かじちゃん
三嶋悠希
第1話
見た目はとても中性的で、ある人は「可愛い娘さんですね」と褒め、ある人は「美青年な息子さんですね」と言います。前髪が重かったので、一層分からないのかも知れません。
二つ下の妹がいるのですが、身長があまり変わらないので、よく澪が下だと間違えられました。決して澪の身長が低いせいではなく、妹がすらっとした高身長だったからです。顔で性別が分からないのも、原因でした。近所のかき氷屋さんに一人で行った時、おばさんに「澪ちゃん、お姉ちゃんは来なかったのかい?」と言われました。澪はふたつも間違いを突きつけられて、少しもやっとしました。
小学校の時は、毎日いじめられていました。女みたいな名前だの、女々しい顔だのと、散々に罵られました。休み時間は、他の男の子は外でサッカーやドッジボールをしているというのに、澪は教室でひとり本を読んでいました。そもそも入れさせてもらえなかったのです。
中学校に入ってからも、相変わらず女の子と間違えられるくらいで、女子生徒には「可愛い」ともてはやされました。男子には「女子みたいだな」と言われました。でも、澪は苦笑いをするだけで、何も返しませんでした。
二学期が始まったぐらいのことです。澪を含めたクラスのみんなは、夏休み明けの一分間スピーチというものをしなければなりませんでした。「夏休みにしたことを自由に話してください」と担任の先生は言いました。
とうとう澪は、順番が回ってきたので、教壇の方へ向かいました。今まで発表のようなものをしたことがなかった澪の心臓は強く脈を打ち、両手にはべっとりと汗をかいていました。
澪はかき氷屋さんに行ったことを話そうとしました。
ですが、なぜか思うように口から言葉が出てこないのです。
「か、かかき、ご、ごご……りを、たた、べに、いっ、きき、き……まし、た」
澪は焦るあまり、さらに両手に汗を滴らせました。三十人いるクラスメイトには、くすくすと笑っている子も、不安そうに眉間に皺を寄せている子もいました。
先生は澪に「何をしているの?」という顔で針のように鋭い視線を向けてきました。澪は、先生が怖く感じました。
それでも何とか続けようとして「あっ、じ、じは、れ、もん……ででっ、した、おいし、かかっ、かっ、たた、たです」と言い終えると、先生は「もういいわ」とスピーチを止めました。
それ以来、澪は普段の生活でも上手く話せなくなりました。拍車をかける勢いで、みんなは近づかなくなりました。
澪のお母さんが、異常を感じて病院に連れていきました。お医者さんは「これは……吃音症ですね」と言いました。聞いたことがない病気でした。
お医者さんによると、薄々澪も勘づいていましたが、か行とた行と濁音が上手く発音出来なくなっているようでした。リハビリを繰り返しましたが、回復は見られませんでした。
ある冬の日、澪が学校へ行こうとすると、家の前に薄茶色をした小さなリスがいました。この時期は冬眠しているイメージだったので、澪は驚きました。どこから拾ってきたのか、
リスは澪に気づくと、逃げてしまうと思いきや、首を少し傾けて不思議そうに見つめ返してきました。尻尾がくるんと弧を描いており、それは顔よりも高いところまで伸びていました。澪は、くりくりとしたリスの目が可愛くて、その場に立ち尽くしていました。
すると、リスが澪の方に近づいてきて、柘榴を分けてくれました。澪が物欲しそうに見ていると思ったのでしょうか。
「これ、くれるの?」と澪は目で聞いてみます。リスは澪の足元に柘榴を置いてくれました。
澪がしゃがみこんで受け取ると、駆け足で近くの木々に走り去ってしまいました。
澪はその日を幸せな気分で過ごしました。
次の日、玄関のドアを開けると、黄色いパンジーを両手に添えて、リスが座っていました。まるで澪を待っていたかのようです。
リスはくんくんとパンジーの匂いを確かめて、ひとかじりした後、それを地面にぽいっと吹き出しました。
次の瞬間、澪の方をしばし見つめてから、驚いたことに、猛スピードで澪のスラックスに飛びつき、肩の上に乗ってきました。
澪は「わわっ」と声を出し、右肩に乗っかってきたリスを目で追いました。
突き出た丸いお鼻をひくひく動かして、しきりに辺りを見渡していました。
「どうしたの……?」
澪はリスに聞いてみました。
ですが、目を合わせるだけで、リスは何も答えてくれません。
「僕、学校に行かないといけないんだけど……」
澪がそう言うと、何かを察したように、リスは下へ飛び降り、器用に着地しました。それから、さきほどのパンジーをまたもかじり、ぺっ、と捨てました。澪はリスを「かじちゃん」と呼ぶことにしました。
