因仍して、件の如し

すきま讚魚

第1話

「山向こうの村にくだんが生まれた」


 人の噂も七十五日とは申しやすが。

 はてさて、口伝えのみが頼りの今の世で、其の噺が村の隅々まで広まるのに、一日とはかかりやせんでした。


 くだん、人に牛と書いて「くだん」にございやす。


 その姿は人面牛身と云われ、生後三日にして人語を解し、外れぬ不吉な予言を告げ僅かな時間ののちに死んでしまう。

 件の誕生は即ち凶兆のしるしとも云われておるそうな。



 はて、然し乍ら。凶兆とは如何なるものでございやしょうか。

 まさにこれより起こる出来事こそが——凶兆と呼ぶべきものでありんしょう。




 べべん、とひとつ琵琶の音。



 時は元徳の二年の頃か。

 此処に、ひとりの僧ありき。

 聞けば諸国行脚の途途みちみちで、巷談俗説を聴き歩き、また其れらを語りながらの流離さすらひの身であると云ふ。


 旅の身であると語りながらも、その様相は簡素な白装束に草履ばき。脚絆も手甲も纏っておらず、笠の代わりにその鼻から上をぐるぐると巻いた白布で覆っておったそうな。

 ただひとつ、其の軽装に似合わぬ古びた葛籠を——ひとつ背に負っておったとか。


 山を降りて早々に「くだんを見たか」と物々しい雰囲気の村人に囲まれ、おやおやと坊主は小首を傾げてみせた。


「くだん……とは。なんのことにございましょう?」

「山向こうの村に生まれたと云ふ、牛の化け物の話だ。坊さん、アンタは峠を越えてやってきた、知らねぇとは云わせねぇ」

「そないなこと云われましても、なんぞ化け物なんてェ噺、山向こうでは見も聞きもしやせんで」


 大の男に囲まれながら、飄々とした語りを崩さぬ坊主の様子に、血気立っていた村人達の血も少々凪ぐ。


「どぼけるな、と云いてぇところだが。坊さん、あんた嘘はついてないだろうな」

「はぃな」

「仏に誓って嘘はないな?」

「ええ、誓う仏がありますならば・・・・・・・・・・・


 微笑む坊主の言葉に、ふむと考え込んだ村人。すると此の村の長と見受ける、貫禄のある男が声をかけてきた。


「待て待て、山向こうと云っても山ほど土地はあるからな。違ったのかもしれん。ひとつ、坊さん、今聞いた噺、無かったことにしちゃぁくれねぇかぃ?」

「……おやぁ旦那。そらァなんぞ、厄介事でも?」

「いや、そうじゃねぇよ。くだんってのが現れると、凶兆の徴って言い伝えがあってな。ただの噂だ、聞かねぇことにこしたことはねぇ」

「凶兆……ねぇ」


 しゃらん、と音が靡き、ひとつ錫杖が震える。

 坊主は山向こうを指して、薄い唇を引き上げふふふと嗤った。


「であれば旦那ァ、くたびれた坊主の小さな進言にございやす。昨今はどうも鎌倉の方には厭な氣がございやして。どうか山向こうには行きませぬよう。なんぞ、心に留めておいてくださいまし」

