出稼ぎ魔王は早く倒してほしい

うまうま

へっぽこ女神

 長かった。

 神になってから数えても長かった。

 と言っても新米だからそんなに生きて(存在して?)ないけど。


 誰もいない薄暗い玉座の間で頬杖をついて息を吐く。

 現在私は神になってから何かとお世話になっている女神様の世界に魔王として出稼ぎに来ている。


 魔王だとか出稼ぎだとか意味がわからないと思うが、その辺についてはまず私の生い立ちから語りたい。


 私は日本生まれの純正日本人で平凡で凡庸な絵に描いたようなどノーマルの一般人で、週三バイトを入れながら大学に通うどこにでもいる学生だった。

 両親は共働きだったが、兄弟が三人いて三人とも大学に通っていたのでそこそこお金がカツカツで、自分のお小遣いとケータイ代は自分で稼ぐのがうちのルールだった。大学ともなれば交友関係も広がり、金銭面でも出費が増える。時期も二年に上がったばかりで新入部員を募集する季節。先輩という立場になると何かと物入りだ。なので週三から週四にバイトを増やそうかと思案していた頃の事。

 その日もいつもと変わらずバイト先に向かう途中だった。突然、気がついたら無音の中、真っ黒な男に頭を鷲掴みにされていたのだ。

 電車に乗っていたはずなのに他の乗客の姿はなく、電車の座席もつり革もなく、それどころか電車の車内でもなく、何も無い闇の中にその男と二人だけだった。

 男はゲームに出て来そうな神官騎士のような黒い服装をしており、よく見れば銃や剣といった物騒なものが腰に下がっていた。

 一言で言って、やばい人。それだった。

 うねる黒髪の隙間から煌々と光る赤い目がこちらを見ていて、私は男の不気味な空気に呑まれて一言も発する事が出来ず、状況に対する疑問を抱く事も出来ず、ただただ硬直していた。

 何秒、何分そうしていたかわからないが、やばい人は妙に青白い顔を奇妙な笑みに染めて、ラルペティリアと呟くと私を無造作に投げ捨てた。

 衝撃と痛みを覚悟した私はだけど、柔らかなものに落ちていた。そこには黒いシスターのような格好をした女性がいて、能面のような顔で女神様と呼びかけられたのだ。

 その時私の頭に浮かんだのは、


一、誘拐

二、ドッキリ

三、ファンタジーに出てくる転移ものの何か

四、ファンタジーに出てくる転生ものの何か


 の、四つ。

 結論から言って、一番近いのは四だった。

 シスターっぽい女性に話を聞いたところ私はその世界を作った神に、この世界を任された神になったというのだ。

 鏡を見れば大学に入ってから茶髪に染めていた筈の髪の毛が真っ白で、眉毛もまつ毛も、なんなら体毛までもが真っ白になっていた。

 その姿を見れば誘拐、ドッキリではないと理解するしかなく、だけどいきなりあなたは神様ですと言われても、なるほどそうなのか、じゃあ頑張るわとはなれなかった。当たり前だが、私に神様としての活動歴があるわけではないし人間歴だって二十程度しかないのに、どうしていきなり出来ようか。そもそもなんでやらなくちゃならないのか。

 シスターっぽい人は問いには答えてくれるけど、わからない事はわからないとしか言わず、私が元の世界に帰りたいと言っても、わかりかねますという音声を繰り返すだけの機械になっていた。

 歓迎しているようなムードでもなく、私は早々にめそめそと泣いた。家に帰りたいと泣いた。

 そこを助けてくれたのが、今回もお世話になっている愛と美の女神のリンディルマ様だった。

 リンディルマ様は私が送り込まれた世界とはまた別の世界を担当する神様だったのだが、位相が近かったため新しい神の気配に様子を伺っていたらしい。

 神にされてしまった事も受け入れられなかった私に一つ一つ神とはどういう存在なのか教えてくれて、それから力の使い方や世界の管理方法を教えてくれて、人間に戻る事はどうあっても叶わないと現実を教えてくれて……戸惑いながらも私の神様業は始まった。

 そうやって始まった神様業なのだが、やればやるだけ任された世界がまずい事がわかったのだ。

 前任者がどういうつもりでその世界を作ったのか知らないが、世界に必要な要素を産生する機能が著しく低くてそのまま何もせずにいれば世界ごと崩壊する未来が待っていた。

 その要素というのが魔素で、地球で例えると原子に近いものだ。世界を構成する物質全てが魔素で出来ているわけではないが、それでも常時必要でしかも質量保存の法則なんて無視して消費されてしまう類のものだったのだ。

 その段階になってやっと彼らの視点で考える事が出来たのだが、そんな世界を創った前任者の神は人の平穏を望む願いなんて聞く耳持たずの無茶苦茶ばかりしており、そんな世界では生きる希望を見出す事も難しく、その神が後任として送り込んできた私も同様に信用のならない神だったのだ。

 こっちだっていきなり無理矢理やらされる事になった神様業なのだが、そこに住む人みんな死んでしまうとなると渋々やっている場合ではなかった。かと言って、私は生まれたての新米。神格は当然最低ランクで魔素を生み出す機能を作り出す事も出来ない。

 それでもとにかく頑張った。いろいろやりくりして調整して均衡を保てるように頑張ったけどどうしても足りなくて、苦肉の策で他の世界から融通してもらう事にしたのだ。その最初の相手もリンディルマ様だった。

 初めは世界を管理するお手伝いをしていた。そうやって魔素を対価にいただき自分の担当する世界へ持ち帰っていた。

 リンディルマ様の紹介で別の神様のところにもお邪魔してお手伝いしてという事を繰り返しているとき、ある神様に言われたのだ。魔王役をやってもらえないか?と。

 意図としては人同士が争うので共通の敵を作り融和のきっかけ作りをしたいというものだった。それから危機的状況で人が縋る信仰心もついでに確保しようというちょっとせこいものでもあった。

 マッチポンプじゃないかと思ったものの、魔素を譲ってもらっている側としては指摘するのも憚られて魔王役を引き受ける事になった。

 それからというもの、神様ネットワークで魔王がいい信仰心集めになると広がったのか、頼まれる仕事はそればかりとなった。

 リンディルマ様もどこで聞いたのかこの話を持ちかけてきて――リンディルマ様の場合そんなせこい事しなくても人々から深く信仰されているのにと思うが、お世話になっている相手なので快く引き受けたのがこれまでの経緯だ。


