第10話 橋の下を流れる水
「今すぐチャルツァブラに囚われた同胞を解放しろ!」
チルバからハルホルト中心部へ向かう大通りを行進するノルディア人たち――
「
「俺たちの恨みを思い知れ!」
「そうだそうだ!」
松明の炎を振りかざし、大声で抗議するベンとその取り巻きたち――数が増えるうちやがて彼らは秩序も統制もなくし、群衆の一部が通り沿いの民家や商店を略奪し始めた。
ほどなくして軍隊が出動し、首都の真ん中で市街戦が今まさに繰り広げられようとしているとき――
「……アタシと一緒に
涙をにじませながらマリーシャは息巻いた。
あまりのことを言い出す彼女に、ペーティルは言葉を失ってしまった。
「子供のお遊びなんでしょ?」
マリーシャは上ずった声でそう言い放った。
「い、いや、さっきは、その……、勢いでそうは言ったけど、さ」
ペーティルは恐れおののき、青い顔で彼女を見返した。
「まさか……、本気でやるのか?」
無言で頷くマリーシャの瞳はいつもより暗く、黒ずんでいた。
ペーティルは眉間に指を押し当てて、苦しげに目を閉じた。
「ムチャクチャすぎる……。二人とも死んで終わりだ」
ここで逃げられるなら、彼とて逃げたかった。だが、兵役逃れをした者の末路はペーティルも十二分に承知していた。
「……アタシって、
思い悩むペーティルを前に、マリーシャは珍しく自虐した。
「はっきり言うと、
この時ばかりはペーティルも毒づいた。
「……それって、どれぐらい?」
「真っ直ぐ空を飛べるだけ、まだ鳥の方が脳が詰まってるよ」
ここまで言われてもマリーシャは怒らなかったし、心なしか微笑んでいるようにすら見えた。
ペーティルはそんな彼女を見て、やっと少しだけ笑った。
「いいか、マリーシャ。僕の本音を見抜いてくれてありがとう。でも――」
彼はそこまで言って一旦間をおき、こちらを見つめる彼女から目を逸らした。
「そんなものはクソの役にも立ちはしないんだ」
マリーシャは一層悲壮な表情をした。
「……六年前のこと、今でも恨みに思ってるか」
唐突に、ペーティルはこんなことを尋ねた。
「……そんなのは、もう
マリーシャは反射的にそう答えて、ばつが悪そうに俯いた。
しかし、ペーティルはそんな彼女を正面から見た。
「あの時のこと、今でも僕は後悔してない。今回もそうだ」
この言葉にマリーシャもまた、彼の顔を見た。
いつになく決意に満ちたその目――自分と同じものを見出して、彼女は彼を説得できないことを悟った。
「僕はただ、君を守りたいだけなんだ」
口をつぐむ彼女を後目に、ペーティルは帽子を目深に被った。
二人の間を広がる沈黙を埋めるように、遠くの方からかすかにターン、ターン、という銃声のような音が聞こえた。
「……死にたくなかったら、今日はドアの鍵を固く閉めて、どこへも出かけないことだ」
去り際にそれだけ伝えて、彼は静かに下宿を後にした。
待って、という言葉が舌の先まで出かかったが、マリーシャはついに彼を止めることができなかった。
――二人目はペーティル、ってこと?
閉まった扉の前で、彼女はただただその場に立ち尽くした。
ノルディ海峡にかかる橋 中原恵一 @nakaharakch2
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