夏と帰省とひとりのマスク

工事帽

夏と帰省とひとりのマスク

 ガタゴトガタゴトと、僕は一人で電車に揺られていた。

 周りの風景はすでに街の中ではなく、建物よりも木や草のほうが多い郊外の景色に変わっている。

 街から出たのが何分前か、それとも何時間前なのかもよく分からないくらい、外の風景は途切れもなく当たり前だと主張を続けている。時折、お城のような建物が見える。他の建物から離れたところにポツンとあるから、車でしか行けなそうな建物だ。何のアミューズメント施設か分からないけれど、免許が取れる年になったら行ってみたい。


 今は夏休み、行先は田舎のおばあちゃんの家、世間で言うところの帰省というやつだ。

 僕はおばあちゃん家で育ったわけではないし、お父さんが育ったのも今のおばあちゃん家とは違う家らしい。だから帰省という言葉が合ってるのかはよく分からない。でも、友達に説明するのに便利だから帰省という言葉を使っている。


 ガタゴトガタゴトと、揺れる電車にはほんの少しの乗客がいた。

 街を出発した時にはもっと多かったけれど、途中でどんどん降りていって、残っているのはほんの数人だ。それでも人がいるからマスクを外せない。それが少し鬱陶しい。

 電車の中といっても、節電なのか感染対策なのか、窓はいくつも開きっぱなしで、マスクを外しても良いような気もする。実際、もう降りてしまったけれど、乗客の中にはマスクをしてなかった人もいた。それでも、他人の前でマスクを外すのには抵抗がある。


「次はー、△□駅ー、△□駅ー」


 車内アナウンスで降りる駅が近いことを知る。

 荷物はバック一つ。降りる駅が近いからといって慌てるような準備はない。それに一人だから気楽なものだ。


 一人で帰省している訳はいくつかある。


 一つは父さんの休みが合わないこと。お盆だろうと正月だろうと、休みじゃない仕事というか、世間が休みのほうが忙しい仕事らしい。

 二つめは母さんが家に残ったこと。父さんの食事を作らないと、とは言っていたけど、母さんは元々帰省は嫌いらしい。たまに、父さんの仕事のせいで家族で旅行にも行けない、なんて愚痴を言う母さんだけど、帰省は旅行のうちに入らないようだ。


 三つ目は数年前からの流行り病。病気が流行ってから帰省することがなく、数年が過ぎている。マスクが煩わしいのと、父さんが早く帰ってくるようになったくらいで、あまり変わりがなかった家だけど、何年も経つと「今年は帰ってこないのか」というおばあちゃんからの連絡が頻繁にくるようになった。

 当然、流行り病のことを出して万が一のことがあったらと、その都度断っていたらしい。それでも何年も経っていることもあるし、それにばあちゃん家のあたりでは誰もマスクをしていないらしく、病気のことは「テレビが騒いでいるだけ」という認識だったとか。


 そんないくつかの理由が混ざり合って、出た結論が僕一人での帰省だった。

 父さんの言葉だと「孫の顔を見せれば落ち着くだろう」だったけど、息子の顔はいいんだろうか。


 僕の方は、と言えば帰省はどうしても嫌というほどでもない。

 田舎すぎてスマホの電波が届かないとか、コンビニがないとか、虫が多いとか、嫌なことも沢山あるけど、どうしても嫌というほどでもない。

 それは友達がいるからだ。


 おばあちゃんの家の隣、とは言っても田舎のことだ、庭とか用水路とか小さな畑とか、そういうのを挟んで100m以上離れたところにある隣の家、そこに住んでいる友達がいる。

 同じ年の女の子で、いつも走って移動している元気な子だ。隣の家でも100m以上離れているのだから、歩いていては時間がかかるからだろう。

 帰省中は、他にやることもないから、ずっとその子と遊んでいる。その子の学校の友達は何kmも離れたところに住んでいるそうで、夏休み中は遊び相手がいないらしい。僕が帰省するといつも遊びに連れまわしてくる。


 前に会ったのは前回の帰省のときで、二人とも中学生だった。その頃は、毎年帰省していた。たった一年なのに、あの子がすごく成長していてびっくりしたこともある。胸とか。大きくなっても走るのを辞めないものだから、すごく揺れていた。