 いつも通りの魔王業だと、やれもっと人を窮地に陥れろとか、やり方が手ぬるいとか言われて細かく指示され心が死にそうになるが、リンディルマ様の場合、勇者と戦うのは魔王城でという条件だけ守ればあとは好きなようにやらせてくれた。これはかなり気が楽だった。虐殺とか平和な日本製の私にはきついのだ。毎回毎回なんだかんだ逃げ道を作って被害を減らしてきたが、それでもゼロではない。その事実はずっと私の中に残り続けている。


 その点はすごく良かったのだが、リンディルマ様の世界の勇者は大きな問題があった。

 一言で言うと、遅い。

 かれこれ十年、私は待ち続けていた。

 リンディルマ様との契約では、その勇者の剣に貫かれたらお仕事終了で魔素が受け渡される手筈となっているので、彼に魔王を倒してもらわなければならないのだ。

 だというのにこの勇者、出立自体は私が魔王として国々に宣戦布告した直後と言ってもいいぐらいに早かったくせに、問題が起きている場所でその問題を解決するまで動かないのだ。

 私が操作している魔物が問題ならすぐに解決して進めさせる事もできるのだが、問題が水不足とか食糧不足とか、風土病とかになってくるとそうもいかず年単位で動かない。

 それ勇者の仕事じゃないでしょ!?と叫んだのは数知れず。勇者の仲間の騎士とか聖女とか魔法使いが勇者を説得しているのを応援したのも数知れず。それでも譲らない勇者に仕方がないから変装して水脈を探し当てたり、寒さに強い植物の品種改良を手伝ったり、風土病の原因を特定して薬を使ったり。時には救えない命に病みそうになる勇者を励ましたり。そうやってどうにかこうにか勇者を動かして引き寄せて、苦節十年。いくら私の世界と時間軸をずらしているとはいえ、私の世界でも一年は経過している頃だ。

 私が魔素を持ち帰るようになってから段々とみんな無気力から脱して一緒に世界を保たせるために協力してくれるようになったが、核である私が長く世界を離れると不安定になる確率は高い。

 気になっても一度始めた魔王業を途中で止める事は出来ないから、心配でたまらなかった。


 だがもうそれも今日で終わる。とうとう勇者がここまでやってきたのだ。無事に勇者の剣で貫かれたらお役御免。報酬の魔素を貰って早く私の世界に帰らねば。


 ぎ…ぎぎ……


 玉座の間の、RPGを模して作った暗い広間の大きな扉がゆっくりと開く。


 現れたのは蒼銀の鎧を纏った輝かしいかんばせの勇者。銀色の髪は薄暗い中でもこの世界の神、リンディルマ様の祝福を得てキラキラしている。

 すっきりとした目元に形のいい鼻筋。笑うとえくぼが出来る頬は、今は緊張のためか微かに強張っている。彼は巷では女神の加護を得た鎧にちなんで蒼銀の勇者と呼ばれている。個人的には金色の目の方が綺麗だと思うけど。まぁリンディルマ様は私なんか足元にも及ばない神格の神なので、勇者みたいなに対する批評は慎む。いろんな魔王をやってきて身につけた処世術の一つだ。勇者は神のお気に入り。口出し厳禁。これ鉄則。


 少し視線をずらして勇者の後ろを見れば屈強な身体の騎士(ただし全盛期を過ぎた中年)の姿に、たおやかな風情のやさしげな聖女(ただし婚期を大幅に越して焦りを覚えている成人女性)。そして全身すっぽりと覆うローブを着たこの世界屈指の魔法使い(ただし老齢の域に差し掛かり腰痛に悩まされている)がいた。

 二十代後半の勇者はともかく後ろの三人は不憫だ。十年前ならもっと溌剌とやってきてくれただろうが、若さゆえの突撃もなく粛々と城を進む姿はこの十年の苦労を思い起こさせた。言葉を交わした事は一度もないが、ある意味勇者を前進させるため頑張ってきた同士だ。よくここまで匙を投げずに連れてきてくれたと本当に感謝している。


「お前が魔王か」


 形のいい唇から紡がれた流麗な声で回想から我に返る。

 いけないいけない。魔王役をしっかりやらねば。

 玉座から見下すように顎を上げ、蔑むような笑みを浮かべる。


「クックック………とうとうここまでやってきたか。待ちくたびれたぞ勇者」


 本当に。とても待ちくたびれた。まさか十年も掛かるなんて思いもしなかった。

 勇者は一歩前に出ると真っ直ぐにこちらを見て言った。


「お前が魔王だというのなら、話がある」


 あ。


 剣の柄にも手をかけず言った勇者のセリフに、私を含め後ろの三人も全く同じ危惧をしたと思う。魔王にもか、と。


「ふ、ふははははははっ!! 話がある!? 勇者がこの私に!?」


 咄嗟に大声出して勇者のセリフをキャンセル!


「そうだ! お前は」


 だが勇者も負けじと声を張り上げてきた!


「笑わせる! 魔の塊である私に神の使徒である勇者が話などと!」


 喋らせないよ!


