香開処刑

ばーとる

本文

 同じ文芸部の後輩に告白されて、高校2年生にしてついに彼女ができた。それから2カ月くらいが経つ。当初は、僕のような曲者にも告白するようなもの好きは居るのだな、と妙に感心していた。しかし、彼女の「もの好き」はそこに留まらず、最近少し困っている。


 それはそうと、今月の部誌に載せる短編小説と詩をさっさと書き上げないといけない。とはいえ、悩んでも悩んでも何も浮かばないからこそ、こんな愚考をしているのだ。


 部長に相談してみるか。ポケットからスマホを取り出す。すると、部室の窓に茜色の西日が差し込んだ。もうこんな時間か。


 メッセージを送信し終えると、件の罪な女がやってきた。


「先輩おひさー。おっ、やっぱり先輩だけじゃないですか」


 なんだか少し嬉しそうだ。彼氏に会えたからと言うのもあるだろう。しかし、この顔は「二人きりだから欲求不満を解消できる」と喜んでいる顔だ。


「今日は製本もないし、誰も来ないかもな」


「先輩って、人が居るときに部室に来ないで、人が居ないときに部室に来ますよね」


「まあな。部誌に乗せる原稿さえ出しておけば、部長に怒られないし。製本とか面倒だしな」


「飄々としているというか、ミステリアスと言うか……」


「ただの面倒くさがりだよ」


「ものくさ太郎でしたか」


 人が来ないのは気楽でいい。気を使う相手もいないし、よくわからない話題に乗る必要もない。文章を書くのは好きだが、個々の部員は少しばかりオタク気質な人が多い気がする。それ自体は悪いことではないが、自分とは合わないなと思う。その点、こいつはオタクではあるものの、それを僕に押し付けてこない。この部の中で、唯一一緒に居て疲れない人が彼女である。


「その……先輩」


「なんだ?」


 訊き返してみたが、すでに言いたいことはわかり切っている。彼女が上目遣いをするのは、僕にお願い事をするときの常套手段だ。


「久しぶりに会えたわけじゃないですか?」


「うん」


「それで、何と言いますか。私、先輩成分が少し足りなくなってしまいましてですねえ」


「うん」


「少しだけ補給させてもらえないかなって」


「わかった。でも、今日こそはくすぐったくするんじゃないぞ」


「善処します!」


 彼女にしっぽがあるならばそれをぶんぶんと振り回していることだろう。こんなことでこんなに顔に花開かせることができる人を、僕は彼女以外に知らない。人間と言うのはわからないものだなあといつも思う。


 彼女は僕の臭いを嗅ぎ始めた。彼女に言わせると、僕から出ているのは臭いではなく匂いらしい。においソムリエではない僕には、どこが良いのかまったくわからないが……。


 まずは足から。人間の体の中で、足は一位二位を争うレベルで臭い部位だろう。それを、彼女はためらうことなく鼻いっぱいに吸い込むのである。


 続いてひざの裏。僕にはひざの裏の臭いなんてわからない。それでも彼女は、僕の体の部位それぞれに、それぞれの魅力があると言う。正直、思い込みによるところが多い気がするのだが、彼女が幸せならそれでいいのかもしれない。


 そして、彼女の鼻は僕のお尻に向かう。これはもう病気だ。人のケツの穴に鼻を突っ込むのは正気の沙汰ではない。彼女曰く、ここは腋の下と似た匂いがするらしい。だからと言って健全性は1ミリも増加しないわけだが、彼女の中では通る理屈があるのだろう。


 それから腋だ。ここが本命らしい。もとより清潔感には気を配っていたが、彼女のこの特殊性癖を知ってからは特に入念に体を洗っている。そのことを彼女に伝えると、「可愛いかよ!」で一蹴された。ちなみに、いくら体を洗っても、僕の臭いは消えないから意味がないらしい。


 最後に首。首の臭いは頭がハイになるという。現に彼女は恍惚とした表情を浮かべている。地に足が付いていない。もともとまともではないが、首の臭いを嗅がせるといつも、こいつは理性をどこかに飛ばしてしまいそうになっている。


 全身の臭いを堪能した彼女は、板のはがれかけたボロい椅子に座って、「はぁー。しあわせー」などと譫言をもらしている。こいつは僕と、僕の臭いと、どっちが大事なのだろうか。今度訊いて困らせてやろう。


「ありがとうございました。これでまたしばらくはがんばれそうです」


 ひとしきり余韻を楽しんだのち、スイッチが入ったように彼女はそう言った。


「そうか、それは良かった」


 よかったというのは彼女の側の事である。僕からしてみると、我慢できなくはなかったとはいえ、やはりくすぐったいのだ。


 ここはひとつお灸をすえてやるとしよう。


 それから数日が経った。


 僕はいつものように部室を独占して作業に没頭していた。部長とのメッセージのやり取りで、少しインスピレーションを得られたので、少し筆が進んだ。また今度様子を見に来てくれるというので、実に頼もしい部長である。