「鎌倉? 鎌倉だと? 坊さん、アンタ一体何処から」

十刹じっせつを巡りやして、最後に発ったは東勝寺でさァ」


 そうかい、そうかい。そら長旅ご苦労だったなァ。そう男は急に朗らかに笑うと、坊主に村での一晩の休息を促した。


 接待は断らぬ主義でしてねェと、其の晩坊主は村の長の小屋へと泊まったそうな。





 人の寝静まる刻の頃、ひそひそと村の男どもの集まる声が響く。


「山向こうまでは人の足で二日はかかる、さっさと出発せねば」

「然しあの坊さん、東勝寺って云やぁ、まさに山向こう。ほんに何も見なんだろうか」

「ばかやろうお前ら、よく考えてもみな」


 村長は血の滴る草刈り鎌を手に持ったまま、にやりと嗤った。


「旅のモンとは云え、余所者の坊さんにそんな奇怪なモン見せるわけねぇだろう。鎌倉から厭な氣ときちゃぁ、ますますこりゃぁ現実味を帯びてきたってわけだ」 

「ぼ、坊さんは本当に殺しちまったんで?」

「まぁな、これも村の存続とあらば、仕方ねぇ。仏様、山の神様への供物がわりってところか」


 どん、と其の男は坊主の荷物であった古びた葛籠を足元へと置いた。

 坊主の方は、首を掻き切り村のハズレへ埋める手筈をしてきたと云ふ。


「どうにも開かねぇ代物でな。坊さん、たいそう良い品でも持ち歩いていたんだろう」


 男達は躍起になって葛籠を開けようとしたが、まるで開かぬ。

 そうこうするうちに、すっかり月が登りきってしまったそうな。


 男達は葛籠を其のまま持ってゆくことに決め、声を潜め、女子供の寝た其の村をめいめいが刃物を持って出立した。

 世は——貴族のみが繁栄し、庶民は自ら作った作物すら口にできぬ、苦しい暮らしぶりであったと云ふ。



 くだん、くだんが生まれると。凶兆の徴であると云ふが。

 然しそれは後世の言い伝え。


 本来——。

 くだんの生まれた地は数年豊作が続き、のちに訪れる難を逃れるすべをも、同じくして其のくだんは語るそうな。


 はてさて、然し。


 庶民の暮らしの苦しき此の世にて。


 難を逃れ、自分達のみ生き延びやうと人々も必死になっておって。

 例えば——其のくだんを村のものとしてしまおうとする争いであるとか。くだんを奪いに誰かしらが其処へやってきたとあらば。


 果たしてそこに起こるは凶事か、災いか——。





 山を跨ぎ、更にもう一日を過ぎゆくと。男どもは、日暮れの頃には噂のあった山向こうの村へと。


 ただ、そこには。

 既に、生きている村人はひとりもいなかったと云ふ。


 其の有様。人が人を殺し、殺し合った痕。

 女子供も皆殺し。あまりの惨たらしさに、男達は口々に化け物の仕業だ、と叫んだ。


「おさ! 此れを見てくだせぇ!!」


 村を見て回っていたひとりの男が、何かを見つけ慌てて叫ぶ。

 其の声に、男達はひとつの小屋へと集まった。


「こ、これは……」


 其処に横たわっていたのは、喉笛を一閃に裂かれ、息絶えた異形の何か。

 まるでヒトの子の顔に、牛の体をした——。


「くだん、くだんだ!!」

「本当にいたんだ!」


 一歩遅かったか、と男達は膝をつき嘆き悲しんだ。

 先の凶事も、豊作の場も、村人ごと死しては終ぞわからぬ。

 果たして此の屍体が全て、此の村の者であるか如何かも定かではなく。


 其の刻——。


『合戦が起こる』

『合戦が、合戦が、合戦が』

『此度も、此度も』

って、って、って』


『件ノ如ク、云フトオリナリ』


 はらの底にずどんと響くやうな声で。

 くだんが、くだんが。

 ——死んでいたはずのくだんが首をもたげ、虚ろな口が動いた。



 驚愕し、叫ぶまいと口元に手をやりかけた男の、其の後ろで。

 日暮れの空気の中を轟き、裂くほどの悲鳴が上がった。

 恐怖に負け発狂したかのやうに。絶望のあまり、見境がなくなったか。

 其れとも何かに操られたか。

 男の一人が鎌を振り回し、ひとり、またひとりと。其の刃は更には、死しているはずのくだんへと振り下ろされ、振り下ろし——振り下ろされ。


 それきり、ごとりと。


 くだんの屍体も、男達も、誰ひとり動かなくなったと云ふ。





 べべん、とひとつ琵琶の音。


「遅ェんだよ、このあほんだらァ」


 遠く、霞みゆく視界の中。


 今際の際に、あの村の長は視た。

 何をしても開かなかった葛籠の蓋がかぱりと、いとも簡単に開いているのを。そう、まるで言葉を発するかのやうに。


 そして其処にはもうひとつ。


「おやまぁ、ワシ云いやしたのに『山向こうへは行きませぬよう』と」


 其処には——己が手を下したはずの、坊主の姿。

 咳に血が混じる。ひゅーひゅーと肺から空気の漏れる音の中、男な目を離せずにいた。


「化け物とは、果たしてどちらにござんしょう。人の噂も七十五日、此度の予言も、くだんが生まれたなんてェ噺も、其のうちすっかり消えてなくなりやしょうなァ」


 此れがお望みでございやしたか——?


 坊主の囁きに反応したか。


『因って件の如し』


 何処からか再びあの声が聞こえ。


 嗚呼此れは死だ、死に神だ。

 おれたちは死に神の忠告を聞かず、相次いで死を呼び込んでしまったのか。

 しかし、其処に至った刻には。男の目はもう何も映さなくなってしまっておった。




 くだんごとし、此の言葉はァ平安の世には既に存在しておったと云われておりやす。


 件は——古き世より存在しておったと云ふことでしょうか?

 一説によれば、人が愚かにも牛を辱め生まれたものが件、とも云われておりやす。その背景には、口減らしによりなかなか子を作れぬ者の鬱蒼とした澱みの狂情が、あったのかもしれませぬ。


 彼らは世を憂いたのか、其れとも。其のやうな事が起きる世がそもそも凶事だったのか——。


 何故、件は凶兆を告げると死してしまうと云われておるのか。


 ええ、そらァそうでしょう。

 凶兆を知り、逃れる術を知っているのは、己や其の周りの人間だけで良いと。

 欲深くそう思ふものは、人間意外と多いのでございやすよゥ。


 其の者共がくだんを奪い合い、もう予言をさせぬためにと殺し。

 噂に魅かれ、集まってきた次なる人間と争い、争い……。


 あとに残るは屍体の山、疫病穢れの坩堝るつぼにございやす。


 果たして、凶兆とは一体——どれであったのでございやしょうか。


 そもそも、「くだんが生まれた」と云ふ噂。

 人の足では敵わぬ疾さで、一体どうやって届いたのでございましょう。


 或いはそれもまた——くだんが人を試し、告げたものかもしれやせん。



 くだん。

 其れは実の処、凶兆の徴でも、化け物でもござんせん。


 只々、真実を告げておるだけにございやす。


 故に、くだんを化け物としてしまうのは。

 ——紛れもなくヒトの所業でございやしょう。


 くだんは生まれ堕ちるたび、其れを試しておるのかもしれやせんね。





 数年後、其の地では言葉通りの合戦が起き。何百と云ふ人間が命を落とす、まさに地獄のやうな場所と化してしまったそうである。


 後の世にて。くだんと云ふ存在が、歴史の表舞台にしかと記録されるやうになったのは。其処からさらに何百年と後の時代だと云ふ。


 然し、事実はわからぬ。


 若しかしたら今日も。

 何処かでくだんは生まれ、人知れず真実を。

 凶兆となるか否かを秤りながら、告げているかも知れぬのだから——。

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