「そんな事は関係ない! 俺は」

「問答無用!」


 この勇者、あんまり遅いので私の神獣ペットのクロ、シロ、タマを嗾けたら説得して懐柔しようとしてきたのだ。名前はあれだが、どの子も凶悪な見た目にしているので他の世界の勇者は問題なく敵対してきた。なのに、だ。

 この勇者がうちの子の説得に費やした時間はそれぞれ三ヶ月。毎日毎日美味しそうな食べものを持参して、本当に懐柔されそうになって慌てて私の世界に戻す羽目になった。

 まぁあの子たちはもともと気性が穏やかで、こんな私の手助けをしてくれる優しい子だから、勇者の仲良くしようという思いに絆されても仕方がない。あそこまでしつこくされたら拒絶し続けるのも疲れるだろう。うちの世界にない甘いお菓子に夢中になったとかじゃない筈だ。きっと。


 そういう前科があるので、魔王相手でも説得を試みるつもりだと即座にわかった。

 普通に考えて説得が通じるような相手(真っ青な肌色におどろおどろしい血のような目。顔は鬼人をベースとした迫力のある見た目で頭からは捻れたツノが二本生えている)ではないとわかりそうなものだが、この勇者ならやる。新聞配達のように毎日毎日ぴたりと同時刻に日参するようになる。

 その根性に正直頭は下がるが、私は剣で貫いてもらわないとお仕事完了出来ないので平行線を辿るしかないのだ。そんなの時間がもったいない。とにかくもう私としては一分一秒でも早く戻りたいのだ。


 黒い衝撃波を放てば聖女が印を切ってそれを防ぎ、そこから魔法使いが炎を放ってきたので城が壊れてみんなが怪我しないように風で包んで打ち払う。そして炎を隠れ蓑に接近した騎士を黒い蔦で巻き取って縛り上げた。


「っぐ……ぅ」

「ローレンス!」


 この騎士は結構な力があるので生半可な拘束ではすぐに解かれてしまう。だから少々苦しいだろうがちょっと我慢してもらう。


 玉座からゆったりと立ち上がり、口の端を上げて捕まえた騎士を見上げる。


「さて、一匹。始末するのも容易いが………そうだな。勇者よ。お前が一人で私に立ち向かうと言うなら他の奴は見逃してやってもいいぞ?」

「駄目ですアベル! 聞いては駄目!」

「エナの言う通りだ、話を聞くな!」


 焦った顔で勇者を止める聖女と魔法使い。だけど無駄だ。この勇者はこう言えば必ず乗ってくる。


「……わかった」


 ほらね。伊達に十年も付き合ってない。

 ようやく剣の柄に手をかけて、私の前へと進み出た勇者。


「俺が相手をする。ローレンスを離してくれ」


 馬鹿正直にそんな事を言う勇者を内心、本当にこの十年変わらないよね、なんて思いながら騎士を聖女と魔法使いのところに投げ飛ばす。そしてすぐに私と勇者を包む結界を張って邪魔が入らないようにした。

 本当なら城に設置した罠で勇者だけになるようしたかったのだが、前述の通り十年の月日がそれを阻んだ。


 シャラと鞘鳴りと共に現れた刀身は白い輝きに溢れていて、勇者の姿と相まって本当に美しかった。この世界の神、リンディルマ様は美しいものが好きだからその趣味が遺憾無く発揮されている。


 勇者にしか抜けない剣を抜かせれば後は楽勝だ。自分から刺されに行っても問題ないので、一足飛びに勇者に接近してその刀身に見えない蔦を絡ませ自分の腹へと向ける。

 ちなみにこの身体は仮初だ。本体はもちろん自分の世界で眠りについているので剣で刺そうが何しようが痛くとも何ともない。


「やっぱりそうだ……」


 さあ帰るぞ!と意気込んだ時、予想以上の力で剣が引かれ、気づけば天井をバックにする勇者を見上げていた。


 あ? え?


 腐っても私は神だ。人間の動きが見えないなんて事はないし、力でも負ける事はない。

 ないはずなのに、なぜか仰向けで勇者に乗られていた。


「セルシア、メリー、アリアナ、クラリス、リリー、チェルシー、ダイアナ、エラ」

「っ!?」


 囁かれた言葉に瞠目すれば、勇者の金色の目が輝いた。


「やっぱり、貴女だ」


 これまで私が変装して近づいた時の名前を挙げた勇者は、何故か嬉しげに笑っていた。そしてその金色の目の中に、さらに虹色に輝く力を見つけ私は驚愕した。


 り……リンディルマ様!? 何てものを勇者につけてるんです!!?


 そこにあったのは神の目。この世界の全てどころか、他の世界すら見通す高い神格のリンディルマ様の力の欠けらがそこに埋め込まれていた。

 下手したら私の正体もバレると咄嗟に精神体を深くに隠したが、勇者の笑みは変わらない。


「ずっと、ずっと探していた」


 見られるのは不味いと蔦で勇者を絡め取ろうとするが、剣の一振りでバラバラにされる。だけどその隙に弾き飛ばせればと衝撃波を放つ。が、がっちりと私の腰を足で挟む勇者は軽くのけぞっただけで、再び覆いかぶさってきた。


 ひぃぃ!


 銀髪を縛っていた紐が切れて髪が乱れランランと光る目が至近距離に迫り、喉元まで出かかった悲鳴を飲み込みなんとか睨み返す。


「何故こんな事を? 貴女はこんな事望んで無いはずだ」

「よ、世迷い言を! 我は魔王! 全ては我が望み! 勇者ならばさっさと我を倒してみよ!」


 という役なので早く刺して!お願いします!


「ずっと違和感だった。起こる厄災に対しての被害の少なさ。タイミングを見計らったような引き際。そして貴女は私が困っていれば必ず現れた」


 冷静に話す勇者の手に握られた剣に手を伸ばすが、膝に手首を押さえられもう片方の手も握り込まれて阻まれる。


「離せ!」

「離せば話を聞いてもらえない」

「我に触れるな穢らわしい!」

清潔クリーン。これでいいか?」

「そういう事じゃない!あ、こら触るな!」

「何でこんなものを纏っているんだ」

「やめろ!」


 結界の外側で、成り行きを見ていた三人が「なんか勇者が魔王を襲ってないか?」とか「これは成人指定の場面なのかしら」とか「勇者はそっちの気があったのか。道理で女子に興味が」とか「あいつあんなに強かったっけ?」とか「魔王泣いてない?」とか「しかしまさか魔王が相手とは……さすが勇者と言うべきか」とか好き勝手に言っている。


 そんな事言ってないで助けて!早く私を倒すように言って!

 あっ!こら!何で剣を放り投げるの!くっ!何でこんな馬鹿力に……!


 揉み合っている最中も蔦やら衝撃波やら炎や氷や思いつく限りの攻撃をしているのだが、それを金色の風で全部相殺してくる勇者。


 いつの間にそんな力が使えるようになったの!?ずっと見てたけど知らないよ!?