「先輩おいすー」


 がらがらと扉を開け、僕の可愛い彼女ちゃんが入ってきた。お前、くすぐったいとか言いながらこの状況を楽しんでいるのではないか。僕のメタ認知がそんなツッコミを入れる。実にその通りだ。僕はこの状況を楽しんでいる。だから攻守交代だ。


「あっ、原稿進めてるんですね。次は何の話ですか?」


「それは内緒だ。完成するまで待つんだな」


「ちぇっ」


「その代わり、少し遊びをしよう。そこの椅子に座ってくれ。」


 すると、彼女は不思議そうに、板のはがれかけたボロい椅子に腰かけた。準備は完璧である。さあ、始めよう。


 僕は、鞄の中から黒いバンダナを取り出した。椅子に座らせた女の子に、バンダナで何をするかなんてのは変態紳士、変態淑女の皆様に説明する必要はないだろう。しかし、敢えてこれを克明に描写してみる。


「目を閉じて」


 僕は顔を近づける。お互いの息遣いが感じられる距離にまで近づける。大体10センチメートルくらいだろうか。彼女は目を閉じているが、僕は可愛い顔をまじまじと見つめる。頬が紅く染まる。耳も赤く染まる。恥ずかしいんだ。可愛い。


「な、なんですか?」


「いくぞ」


 10センチメートルの距離からそう囁きかける。我ながらに気持ち悪いことをしているが、彼女は嫌がっていないので問題は何もない。


「ちょ、ちょっと待ってください。今するんですか?」


「そうだ。今だ」


「少しだけ時間をください。あと……えと……一旦目を開けてもいいですか?」


 僕はバンダナをポケットに素早く突っ込み、顔を離した。恐らく、ミスリードには成功したので、このまま誤解に没頭してもらおう。


「しょうがないな」


 彼女は顔を火照らせたまま、スマホのカメラを起動した。そして、前髪をさっと整える。そして、2度、大げさな深呼吸をした


「準備……できました」


「じゃあ、目を閉じて」


 彼女の目が閉じる。唇がわずかに動く。


 再びそっと距離を縮める。そして、僕はバンダナをそっと彼女の目に当てがった。そして、頭の後ろで片結びにする。


「えっ? 何? 何をするんですか? 目を閉じているのに、なんで目隠しをするんですか?」


「なんかその方がいいじゃん」


「先輩サイテーです! 乙女心を何だと思っているんですか! 私のドキドキを返してください!」


 言葉では怒っているが、その言い方からして、彼女はこの状況を楽しんでいる。というか、この状況を楽しめる奴だとわかっているからこそ、僕はこうしているのだ。


 当然これで終わりではない。鞄の中にはもう一つ重要なアイテムが入っている。縄だ。ビニールひもではなく、麻でできたしっかりとした縄である。こういうのは雰囲気が大事なので、奮発して上等なものを入手しておいた。とてもテンションが上がる。これはいい。


 僕は、動画で何度も予習した縛り方を実際に施す。


「先輩? もしかして私のことを緊縛しようとしてます?」


 何も答えない。彼女の妄想力に仕事をしてもらおう。


 時間はかかったが、思いのほかスムーズに作業は進んだ。制服を着た普通の女の子なのに、縄で縛るだけでこんなにエロさが増幅されるのはどうしてなのだろう。それとも、僕の頭がこういう物をエロいと感じるようにプログラミングされているのかもしれない。普通ではないと思うが、普通でなくてもいい。


 緊縛女子高生が完成した。


 一歩下がって全体を眺める。ああ、我ながらになんという性癖ドストライクなものを作り上げてしまったのだろう。これは写真に収めるしかない。


「先輩……なんかこれ、興奮しますね」


 縛られている本人がこういっているのだから、もうウィンウィンと言ってしまっていいだろう。


「うぅ……写真なんか取らないでくださいよう」


 うん。思い切り連写したね。


 せっかくのマスターピースをあらゆる角度から堪能してやろうと、部屋の中を動き回る。


「先輩、何か言ってください」


 そして、次の瞬間。聞こえてはいけない音が聞こえてしまった。


 部室の扉が開いたのだ。


 全身に汗をかく。顧問の先生だったら、僕は謹慎処分どころでは済まないかもしれない。


 一か八か、入り口に目を遣る。


「おまえら、ついに部室の中でSMプレイを……」


 部長だった。助かった。


「なにこれめっちゃ楽しそう」


 しかもこの部長、数秒で状況を呑みこみ、すでにノリノリである。すたすたと彼女ちゃんに歩み寄り、耳元に顔を近づける。そして、息を吹きかけた。


「ひゃう!」


 何だ今の声。なんだか僕の心にとても深く響いた。これが俗にいうキュンとするという感情なのだろうか。よくわからないけど、もう一回感じてみたいと思った。この感情を知った僕は、もう後戻りできないかもしれない。


 それから僕と部長で、たんまりと彼女をいじめてやった。今までの匂いフェチ行為の分の貸しは返してもらえただろう。


 結局、僕は今まで書いていた原稿を全て白紙に戻した。今回の体験をもとに、新しい感情描写をしてみたいと思ったのだ。とても執筆の意欲が湧いている。今度はいい作品が書けそうだ。何となくそう思った。

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