マージナルマンの孤独

もちもち

***

 あなたの前には一台のノートパソコンがある。

 パソコンの画面には、一本の動画が表示されていた。

 画面には一人の青年が静止していた。俯いている─── というよりは、何か手元を見つめているらしい赤毛の青年の顔のアップだ。

 すらりと通った鼻筋に、角度のために伏せ気味となった切れ長のブルーグレーの双眸が映っている。

 あなたは彼を知っていた。なればこそ、「黙っていればイケメンなのにな」と思うことだろう。

 動画の進捗バーは開始よりも1センチほど満たされている。どうやら誰かが少しだけ再生しかけた状態となっているらしい。

 パソコンはあなたが所属する隊の共有端末だ。

 そのためあなたは特に気にすることなく、再生ボタンをクリックした。

 途端に、滑らかに青年は動き出す。


「どっちがいい」


 唐突に青年は尋ねた。あなたが不可解に思う隙も無く、すぐに画面の中で返事があった。


「くしゅくしゅふわふわ」

「よし」


 心得たとばかりに赤毛の青年は頷いた。

 返答の主が、ちらりと画面の端に映る。赤毛の青年と同じくらいの身長で、こちらは銀髪だった。

 そこで、動画の画面がぐっと引かれる。青年の背後も映し出された。室内だ。それほど広くはない部屋のようだが、あなたには見覚えが無い。

 カメラはもう一人を画面の内に収めた。

 彼がリクエストしたようなふわふわな銀髪が目を覆うように被っているのが特徴的だ。仕草から、赤毛の青年の手元を覗き込むように見ているようだ。

 しかし、画面は二人のバストアップまでで、手元は映されない。カメラの主が映したいのは彼らの作業ではなく、彼ら自身であるようだ。


『ちなみに、』


 画面の間近で声が聞こえた。

 あなたはその声にとても聞き覚えがある。


『もう一つはなんだったんだ』

「パンケーキの上にクリームを掛けてキャラメリゼにする。

 パンケーキ自体はもう一つに比べれば固めというか、食感がしっかりしている。

 見栄えを良くしたいので型で作る」


 赤毛の青年は丸いステンレスの型をひらひらと見せて答えた。

 ああ、と納得したように間近の声は頷いたらしい。


『パンケーキというから食事っぽいのかと思ったら、スイーツを作るのか。

 それはそれで旨そうだな』

「了解、隊長。各三枚だな」

『誰も作れとは言ってないのよ』

「隊長命令ならば仕方ない」

『どこの電波を受け取ったんだお前は』


 カメラ側の声の主は、あなたが所属する隊の、物理的にコンパクトな隊長である。(そうであれば、微妙に低いカメラの視点も納得だ)


「すふれ、ぱんけーき」


 完璧なマイペースで、銀髪の青年がゆっくりと口にする。

 良く言えばのんびりと緩やかに、悪く言えばやる気のない気怠そうな声だ。

 だが、画面のすぐ傍でふふ、と小さく笑う声が聞こえる。隊長の笑い方は、とても柔らかな声をしていた。


「Si, Si, まずはスフレパンケーキから作ろう」


 彼らはパンケーキを作るようだ。彼らは、というよりは、作っている人間は一人のようだが。

 赤毛の青年は笑いながら傍らの青年の肩をぽんぽんと叩く。

 そうして画面の方へ向ける嗤いは、傍らの青年に向けていたものと明らかに色が違う。

 ニヤニヤと皮肉気だ。


「質量があって無いようなものだ。お前でも三枚くらいは食べられる」

『各三枚って各人三枚ってことだったのか……

 質量があって無いというのは?』

「卵白をホイップして生地に混ぜるので見た目のボリュームに対して密度が低い。

 通常のパンケーキの一枚分を三枚に分けて焼く。

 そうなると、お前はこれから九枚のスフレパンケーキを食べることになるな」

『ことになるな、じゃないんだが』

「腕が鳴るな」

『収めて』


 丁々発止というには二人のテンションは凪いでいたが、第三者から聞いていると、なかなか息の合った掛け合いだなと、あなたは思ったかもしれない。

 画面は依然として二人のバストアップを映し、何やら作業を始めた赤毛の青年の手元は相変わらず見えない。あなたの隊の隊長は、(パンケーキの話題を振ったにしては)本当にパンケーキには興味が無いようだ。