 べりっ


 魔王用にと作った黒い服が肩口から引き裂かれる。

 今の私は男型の魔王の姿だ。防護用に作ってある服を引き裂かれたのは驚くが、別にだからといって青い不気味な肌面積が広がるだけだ。そのはずだった。


「げっ」


 勇者の手を掴んで押しとどめた視界の端、そこに溢れた白い自分の神気を認めて素の声が出た。

 肩が、何故か青い肌ではなく、貧相な細い本体の形のそれが、剥き出しになっていた。

 その瞬間、勇者が花が咲くような満面の笑みを見せた。


「ほら、貴女は魔王なんて存在じゃない」

 まずいまずいまずいまずい!!


 魔王業二十七回目。最大にして初めてのピンチに私は盛大に焦った。

 バレたら魔素をもらう契約がご破産。ここまで来てそんな事は避けたかった。

 なけなしの神気を最大限使って勇者を弾き飛ばし、すぐさま禿げた外装を纏い直し勇者の剣を拾い上げ己の腹に突き刺さ――そうとして、弾き飛ばした筈の勇者が柄を掴んでいて拮抗した。


「邪魔するな!」 

「待って! 話を聞いてくれ!」


 負けてなるものか……! 私がこの日のためにどれだけ頑張って来たかっ!!


「私を倒すのがお前の使命だろう!」

「話を!話をさせてくれ!」

「話し合いで解決したら世の中魔王なんて必要ないのよ!」

「どういう意味だ!?」

「どうでもいいからさっさと刺して!」

「嫌だ!貴女を刺すなんて!」


 ギリギリと神の端くれである私に拮抗する勇者。

 私は刀身を掴み、勇者は柄を掴み一歩も引かない。


「ねぇ、あれ何かおかしくないかしら?」

「だよなぁ。俺たち魔王を倒しに来たはずだよな」

「若いといろいろな愛の形があるとわからんか」

「いやネルサン。さすがにそれは……そもそも初対面だろ」


 外野ーー!呑気に観察してないで勇者を説得してーー!! 

 っもうこうなったら……!


 残していた最後の神気を力に変え、気合一発刀身を引き寄せる!


「っぁあああ!!」

「やめろ!」


 みんなが待ってるの!!


 こんな所で仕事失敗して苦しめるわけにはいかない。体裁なんか構ってる場合では無い。不自然な自殺だと思われようと何だろうと契約解除される前にやらねばならない。

 渾身の力を振り絞って、勇者が引き戻そうとする剣を引き寄せ、腹に突き刺す。

 その瞬間、ぽーん、と気の抜けるような音が響いてぶわっと私の中に報酬の魔素が溢れた。


 よっしゃあ!

 これでもう帰っていい!


 すぐさま時空を開いて纏っていた肉体を放り捨て飛び込む。


「待ってくれ!」

「っぅえ!?」


 飛び込んだら勇者まで飛び込んできて腰に抱きつかれた。


「ちょっ、ちょっと離して!」


 なんでこの勇者精神体の私に触れるの!?


 ぐいぐい頭を掴んで引き剥がそうとするが、まったくもって離れない。そうこうするうちに時空が歪みだして慌てて私の世界へ行くしか無くて――すぽーん、と元の世界に戻ってきた途端、私は本体へと引き寄せられてパチリと目を開けた。


「女神様? お目覚めになられたのです――っきゃあああ!? 誰ですか!!?」


 私の巫女が気配に気付いて来てくれたが、彼女は私の腰にへばりつく勇者を見て盛大な叫び声を上げた。だが私はそれどころじゃなかった。


「やばいやばいやばいやばい」


 動揺したまま勇者引き剥がそうとするが、まじで剥がれない。

 精神体と肉体の繋がりを追ってまでくるとか何なんだ!?勇者ってそんな事まで出来るの!?


「やっと本当の貴女に会えた……」


 どことなく溶けたような目をして呟く勇者の頭を掴んで押し退けるが全くもってびくともしない。神気をほとんど使い果たして絶賛只人に近い状態の私ではどうにもこうにもならなくて泣きそうになる。


「ちょっと!不味いんだってば!いい加減離して!」


 耐えかねて叫べば、勇者は首を傾げた。


「離したら貴女は消えるだろ?」

「消えない!もう消えようがないから!」

「本当に?」

「本当に!」

「絶対?」

「名に誓って無理だから!」

「名前なんて言うんだ?」

「ラルペティリア!」

「らるぺ、てぃりあ……ラルペティリア……」

「ああどうしよ!もう絶対リンディルマ様怒ってる!勇者なんて趣味嗜好が凝り集まったもの連れて来ちゃったとか激怒される!」


 いくら穏便なリンディルマ様でもお気に入りを勝手に連れていかれたら腹を立てるだろう。魔王の中身がバレて魔素が貰えなくなるとか言ってるレベルの話じゃない。

 返さなきゃだけど、他の世界と穴をつなげるのは許可もらってからじゃ無いと侵略と見做されて裁判に掛けられるし……かと言って馬鹿正直に連れて来ちゃいましたとか言ったらぶち殺されそうな気がする……

 ……やばい。泣きそう。十年も頑張ってきたのに……


「ごめん、ティルル、私消滅するかも。へっぽこなのに今まで支えてくれてありがとう」


 いつも頑張ってくれてる巫女のティルルにせめてもの感謝を捧げれば、いきなり固い腕に拘束された。


「消えないと言ったじゃないか!」

「む、無理だもん!リンディルマ様絶対怒ってる!神格違いすぎるから怒りに触れただけで私なんか存在ごと吹っ飛ぶもん!」


 混乱の極みで幼児化している事は置いといて。

 口に出したらもうその未来しか見えなくて、今までの苦労とかみんなと頑張ってこの世界をここまで立て直してきた事とかいろいろ頭に浮かんで、だばーと涙になって溢れた。


「リンディルマ様? 何故リンディルマ様が怒るんだ」

「貴方を連れて来ちゃったからでしょう!?」

「俺?」

「うわーん!ここまで頑張って来たのにー!」

「女神様!!」


 重なる足音がして、寝所に騎士たちが踏み込んできた。


「この者です!早く捕まえてください!」

「ティルルー!ごめん私ミスった!消えちゃったらごめん!」

「何をおっしゃるんですか!縁起でも無い事言わないでください!」


 勇者を捕まえようとする騎士たちと、私に彼らを近づかせないように威嚇する勇者と、お先真っ暗で泣き言しか言わない私で場は乱れた。



 結局ティルルの一喝で何があったのかを一から話すことになったのだが……


「……なるほど。それで誤って……というか、無理矢理この男がついて来たのですね?」


 巫女のティルルと神官長のオサナ、それから騎士長のブーケンと問題の勇者で話をしている。

 勇者は捕まえようとみんな頑張ったのだが、誰も勝てなかったので止むを得ずだ。さすがリンディルマ様の勇者。本物の神の加護を持ってるだけに強い。みんなへっぽこな神の加護しかなくてごめんよ……


