おじちゃん先生 🥼

上月くるを

おじちゃん先生 🥼





 若い歯科衛生士さんが全体をチェックされたあと、キュッ、キュッといつもの靴音をさせながらやって来た先生は、カルテを見てマスクの顔をほころばせられました。



 ――それでは、いつものように定期的なケアをさせていただきますね。

   よくお手入れなさっていて「言うことなし」だそうですよ。(笑) 



 背中が丸くなられたかしら……少し気になりましたが、なにしろ何十年も診ていただいている先生なので、さながら親戚の何某の年年歳歳というような感じで。(笑)


 でも、カルテをご覧になっている時間、いつもより長いような気がするし、お声が小さくて看護師さんが訊き直すし、技量はさすがだけど機械の扱いにパワーがない?


 気になり出したらキリがないので、この猛暑だもの無理もないよね~と思い直し、診察台を降りてお礼の挨拶をしかけたら、先生、いきなり、よろめかれて。(*_*;


 機械に手をつき、眉間を寄せて懸命にお身体を支えていらっしゃる様子は、前回の定期検診から半年で一気にお歳を召された事実を、隠しようもなく物語っています。


 当たり前ですが先生だって歳を取る……子どもたちの幼いころからお世話になって来た大切な歯科医院が終幕を迎えようとしていることを認めざるを得ませんでした。




      🛳️




 特徴あるリアス式海岸が入り組む若狭湾を見晴るかす小さな丘に歯科医院を開いたのは、中国満州からの逃避行で亡くなったご両親の供養のためとうかがっています。


 国民学校一年生の姉に手を引かれて帰国したとき、先生は三歳になったばかりで、親戚中をたらいまわしにされながら、苦学して歯科医の資格を取得されたそうです。


 敗戦時「引揚港」と呼ばれていた舞鶴を満州生まれの自分の故郷と思い定め、風になった両親がいつでも来れるように、出入りの船が見渡せる丘を選んだのだと……。




      ⚓




 歯科医としてのウデが抜群なうえに、ことばづかいや物腰が丁寧で、どんな患者にも平等にやさしいので、遠方からの患者も詰めかけて、待合室はいつも満員でした。


 ある日、歯質が弱い次女に虫歯の治療をしてくださるというので待合室で待機していると、ドアが開いて、先生に手を引かれたオカッパの三歳女児が歩いて来ました。


 小さな頬に少し泣いたあとがありましたが、先生の指をしっかりと握っています。

「よくがんばったね、えらかったね~、おじちゃん先生とママのところへ行こうね」


 治療を終えたあと、衛生士さんや看護師さんには委ねず、わざわざご自身で連れて来てくださったお気持ちと引揚体験……それを思うといまでも胸が熱くなるのです。




      🧵




 悲喜を分け合い共に歳を取って来た患者たちは、心から先生をお慕いして……。

 ご勇退の最後のときまで診ていただきたいと、みんなで切に願っているのです。



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