澪はかじちゃんが可愛くて仕方がなかったのですが、このままだと学校に遅れるので、家を後にしました。
そこで一歩踏み出して、澪は、はっとしました。かじちゃんに向かって、詰まることなく話しかけていた自身に気づいたのです。それも、一度も噛まずにです。
澪はさっきの出来事を噛み締めながら、スキップをして学校へ行きました。
*
帰って来た時、かじちゃんが家の前で寒そうに震えていたので、右腕を前に持っていき、かじちゃんを肩に
それから、寒そうにするかじちゃんのために、お風呂場で床にお湯をまいてあげると、背中を
澪はかじちゃんを両手でそっと抱えあげて、暖房の効く自分の部屋に連れて行ってあげました。
かじちゃんはベッドの上ですやすやと寝息を立てています。冷えた空気が通ってしまうのは承知の上、かじちゃんが帰れるように窓を僅かに開けておくことにしました。
澪は「どうしてここに来たの?」「寒くない? 大丈夫?」と寝ているかじちゃんに問いかけます。もちろん返事はありません。ですが、かじちゃんを見ていると、心の底から湧いてくる安心感が胸を温めてくれて、澪はとても癒されました。言葉が、すらすらと出てくるのです。
やがて、澪も、かじちゃんの隣でそのまま寝てしまいました。起きた時には、かじちゃんはいませんでした。わざわざ窓から入り直したのか、枕元にどんぐりが一つ、置かれていました。澪は、かじちゃんの感謝の気持ちだと思って、かじちゃんからの贈り物を、そっと握りました。冷えていたけれど、どこか温もりを感じました。
それからというもの、かじちゃんは時々ですが、家に訪ねてくるようになりました。
その度に、かじちゃんは、ある時は松ぼっくり、ある時はマーガレットの花の
こうして二人は固い絆を築き上げていきました。かじちゃんは、澪が何かを話し出そうとすると、その澄んだ目を向けたままその時を待ってくれました。それはどんなものよりも澪の心を落ち着かせ、澪は何度もかじちゃんと会話しました。少しずつ、日常生活でも言葉を紡げるようになりました。澪にとって、かじちゃんは唯一の友だちであり、パートナーでした。
とうとう卒業まで残り二ヶ月ぐらいになった時、学校で大規模な発表会がありました。一年間グループにわかれて探究してきた事柄を、クラスの前で資料を使いながら話すのです。
澪は、五つあるグループの一番最後の班で、しかもラストプレゼンターでした。
前の人が終わり、ついに澪の番です。
ふーっと深呼吸をして、澪は先頭へ行きました。
班の子たちが、固唾を飲んで見守っているのが分かります。
澪は、右手の拳を強く握りました。
──絶対、成功させる。
固い意志を持ちました。もう、汗はかいていません。
しかし、澪は途中で詰まってしまいました。
「ぼ、ぼくっ、く、たたち、の、け、けけ、つっ、ろん、はっ」
澪は悔しくてたまりませんでした。
ふと窓の方を見ると、そこにはかじちゃんがいました。両手には、いつかのようにかじられたパンジーがあります。
澪には、澪の発表を応援してくれているように感じました。
かじちゃんの優しい想いが届き、澪はそっと目を瞑りました。右手で、胸に手を当てました。どくんどくんと荒波のように脈打っていた心臓の音は、すぐに安らかな響きを奏で始めました。
──かじちゃん、ありがとう。もう、大丈夫。
その後、澪が言葉に詰まることはありませんでした。みんなは、夢でも見たかのような驚いた顔をしていました。
最後に、先生が最優秀プレゼンターを選びました──選ばれたのは、澪でした。
「途中から、力強い迫力を感じたわ。心にくるものがあった……本当に素晴らしかった」と賞賛してくれました。
発表が終わってからの学校生活は、残り少ししかなかったけれど、澪にとって大変充実したものとなりました。
みんな口々に声をかけてくれました。澪も、吃音がなくなって普通に話せるようになり、実は家がご近所だったらしい友達も出来ました。女子みたいと言われることもなくなり、謎に「癒し系イケメン」と裏で呼ばれるようになりました。
それからというもの、かじちゃんが部屋に来ることはなくなりました。本格的に冬眠をしているのか、どこかへ行ってしまったのか、分かりません。
でも、澪はかじちゃんとした会話を忘れることはありませんでした。あの時のどんぐりと松ぼっくりは、今も机の隅に飾られています。
かじちゃん 三嶋悠希 @mis1031
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