「……うん。お役御免で道をつなげて帰るだけだったのに、飛び込んできたの。それで道も不安定になっちゃって慌てて帰るしかなかったんだけど……」

「でしたら、女神様は悪くありません。すぐにあちらの神にご連絡してくださいませ」


 キッパリというティルルに私は手を膝の上でもじもじとこねた。


「え……と、でも、でもね?勇者って大抵その世界の神の趣味の集大成みたいなものなの。つまりお気に入りなのよ?それを理由はどうあれ連れて来ちゃったら奪われたと思われても仕方がないっていうか……」

「不可抗力でさえも咎めるというのならばそれはもう邪神でありましょう」

「ティルルー!やめて!ほんとやめて!ティルルが消されちゃうから!私じゃ守りきれないんだって!」


 私の味方をしてくれるティルルは嬉しいがこんな事聞かれてたらシャレにならない。指先一つ、いや思考一つで消される。


「俺が問題だというなら俺にもリンディルマ様と話をさせてくれ。けしてラルペティリアが俺を連れて来たわけではないと話す」

「本当に!?本当にそう言ってくれる!?」


 その手があったか!と、勇者の手を握れば照れたような顔で頷かれた。何故照れる。


「ちょっとあなたうちの女神様を呼び捨てにしないでくれますか」

「この世界ではそうかもしれないが俺の世界では女神ではなかったからな」


 機嫌の悪そうなティルルの声に、勇者も笑顔を引っ込めて平坦に返した。


「だったらとっととお帰りくださりませ。誰のせいでこれほど女神様が心を乱されていると思うのです」

「俺のせいだとすると心苦しいな。そこは謝罪する」

「っそこで素直に謝ったところで」

「だが、俺の存在が心を動かしていると思うと……正直なところそそられる」


 ぞわっとした。何かはわからないが、なにかゾワっとした。


「ギルティー!!ブーケン殿!鉄槌を!」


 くわっ!と鬼の形相で勇者に指を突きつけたティルルだが、同じテーブルに座って四角いビスケットをぽりぽり食べてる騎士長のブーケンはのんびりと答えた。


「いやぁ私じゃあ役不足ですねぇ。確実にこちらの方の方が加護が強いですから。というか加護と言うには強すぎるような……」

「だいたいあなた!何故女神様を膝に乗せているのです!」


 ああうん。それは私も思ってた。情報共有のために部屋にあるテーブルに着こうとしたら流れるように腰を引かれてここへ着席。一応抗議しようとしたが、輝く金色の目を見たらすぐさま逸らしたくなって前を向いて今に至る。

 ちらっと見るぐらいならいいのだが、正面からじっと見られるとリンディルマ様の力のせいか妙な迫力があって怖いのだ。しかもだんだんそれが強くなっている気がして。


「何故?すぐに逃げようとするからだが」


 これ拘束のつもりだったんだ……


「だまらっしゃい!うらやまけしからんことを目の前で見せつけて何様のつもりです!?」


 あの、ティルル?うらやまけしからんとはどういう……


「女神様はうちの女神様です!ちょっとドジでへっぽこで頼りなくて泣き虫で情けないところもありますけど必死で私達のために魔素を稼いできて一緒に知恵を絞って心を砕いてくださる私たちの大切な女神様なのです!どこの馬の骨ともつかないぽっとでの消耗品勇者が気安く触れるなっつってんですよ!」


 う、嬉しいようなけちょんけちょんに貶されて泣きたいような……


「ああそれは理解できる。ラルペティリアは困っているといつも現れて共に悩んで苦労しながらも解決するまで必ず付き合ってくれたからな」

「それは!そちらの世界の神との契約あってのことです!女神様は私たちを一番に考えて苦労を厭わず動いて下さっているのです!」

「時には私の悩みを親身になって聞いてくれて、失敗は誰にでもある、うまくいくことの方が少ないと自分の失敗した話を山と聞かせてくれて。その失敗がまた可愛らしくて」

「当然です!女神様は子供でも気づくようなことに気づかず後で気づいてベッドの上で転げ回るようなお方です!素直で純粋でお馬鹿で抜けてて可愛らしい方なのです!」

「オサナァ……ティルルがディスってくるぅ……」


 神官長に手を伸ばせば後ろから伸びた手に握り込まれ、振り向けばえくぼの浮かんだ笑顔が。なんでそんな笑顔を向けられるのか分からずただその目の輝きが怖くて視線を外す。


「まぁまぁティルル、落ち着いて。

 今は先にあちらの神に事情を説明するのが先でしょう。女神様、あちらの神は戦いの属性ではないのですよね?」

「え?うん。愛と美の女神様だから戦い関連の神じゃないよ」

「でしたらそう心配される事もないでしょう。私どももついておりますから連絡を取っていただけますか?」


 私どももと言っているが、オサナのこの言葉は何かあれば一緒に罰を受けると言っている事と同義だ。へっぽこな私を支えてくれている大事な人をみすみす危険に晒すわけにはいかない。

