輩の気持ちを無視するんだ。タテモノの気持ちも考えずに壊してしまうなよ。咲ちゃんは殺されたのと同じじゃないか――。
こんなものなら、人間なんて大嫌いだ。
「樹」
僕のことを、結生が見ていた。
はっとしたように、阿辺先輩がこちらを振り向いた。少し考えるような顔をして、きゅっと唇を結ぶ。
「西野」
そして僕を呼んだ。
「はい」
「次のタテモノだ。お前が去年取り込まれた、あのタテモノを見に行こう」
「はい……?」
どうして急に?しかし、先輩にはなにか考えがあるようだった。今更嫌とも言えず、僕は小さく頷かざるを得なかった。
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