 数年ぶりの帰省で、あの子がどう変わっているのか、それとも中学の頃のままなのかとても楽しみだ。


「△□駅ー、△□駅ー」


 扉の隣にあるボタンを押して、電車の扉を開ける。待っていても自動では開かないから、勘違いしたまま待っていては発車してしまう。たった一駅でも乗り過ごせば、本数の少ない電車を乗り換えて戻ってくるには数時間かかるだろう。


 ホームに降りると一気に熱気に包まれる。

 屋根のないホームで熱せられた足元のコンクリートと、上から照り付ける太陽のサンドイッチだ。待ち構えていたかのように噴き出してくる汗、足早にホームを移動し、改札のある小さな駅舎にたどり着いた頃には、マスクの中まで汗が入り込んでいた。


 無人の改札口にある箱に切符を放り込んで駅舎を出る。

 地面が土だからか、ホームの上よりは少しはマシな熱気に襲われる。マスクの中が汗で気持ち悪い。最近だと、熱中症がどうとかで、屋外ではマスクをしなくても良いみたいな話もあるけれど、今更外そうとは思わない。


 それに誰かが迎えに来てくれてるはずだ。

 駅からおばあちゃんの家までは数km離れている。歩いていけない距離ではないけど、真夏に荷物を持ってだとかなり大変だ。それでおばあちゃんの家の近所の人が誰か、迎えに来てくれることになっている。

 車に乗るならどうせマスクを付けないといけないし、汗のついたマスクを一度外してしまうと付け直すのに抵抗がある。そうして論理武装をして、マスクを付けたままが正しいと結論付ける。


 駅舎の前は少し開けている。でもそこに人の姿はない。

 迎えはまだ来ていないのかと、駅舎に戻ることを考える。夏の日差しを浴びて待つよりは、屋根のある駅舎の中のほうがまだ涼しい。

 そうして駅舎に戻りかけたときに、遠くから走ってくる人に気づいた。

 ゆさゆさと重そうな塊を揺らして走ってくる女の子には見覚えがあった。


 思わず胸に視線がいってしまうが、その顔には見覚えがある。胸の大きさには見覚えがないけれど。中学の時とは比べ物にならないくらい大きい。あの頃も一年ぶりの再会でびっくりするほど大きくなっていたのに、その面影すらない成長ぶりだった。

 近所のおじさんかおばさんか、車を運転出来る人が迎えに来てくれるのだと思っていたから、あの子が来るのは意外だった。


「あれ? ね、ねえ!」


 そのまま走って通り過ぎようとするあの子を呼び止める。

 迎えに来てくれたんじゃなかったんだろうか。


「ん? あんた誰ね」

「誰ってトモヤだよ。迎えに来てくれたんじゃないの」


 あの子がジトっとした目で見つめてくる。

 虫を取ったり、魚を捕まえたりするときによくする目だ。この目が自分に向けられたのは数年前、揺れている胸を見ていた時以来だ。


「なんで顔隠しよーね」


 マスクは感染対策であって、顔を隠しているわけじゃないのに、あの子はそんなことを言った。気づいてみれば、あの子はマスクをしていない。

 こっちではマスクはしないんだろうか。いくら田舎だからと言って、一人も感染してないとも思えないし、そんなわけはないと思うけれど。


 マスクの理由を説明している僕に、彼女はマスクを外せと迫ってきた。

 本当にトモヤかどうか確認するのだと言ってきかない。

 こうなると彼女は結構頑なだ。でもこっちにもマスクを外したくない理由がある。


 外せ外さないと、彼女と言い合いをしている間に、駅舎の前には人の姿がちらほらと現れていた。その中には制服姿の警察官までいる。そしてどういうことか、誰一人としてマスクをしていない。


「ほれ、顔隠しよーから、みんな気になってるね」


 周りの目は不審者でも見るかのようだ。マスク姿の不審者なんて、絶版になるくらい古いマンガの中にしか存在しないのに。

 軽くため息をついて覚悟を決める。


「笑わないでよ」


 無駄だとは思いつつも、一言言ってからマスクを外す。

 途端に彼女の笑い声が響きだす。

 周りの人たちには笑っている人もいれば我慢している人もいる。


「だから嫌だったんだ」


 なぜ笑っているかは分かっている。僕の顔にはマスクの形で日焼けあとがついてるからだ。日焼けした顔の中に白く残った四角いマスクの形。

 僕は苦々しい感情を、お腹を抱えて笑う彼女の、腕に押されて拉げている胸を見ることで誤魔化すしかなかった。

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