 怖いが、ぐっと手を握り……いやあの、勇者あなたの手を握ったわけでは。

 すりすりと長い指に手の甲を撫でられて、なんだか落ち着かない。筋肉質な固い膝の上に乗っかっているのも居心地が悪いし……

 いや、そんな事を気にしている場合ではないか。


 手を離してくれる気配がないので諦めてそのままにし、ふぅと身体の力を抜いて意識をつなげる。


『リンディルマ様……ラルペティリアです。お話したい事がございます』

『やっと言って来たわね』


 間髪入れず応答があり、身体が強張る。

 思念に怒りの色は無いけど絶対怒ってる筈だ。うう……


『あ、あの……その、手違いでそちらの勇者がこちらに来てしまい』

『手違いじゃないわよ。そうなるように仕向けたんだもの』


 ―――は


「……はい?」

『貴女どうせ説明下手でしょうから穴を開けるわよ。許可なさい』

「え? はい? 穴って、来るんですか?」

『私が説明した方が早いでしょ。いいから早くなさい』

「は、はい! リンディルマ様との接続を許可致します!」


 目を開ければ、みんなが緊張した顔で居たので慌てて「リンディルマ様が来られるから下がって」と伝える。

 察してくれた三人はすぐさま壁際に下がり膝をついて頭を下げてくれた。私も立ちあがろうとしたのだが、勇者にガッチリと抱えられて身動きが取れない。


「ちょっと!リンディルマ様が来られるから離して!」

「なぜ? ラルペティリアはこの世界の女神なのだろ? リンディルマ様と対等な存在じゃないか」

「ちがーう!全然違うの!神格ってものがあって全く全然足元にも及ばないの!息吹きかけられただけで消滅するようなミジンコ神なの私は!」

「あらあら、随分な言いようね。格は違えど私と貴女は対等よ。さすが私の元勇者ね」


 艶やかな声が響いた瞬間、向かいの椅子に極上の美女が出現していた。

 黄金に煌めく豊かな髪はウェーブがかっており床につきそうな程長く、同じ黄金のまつ毛に彩られる瞳も眩しい程に輝く黄金。三日月の眉にうっとりするような唇。すらりとした首筋からほっそりとした肩につながるのに、その胸部は溢れんばかりに豊満で、そのくせ腰はきゅっとくびれていてまろやかなお尻と太ももに続く。もう絶世の美女としか呼べない女神が現れ、私は勇者の膝に乗ったままびたんとテーブルに伏した。


「申し訳ありません!連れてくるつもりは一切無かったのです!平にご容赦を!」

「リンディルマ様、俺は自分からこちらに来たのです。ラルペティリアを責めないでいただきたい」


 リンディルマ様相手に堂々と意見する勇者に、さすが勇者、肝の座り方が違うと妙なところで関心する。


「責めないわよ。だって私、わざとラルペティリアを気に入りそうな子を選んで勇者にしたんだもの」

「………は?」


 顔を上げたら、嬉しくて仕方がないという顔のリンディルマ様が居て……え?どゆこと?


「本当に気に入って種が開花するかどうかは賭けだったけど、賭けに勝てたようで嬉しいわ」


 花も綻ぶような笑みをたたえたリンディルマ様に、意味がわからず言葉が出ないでいると、後ろからため息が聞こえた。


「俺は手のひらで踊らされていたのですか」

「いいえ。それは違うわ。勇者にした時にも言ったけれど、選ぶのは貴方よ。どの道を選んでも私は祝福すると言った言葉に偽りはないわ。偶々私が望む最良の結果になっただけの事」

「では俺がラルペティリアの側に居る事も問題ないのですね?」

「ええ。既に貴方も私と対等の存在ですもの。新たな神の誕生を祝福するわ」

「……え?」


 新たな神?


「ラルはまだ気づいてないのかしら」


 可笑しげにクスクス笑うリンディルマ様に戸惑う。


「何の神かぐらいは自分であててあげなさい。貴女の存在が彼を神に到らしたのだから」

「え……え?……え!?」


 まさかと後ろの勇者を振り返り目を凝らせば、うっすら金色の神気が立ち上っているのが見えた。


「えええ?!!あなた神になってるわよ!??」

「そうみたいだな」

「そうみたいだなって、そんな……」


 人間やめました。って事なのに、なんでそんな平然としてるの。私なんて理解できずに一年ぐらい戸惑いっぱなしだったのに。


「ところでラルに正式に滞在を認めてもらったの?」

「いえ、まだですが。あぁ……そう言う事ですか。ラルペティリア」


 勇者は私を横向きに座らせると、視線を逸らしたい私の顔を両手で挟んできた。


「俺を伴侶に選んでくれないか」

「は、はんりょ……?」


 確かに神が同じ世界の担当をするというのは伴侶でないと差し障りがあるが、ちょっとの滞在ぐらいなら別に許可だけでいい。


「まだ神に成り立てで役に立たないかもしれないが、絶対に強くなって貴女を守れるようになると誓う」


 え。今ですらかなり押し負けてるのに強くなるの?


「いいんじゃない?ラル、貴女まだフーリーに言い寄られているでしょ?あれ避けになるわよ」


 フーリー様は戦いの神で武闘派のカッコいい神様だ。神格もかなり高くてリンディルマ様と並ぶほど。だからいろいろな女神が懸想している神様なのだが、なぜか私を気に入ってくださっていて伴侶にならないかとお声を掛けていただいている。

 私としては神格が違いすぎて恐れ多いし、もし伴侶になったとしたらこの世界から離れなければならない。あちらの世界にと望まれているからだ。そうなると私が頑張って立て直してきたこの世界は他の神が見ることになるのだが……はっきり言ってちゃんと管理してもらえるとは思えないのだ。

 魔素の産生を取り付けられる神であればいいが、私みたいな下位の神が担当したら匙を投げられるかもしれない。そうなればここまで一緒に頑張ってきたこの世界の住人がどうなるのか……


「今はまだフーリーも彼の存在に気づいてないからいいけど、気づいたら貴女無理矢理連れていかれるわよ?取られるぐらいなら取るって思考の奴だもの。彼を伴侶にしてしまえばフーリーだっておいそれと手出しは出来ないでしょ?」