 二人のやり取りの横で、銀髪の青年はやはりマイペースにフレームアウトした。

 それに気づいたカメラがそちらを振り返る。再びさっと画面に入って来た青年は、画面の方へ手を伸ばしていた。

「あ」とそれに気づいたカメラ隊長は、慌てて立ち上がったようで画面が大きく揺れた。青年の手を避けたのだ。

 カメラが再び銀髪の青年の顔を映すが、彼は目深な銀髪の奥でぱちぱちと瞬きをしている。


「にげた」

『二人を映したいので、今日はだめだ』

「きょうは」

「ついに、成人男性が成人男性の膝の上に乗せられるという事態を許容してしまったか」

『何を言っている確信犯どもめ』


 傍から聞くと理解し難いやり取りだったが、もしかしたらあなたは心当たりがあるかもしれない。


「てか、なんでどうが、とってるの」


 頭を傾けてのんびりと質問する青年。カメラ近くの声はやはり嬉しそうな声で答えた。


『いや、なんとなく、動画に残しておくのも楽しいなと』

「昨日の水鉄砲大会で撮ったのが楽しくてはまったのか」

「なにそれかわいいね」

『そうだ。俺はこれから毎晩二人の動画を眺めてにこにこする』

「お前の隊は隊長お前から性癖が歪んでいたか」


 ドン引きも明らかな顔で赤毛の青年はツッコミを入れるのだが、動画の近くの気配は一矢報いたかのように、そこはかとなく満足そうだ。

 あなたは少し前に隊で行われた水鉄砲大会のことを思い出した。そういえばあの時、隊長はずっと自分の携帯端末タブレットで撮影をしていたのを、あなたは見ている。

 動画はその後、今あなたが見ている共有端末で公開されたが、今の隊長の発言を考慮すると、撮影者である隊長の手元に原本があるのは確かで、毎夜再生している可能性もある。

 聞かなかったことにしよう、とあなたは心の中で頷いた。


 手を伸ばすのを諦めた銀髪の青年は、画面の斜め向かいに座った。その奥で赤毛の青年が、作業台の上で白い粉を篩に掛けているのが見える。

 二人が位置を前後したので、画面に奥行きが出た。自然と部屋の様子も広く映り込む。

 部屋に差しこむ光を見ると、時間帯は昼の早いころだろうか。

 白いクロスのためか、ほんのりと部屋が灯っているように見える。

 束の間、三人の会話が途切れた。

 淡々と手を動かす青年と、そちらをなんとなく見守る青年と。よく聞けば、何か音楽が掛かっているらしく、心地の良いメロディが画面の端から聞こえる。

 何も言葉が無く、誰も画面の方を見なければ、ここに第三の人間がいることに、あなたは気づかないかもしれない。

 静かに篩が終わり、卵を黄身と卵白に分けている作業に進んだところで、作業台から続くテーブルに突っ伏している銀髪の青年が不意に画面を振り返った。

 そうして、ぽつりと呟く。


「たいちょが、うつってない」

『そりゃ撮影してるからな』


 ふふ、と隊長は笑う。やはり青年の話し方を微笑ましい様子で見ているようだ。

 撮影者が映り込むことは無い。この画面において、ただ一人、不在を余儀なくされる。

 そういえば、水鉄砲大会も、隊長は終始カメラ役に徹していたのを、あなたは思い出した。

 青年は少し拗ねるように口を尖らせる。


「たいちょだけがいないなんて、いやだ」


 そう言うと、青年は白い手を画面の方へ伸ばした。

 掌が、画面を覆う。

 その暗い画面の中で、隊長が軽やかに笑う声が、あなたには聞こえたのだった。




【マージナルマンの孤独】






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