「それは……」


 たしかに伴侶を持つ神を無理に望むのは禁止されていると教わった。


「リンディルマ様、フーリーとは?」

「戦いの神で私と同格の奴よ。昔からラルを狙ってるの」

「……なるほど。ラルペティリア」


 考えに沈んでいた顔を持ち上げられる。


「俺はそいつを避けるための道具だと思ってもらって構わない」

「う……でもそんな理由では申し訳ないし」

「構わない。そばに居られるなら何でもいい」


 真摯な瞳に見つめられ、それでも伴侶となると相手を自分に縛る事になるので簡単には返事が出来なかった。

 まだ神になったばかりの勇者はわからないだろうが、神の伴侶はかなり重要だ。下手をすれば相手の格に引き摺られて格が落ちる事もある。

 勇者を改めて見ると、その目の輝きがリンディルマ様の力ではなく、既に彼自身の力として馴染んでいるのがわかった。私よりも神格が高い神になる予感がする。なのにそれを私の都合で縛り付けてしまっていいのだろうか。

 だけどリンディルマ様の言うようにフーリー様が強硬手段に出ると言うなら私には成す術が無く、この世界を見殺しにする事になってしまう。


 答えられずにいると、だんだんと勇者の顔が悲しげに翳ってきた。

 十年も見てきた相手だ。それが本心で悲しんでいるのがわかってしまう。


「あ、あの、私、本当に神格の低いへっぽこ女神ですよ?」


 思わず確認するように尋ねると、勇者は一瞬目を見張って、希望を繋いだように破顔した。


「関係ない」


 きっぱりと言う勇者に、えーとえーとと言葉を探す。


「は、伴侶になると、この世界の管理も一緒にやらなくちゃいけなくて」

「やらせてくれるのか?」


 結構大変だよと言う前に返答がきた。しかも前向きなやつが。


「ま、魔素が足りなさすぎて外に稼ぎに行かなくちゃいけないぐらい酷いバランスだから」

「なんでもする」


 なんでもするは言っちゃいけない言葉じゃないかと思うのだが、それを言われると他に何も思いつかなくなる。

 やがてじっと見られている事に耐えきれなくなって、一番問題だけど一番言っちゃいけないような気がして言わなかった事を白状する。


「えー……と、貴方をちゃんと伴侶として見れるかわからないから」


 神の伴侶は人間の伴侶と違う部分もあるが、互いに好意を抱いて成立する間柄なのは同じだ。それがないと早々に破綻するとリンディルマ様から聞いた。


「努力する」


 勇者の言葉に迷いは無かった。

 その輝く目もどこにも逃げ道はないと言っているようで、リンディルマ様の言う通り私にフーリー様に抵抗する力なんか無いのも確かで……


「っ………う、と………じゃ、じゃあお願い……します」

「ありがとう!」


 がばりと抱きつかれたが、続けてすりすりと頭を擦り付けられると、なんだかでっかいワンちゃんに懐かれたような気もした。クロシロタマ、そういえば先に帰して拗ねてないかな。後で遊んであげないと。


「おっけーおっけー、じゃあ私が証神として二人を伴侶と認めます。はい、神紋押して」


 薄紅色の紙を出したリンディルマ様に、私は勇者の背中を叩いて離してもらい、やり方がわからない勇者に手を重ねて出された紙に押し付け、勇者にわかるようにちょっとだけ回復した神気を流した。

 白い軌跡は私の神気で雪の結晶のように広がる。

 勇者も要領がわかったのか神気を流すと金色の軌跡が蔦のように伸びて雪の結晶を細密画のように絡め取った。


「あらまぁ執念深そうな神紋ね。鈍臭いラルにはちょうどいいくらいでしょう」

「ど、鈍臭い……」

「さて、それじゃあラル、ちょっと伴侶を借りるわよ。必要な知識を渡しておいてあげるから。あなたは持ち帰った魔素を世界に馴染ませなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そうだった。勇者を持ち帰っちゃったからワタワタしていたが一番にそれをしないと。

 リンディルマ様が勇者に触れた瞬間二人の姿は消えた。異相で邪魔が入らないようにしたのだろう。

 なんとなくほっとして肩の力を抜くと、ものすごい形相でティルルが駆け寄って来た。


「女神様!よろしいのですか!?」

「ティルル落ち着きなさい。問題が解決された今、先に魔素の循環を施して頂かなければなりません」

「っ…わかっていますが」

「はいはい、それじゃあ私たちも邪魔になるでしょうから一度失礼させていただきます」


 ブーケンがティルルを掴んで引き摺り三人は部屋から出ていった。

 怒涛の展開が続いていたので一人になると、ほへっと気が抜けそうになるが、やらなければいけない事は多い。

 目を閉じてこの世界の管理領域に移動し、蓄えた魔素をこの世界に少しずつ流していく。

 慣れた作業を行いながら、私の胸には苦いものが込み上げる。


 私がもっと神格の高い神なら……みんなにここまで苦労させなかったのに……


 何度も胸に浮かんだ思いを振り切って作業に集中する。よりこの世界に浸透するよう馴染むよう。少しでもロスが出ないように。


 長く集中して、ようやく魔素を流し終えてほっと身体の力を抜くと、神気を使い過ぎていたせいかふらついた。


「お疲れ様。後は俺も見ているから休んでて」


 後ろから抱き止められて、そのまま寝室に飛んだかと思ったらベッドに入れられていた。


「あ、え?」

「リンディルマ様から大体の事は聞いたから。もう一人で頑張らなくていいからな」

「え?」


 優しく微笑まれて、頭を撫でられた。

 ここに来てから、神になってからそんな事をされたのは初めてで、遠い昔お母さんが風邪をひいた時に甘えん坊ねと苦笑しながら撫でてくれたのを思い出した。ここにいるみんなは優しくて頼りになるけどやっぱり女神として敬ってくれるからこんな風にしてくれる事はない。人間としての心が強い私は、それが寂しかったのかもしれないと今気がついた。


 ……いやそうじゃなくて!そんなことより!


「あの、色が」

「あぁこれか?」


 勇者の色が変わっていた。

 銀髪だった髪が染め上げたような漆黒に。そして瞳の色こそ金色だが、立ち上る神気も怪しげな黒一色となってしまっている。


「この世界には魔素を生み出す機能が欠けているんだろ?手始めにそこから改善しようと思ってな」

「え?魔素を?」

「この方が都合がいいから変えたんだ」

「だ、大丈夫なの?」


 神気の色が変わるなんて聞いた事もなければ見たこともない。

 とんでもない事になっているのではと不安になるが、勇者は全く気にした素振りを見せない。


「ラルペティリア」

「は、はい」


 唐突に膝をついて寝ている私の手を取る勇者に、慌てて起きあがろうとしたらそのまま寝ているように抑えられた。


「俺の名前覚えてるか?」

「それは、はい」


 何度も顔を合わせるごとに名前を教えられたので、よく知っている。


「呼んでくれ」


 甘えるような声を出して、私の手を頬に当てる勇者に……妙に心拍数が上がった。

 咄嗟に視線を外して胸を押さえる。

 神でもドキドキするんだなと新発見に冷静になろうとするが、どうにもうまくいかない。


「でも、神としての名は違うでしょう?」


 私があの赤い目のやばい神に名付けられたように、きっと勇者もリンディルマ様に名付けられている筈だ。

 私なんてそれが名前だと教えてもらう事もなく感覚的に植え付けられたけど、勇者はきっとそんな事はないだろう。そう思うとちょっと羨ましかった。


「ラルペティリアに呼んでもらうなら、最初に出会った時の名前がいい」

「いやでも神名を疎かにするのは」

「俺はそれがいいんだ」


 視線をちらっと向ければ、じっと待てをする大型犬のように動かない勇者。例の輝きの強い金色の目が変わらずこちらを見つめていた。言わねばならないらしい。


「あ……あ、アベル」


 勇者はその瞬間、幸せそうに笑って私の手に柔らかなものを押し当てた。


「ラルペティリアがそう呼んでくれるだけで俺は何でも出来るよ」


 囁かれた言葉が甘ったるくて、手に当たる吐息が熱くて、反射的に手を引っ込めて握りしめた。


 い、いまこの人、き、きすした!?


 少し前に伴侶にすると了承した事も忘れて頭が爆発した。

 人間だった頃も付き合った人は居なかったし、神にされてからもそんな事を考える余裕は無かった。全く免疫のない事をされると頭が停止する事を初めて知った。


「目が覚めた時には少しは良くなっている筈だから。安心して眠ってくれ」


 溶けるようにして消えた元勇者に、私はただただ呆然としていた。


 な……なんだあれ……

 なんで私あの人に気に入られてるの……?


 訳がわからなかったが、この後さらに訳の分からない展開が私を待っていた。


 思考放棄して寝て起きた後、私の世界は魔素の産生能力を付与されていて、正常な運営が可能な状態にされていた。神として誕生してまだ一日も経っていない勇者によって、だ。

 しかも勇者はこれまで私がやっていた他の神との交渉を全部引き受けて、対価だとか何とか言ってどんどんと神格を上げてあっという間にリンディルマ様に並ぶ程となり、伴侶だった私までそれに引き摺られて高位の神々の仲間入りを果たしてしまった。

 そうなれば高位の女神様たちとも交流するようになり、それこそ目が潰れそうな女神様方からのお誘いをアベルは受けるようになった。私としてはここまで私の世界を安定させてくれたのでもう言うことはない。仮にフーリー様に気まぐれで連れて行かれても、次の神が手を抜いても問題ないぐらいに私の世界は安定した。だから、良いお相手がいればそちらに行ってもらって構わない旨を伝えた。

 それに対するアベルの返答は、


「なるほど。俺の努力は足らなかったのか。それとも遠慮し過ぎたか」


 だった。

 なんとなく不穏な気配を感じて逃げ腰になったところを捕まえられて膝に乗せられて、十年想い続けてきたのだと耳元で囁かれた。

 長々と語られたそれはもう赤面したくなるような言葉も満載で、ついでに魔王をやっていた頃やけにアベルの進みが遅かったのは変装した私を誘き出すためだったと驚愕の事実が判明し、今まで私の反応が鈍いから慣れるまで我慢していたけどもう我慢しないと宣言され、どこに行くにもひっつかれるようになってしまった。

 

 そして最終的に、


「いや、あの、アベル?」

「リアは俺のこと嫌いじゃないだろ?」

「それはもちろん」

「俺の作るハンバーグは?」

「お、おいしいです」

「肉じゃがは?」

「と、とてもおいしいです」

「ケーキは?」

「むちゃくちゃ好きです」

「俺は?」

「す……。いや…それは……まぁ、なんていうか……」


 私なんて比べるのも烏滸がましいほど有能なアベルは碌な作物も育たなかったこの世界をすっかり変えてしまい、今では完全に私の胃袋をがっちり掴んでいる。反発していたティルルだってカレーに屈した。シロクロタマなんてアベルを見るとゴロゴロ喉鳴らして私以上に懐いている。

 しかも懐柔するだけじゃなくて、いつも気遣ってくれて……みんなと違い老いない身体に人だった心が軋む駄目な私を抱きしめて、ずっと一緒にいると言ってくれて……そんなのもう絆されない方がおかしいだろう。


 そんな私の態度の変化にだって気付いているだろうに、寝室の周囲に逃げられないよう結界まで張られて年貢の納め時だというようにジリジリとにじり寄られていた。


「あ、そういえば」


 思い出したというように視線を上に上げたアベルに、ほっとする。アベルの目は相変わらず見ていると心臓がドキドキしてきてちょっと怖い。


「あの時、リアは言ったよな。自分を倒すのが俺の使命だって」


 一瞬なんの話だと思ったが、すぐに思い当たった。魔王をしていた時の話だ。


「それから、さっさと倒して見せろって」


 こちらに視線を戻したアベルは気がついたら目の前にいて、ベッドの上に押し倒されていた。その状況はまるで魔王としてアベルと対峙した時と同じで――


「倒しちゃったな」


 いや、倒しちゃったな。じゃなくて。この態勢はとてもまずい気が……


「こんな事も言ってたよな?

 ―――って」


 ………………。言った。言ったけどアベルの言ってる意味と私の言った意味が大幅にずれている気がしてならない。というかそんな事をアベルが言うとは思わなくて固まった。


 見るのが怖いが、ラフなチュニックを着たアベルの胸元から恐る恐る視線を持ち上げると、目が潰れそうないい笑顔がそこにあって――



 無事に魔王勇者アベルに倒されましたとさ。



 誓って言うが、そういう意味で言ったわけじゃないからな!

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出稼ぎ魔王は早く倒してほしい うまうま @uma23

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